表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
公国の真紅の瞳  作者: ざっくん
第1章 公国に現れた紅き影
12/70

012

 一人で森を駆け抜けるのは討伐者を目指した時以来のことだった。

 いや、その時はどこから魔物が現れらるのかもわからずに、走ることなんてできなかった。


 でも今は違う。

 ヘルダは単身、森の中を全速力で駆けていた。


 一体何が起きたのか、ヘルダには全く理解できていなかった。

 それでも男の敵意とイルザの焦りから、ただならぬことが起きていることだけは理解できた。

 イルザは強い。

 周辺の魔物なら相手にならないほどに強いことをヘルダは十分に分かっていた。

 そのイルザが逃げろと言ったのだ。

 つまり、襲ってきた男はどんな魔物よりも強いということ。

 イルザがヘルダを守れないと言ったのだ。


 背負っていた大剣はとうに投げ捨てた。

 持つことが精一杯の大剣は、逃げるときには邪魔にしかならないからだ。

 男が魔物よりも強いのならば、ヘルダが武器を持つことに意味はない。

 その程度のことはヘルダも良くわかっていた。


 今は一刻も速くエミリアの元へと向かうべきだった。

 その理由は分からない。

 エミリアはもう動くことすら難しい身体なのだ。

 それでも今まで頼ってきた唯一の相手なのだから、ヘルダはエミリアの元に逃げ込むことしか許されない。


 それに、元々はエミリア一人で暮らしていたという。

 そのエミリアならば、もしかしたらなんとかできるかもしれない。

 淡い希望を胸に、イルザの危機を伝えるためにヘルダは森を駆け続けた。



------



 その姿を、エフィーダは気づかれない場所から静かに後を追っていた。

 ビダルに比べると格段に劣る戦闘力だが、それでも並の討伐者には負けない程度の力はある。

 森の中で少女の後を追うことなど、わけのないことだった。


 エフィーダは見ただけで相手の眠れる才能までをも知ることができる。

 すべての才能を見抜けるわけではない。

 その瞳はある才能に限り、芽生えていないものに関わらず見抜くことができるのだ。


 エミリアの瞳とはそこが違った。

 エミリアが見抜ける才能は、すでに開花しているものに限るのだ。

 多くの場合、本人が気づいていないことも多いからまるで新たな才能が身についた気になるのだが、あくまでも元からあった才能に過ぎない。


 エフィーダは違う。

 まだ芽生えていない才能さえも見抜くのだ。

 才能なんて、訓練さえつめばたとえ元から持っていないものだろうと芽生えることもある。

 しかしエフィーダが見抜く才能は、訓練でどうかなるものではなかったのだった。


 その少女は確かに才能があったのだ。

 一目見ただけで、エフィーダが芽生えさせることのできる才能を持っていると確信できた。

 そして隣に立っていた、麗しき美貌を持つ女性。

 魔人の特徴そのものだったのだ。

 魔人は人の身体付きへと変化する際、決まって理想的な姿へとなる。

 それは定められたことであり、例外はない。

 だからこそ、一目見ただけで子供を連れ去る魔人と判断できたのだ。

 そもそも魔力からしていくつもの人のものが混じっていた。

 おそらくは人の魔力を糧とする魔人。

 才ある子供を攫っていた理由も理解できた。


 しかし疑問も残ったのも確か。

 なぜ魔人はわざわざ子供を逃したのか。

 そして、その子供はいったいどこを目指しているのか。


 エフィーダにとって大事なことは、眠る才能を目覚めさせるというだけだ。

 魔人そのものについては、特に思うこともない。

 才能を芽生えたあとの子供なら、例え攫われたところで助けることもなかっただろう。


 それはエフィーダがエフィーダたらんとする行動なのだ。

 出来うる限り、才能を芽生えさせること。

 芽生えた者がその才能をどう使おうと、そして例え使わなくてもどうでもいいことだった。


 エフィーダは少女の才能を芽生えさせたい。

 しかし少女は一直線にどこかを目指していた。

 考えられることは一つだけ。

 捕らわれている他の子供たちのところに間違いない。

 もしかしたらその中にもエフィーダが芽生えさせることのできる才能を持つ子供がいるかもしれない。

 そう考えると、今は少女の後をつけていくのが正解だった。



 ビダルの目的は全く違う。

 ビダルは戦闘が全てと考える者だ。

 強い討伐者、強い魔物、強い魔人、そして戦争。

 争いの中に身を投じることが生きがいなのだった。


 エフィーダもそれなりの強者に位置するが、魔人が相手ではどちらに転ぶか分からない。

 だからこそのビダルだった。

 エフィーダとビダル、力は違えど立場はどこまでも対等なもの。

 協力させることになんの障害もなかったのだった。



 そうして、エフィーダの見下ろす中で少女は開けた場所へとたどり着いた。

 稚拙な結界の張られた小さな広場。

 目当ての人物はいるのかと、エフィーダも静かに近づくのだった。



-----



 庭に駆け込み、すぐさま家の中まで駆け抜けた。

 息はとっくに切れているが、庭にたどり着くだけではヘルダの役目は終わらない。


「お婆ちゃん! イルザさんが、イルザさんがっ!」


 そのエミリアは、ヘルダが駆け込んで来ることが分かっていたのだろう。

 もしかしたら、何が起きているのかさえも。

 もう満足に動くとさえできなかったはずのエミリアは、身支度を整えベッドから出ていたのだから。


「……お婆ちゃん?」


「すぐに出かけますよ。イルザさんを救わなければなりません」


 事実、エミリアは森で起きていた事すべてを知っていた。

 見えていたのだ。

 イルザから迸る強大な魔力も、それすら上回る莫大な魔力も。

 眠っていたエミリアでも気づけるほどの魔力はこの場にいてさえ感じることができていたのだ。


 エミリア自身、これが命を縮める行為ということは理解している。

 動けない身体を無理に動かすその行為は、僅かな命を極限まで削ることになるだろう。

 少しでも生きながらえるために眠り続けたのは、ヘルダの成長を少しでも見守っていたかったから。

 でもそれができたのもヘルダの後を任せられるイルザがいてこそだ。

 そのイルザを救うためならば、僅かな命を投げ出すことにためらいはなかった。


 戸惑うヘルダをよそに、エミリアはすぐに家を出た。

 その足取りは、普段眠り続けている者とは思えないほどにしっかりとしたものだ。

 しかし家から出て一歩、イルザが戦っていた相手とはまた別の莫大な魔力に気づいたことで足を止めざるを得なかった。


「そこに隠れている方、姿を見せていただけますか?」


 木陰から姿を見せたのはエフィーダだ。

 若干の落胆を浮かべているのはエミリアが才能を秘めていなかった為か。


「ここは……魔人の住処ではないのか?」


「あなたは……あなたは到達者なのですね」


 予想はしていた。

 イルザの魔力は召喚された者の中でも抜きん出ているものがあった。

 そのイルザを圧倒するほどの魔力を持つ者を、エミリアは一種類しか知らなかったのだから。



 到達者とは、つまりはこの世界の絶対的強者である。

 魔物が魔人へと至るように、人もまたその存在の上があるのだ。

 それが到達者。

 長い年月を経て、たった一握りだけが到達できる絶対的強者。


 エミリアの長い人生でも、到達者を見ることは初めてだった。


「ここには私とヘルダとイルザさんの三人だけが暮らしています。魔人はどこにもいませんよ」


「そんなはずはない。あのイルザという女は、間違いなく魔人のはずだ」


 いや、確認すべきはそれではない。

 エミリアの知識が確かならば、到達者は滅多に人の世に関わらない。


「……あなた方の目的はなんなのでしょうか」


「私はその子に用事があった。その子は才能を秘めている。私はその才能を芽生えさせたいだけだ」


「この子の、才能を……」


 ヘルダは自分が槍玉に上げられたことに戸惑いを隠せないでいた。

 ヘルダが聞いた見聞きした限り、男はイルザを目当てとしていた。

 そして女は今見たばかり。

 つけられていたことにも気づいていなかった。

 自分に才能があると言われても戸惑うばかりだった。


「魔人は才能ある子供ばかりを攫っていた。それでは私が才能を芽吹かせることができなくなる。それは困るのだ」


「それはあなたの都合でしょう。それにイルザさんは人を攫うような方ではありませんよ」


「あなたこそ現実が見えていないようだ。魔人は間違いなく魔人だった。それはもうすぐに分かることだ」


「イルザさんをどうしたのですか」


「ビダルが相手をしているだけだ。ビダルは戦の果てに到達者となった。戦いでビダルに敵うものはいない」


「そんな……」


 強者へと至る条件には様々な噂があった。

 いわく、ただひたすらに祈り続けるだとか。

 いわく、ただ仕事に打ち込めばいいだとか。

 どれもはっきりとはしていなかったが、ただ一つだけ共通するものがあった。

 つまり、その道をどれだけ極めたか。


 戦いの果てということは、幼い時からひたすら魔物と戦ったのだろう。

 戦闘に関する才能だって、一つや二つでは済まないほどに芽生えたはず。

 そんな者を相手にして、果たしてイルザは無事でいられるのか。


 イルザの強さは十分に分かっている。

 一緒に魔物を狩っているヘルダ以上に、エミリアはイルザの魔力を知っている。

 しかし、目の前の到達者は明らかにイルザ以上。

 その到達者よりもさらに強い存在がイルザと戦っているのだ。


 結果は、すぐに知ることができた。


「エフィーダ、外れだ。こいつは魔人じゃねえよ」


 エフィーダもそうだが、庭に張り巡らされている結界をものともぜずに男が現れた。

 その手には、血まみれで身体を開かれたイルザが引きずられているのだった。



------



「ああ、イルザさんっ!」


 エミリアがイルザに駆け寄るが、ヘルダはその場を動けずにいた。

 先程から理解できないことばかりが起きていて、幼い頭はとうの昔にパンクしていたのだ。


「外れ、ですか……」


「ああ。こいつには核がねえ。それに心臓があった。間違いなく人間だな」


「この見た目で人間……」


「間違いなくな。ただ、こうして身体を開かれたのにまだ生きてやがる。生命力だけは魔人並だな」


 イルザはまだ息があるという。

 しかし、酷い見た目なのだ。

 身体は切り開かれ、内部の内臓が露出している。

 ここに来るまでに大半の血を流したようで、もう流れる血も残っていないのだ。

 たとえ今生きていたとしても、あと少しで死んでしまうことはヘルダにだって理解できることだった。


 それでもエミリアは諦めずにイルザの手当てをしようとしているが、ヘルダは到底近づく気にはなれなかった。

 これ以上はっきりとイルザを見てしまうと、死んでしまうことを実感してしまうから。


「あなたは彼女について、何か知っているのか。どうして彼女はまだ生きている」


 問われたところでヘルダには答えられるはずもない。

 ヘルダはまだイルザのことを何も知らないのだから。

 ──いや。

 一つだけ、知っていることがあった。


「イルザさんは……イルザさんは、召喚されたって……」


 そのあたりのことは曖昧にだが聞いていた。

 どこかの王族に召喚されて、逃げてきたって。

 それでどうして森の中に現れたのかは知らないが、ヘルダにとってはどうでもいいことだったのだ。


 短い間だったけれど、イルザにはお世話になった。

 動けないエミリアの代わりに、色々とヘルダの面倒を見てくれていたのだ。

 ヘルダの返事はいつも適当だったけれど、それでも気にせず毎日毎日話しかけてくれたのだ。


「異世界からの来訪者ってやつか。そういえば、北の方でも現れたんだったか」


「……そうか。魔人に似ているのはそういう訳か」


 イルザとの思い出が脳裏に蘇る。

 こんなことになるのなら、もっとイルザと話しておくべきだった。

 別に、嫌っていたわけではなかった。

 ただ、どうしたらいいのか分からなかっただけ。

 急速に親しくなったイルザの唐突な死に、ヘルダはいつしか涙を流していたのだった。


「……泣いているところ済まないが、私も要件を済まさせてもらおう」


 エフィーダの手がヘルダに伸びてくる。

 しかしもはやヘルダには振り払う気力すら沸かないのだ。

 今のヘルダは後悔で一杯だった。


「彼女のことは残念に思う。ただ森の中で暮らしているのだ。魔物に襲われたと思うことだ」


 話を聞く限りでは、イルザは目の前の女の勘違いによって襲われ、そして殺された。

 それなのに反省の素振りは全くなく、自らの過ちを認めようともしない。


 なんて不条理だろう。


 そう思うと、目の前の女を許せるはずもない。

 そうだ、敵を討たなければならないのだ。

 いつも気を使ってくれた、優しかったイルザ。

 そのイルザの為にも、目の前の女を自由にしておくわけにはいかない。


 しかしその誓いも、女の前では容易く砕け散るだけのこと。


「お前の才能を引き出してやろう。これからはお前も魔法使いだ」


 ヘルダに触れるエフィーダの手のひらから、何かがヘルダの体内を駆け巡る。

 その何かを感じた瞬間、ヘルダの意識は暗闇に飲み込まれていくのだった。



------



「しっかし、こんだけ探しても見つからないとなると、依頼のほうが怪しくなってくるんじゃねえのか」


「それは私も考えていたところだ。一度確かめる必要があるだろう」


 魔人が目当ての魔人とは違うばかりか、そもそも魔人ですらなかった。

 聞かされていた件の魔人は一向に見つかる気配もない。


「俺はもう帰るぜ。一応満足はできたからな」


 そう呟くやいなや、ビダルの身体は一瞬にして消え去った。

 身体が一瞬光ったかと思うと、次の瞬間には何もないただの庭だけが残っていた。

 そのことにエフィーダは驚かない。

 ただ住処に帰っただけのこと。

 到達者ならば誰でもできることなのだ。


「私ももうここに用は無いな」


 少女の才能は芽生えさせた。

 目覚めた時には魔法が使えるようになっていることだろう。

 その後の少女に興味はない。

 大事なことは才能が芽吹かないままに死んでしまうことで、芽吹いた才能を使おうと使うまいと、そして善人だろうと悪人だろうとエフィーダには関係ないことなのだ。


 ビダルと同じように、エフィーダもまたこの場から消えていった。

 残ったのは、初めからここに暮らしていた三人だけだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ