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公国の真紅の瞳  作者: ざっくん
第1章 公国に現れた紅き影
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011 絶対的強者

 久しぶりに清々しい朝を迎えた気がしたのだ。

 人にとって満腹でもデザートは別腹であるように。

 私にとって吸精というのは、たとえ満腹であろうとも体調を整える上では必須のものなのかもしれない。



「はぁ……」


「あら、朝からため息?」


「だってさあ……まさかイルザがそんな人だったなんて思わなかったんだよぉ」


 残念ながら、朝日と一緒に優雅な時間を過ごす空気でもないみたいだった。

 せっかく同じベッドで朝を迎えたというのに、クラーラは昨夜の出来事が未だに信じられない様子。


「……討伐者にそっちの人が多いってのは聞いてたけどさ。普通家主を襲うとは思わないじゃん」


「もしかして初めてだった? 昨日はクラーラも乗り気のように感じたのだけれど」


「それは! ……だってイルザ、上手だったじゃん」


 昨夜、ヘルダが眠ったあとクラーラの寝室へとお邪魔した。

 もちろんただ一緒に眠るだけのはずもない。

 久しぶりということもあり、私も存外に張り切ってしまったのだった。


「それにしても、討伐者にはそんな人が多いのね」


「らしいよ。ほら、討伐者は手が早い人も多いからね。自衛のために女の子は女の子同士で固まることが多いの。それで余計に男が近寄らなくなっちゃうとね……」


 ガードが固すぎるのも考えものだ。

 ただ、私にとっては朗報だろう。

 なにせ同性にはガードが解かれるというのだから。


「イルザ、一旦街を離れるんだよね……」


 昨夜のことを話してからは、クラーラに暗示はかけていない。

 だからこれはクラーラの本音だ。

 その本音は、私と離れることを寂しがっていた。


「まだ朝早いから、ヘルダが起きるまでもう少し時間があるわね」


 ベッドの上でクラーラに覆いかぶさる。

 私としてももう一度、クラーラの温もりを感じたかった。


「……」


 不意に目に入った部屋の扉。

 たまたま視界に入っただけの扉を見て私もクラーラも身体を固めることになった。


「何、してるんですか?」


「これはね……そう、クラーラとちょっと相談してただけ」


「ベッドの中でですか?」


「聞かれたくなかったのよ」


 普段はそこまで早起きでもないヘルダが、今日に限っては早起きだった。

 ベッドが変わったから深く眠れなかったのだろうか、

 幸いなことに、たまたまシーツを被っていたから裸なことには気づかれていないはず。


「私たちもすぐに行くから、先にリビングで待っていて」


「はい……風邪、ひきますよ」


 ……見られてたみたいだ。


「はあ……続き、する?」


「しないよっ! ほら、早く服を着なきゃ。ヘルダが待ってるよ」


 ヘルダに見られたことを考えると、とても憂鬱だった。



「次に来るのは来月だっけ?」


「遅くても再来月ね。その時にはまたよろしくお願いするわ」


「ヘルダも頑張ってね。才能が芽生えるといいね」


「うん……」


 ヘルダからは、少なくとも私に対するよそよそしさは感じなかった。

 考えてみるとヘルダはまだ子供。

 私たちが何をしていたかなんて、多分理解できなかったに違いない。


「クラーラも、お店が潰れることのないようにね」


「これでもそれなりにお客さんはいるんだからね? それじゃ、気をつけてね」


「またね、クラーラ」


 朝早く、私たちは武器屋を出て森へと戻っていく。

 今後の生活について一応の目処はたった。

 ただ武器を買いに来ただけのつもりだったけれど、思ったよりもいいことずくめだったといえよう。

 この時までは。



 ヘルダと二人、再び森の中を進んでいく。

 私の腰にもヘルダの背にも、来るときにはなかった剣が携えられていた。

 ヘルダが心持ちゆっくりなのは、多分剣が重いから。

 今はまだ持ち上げることが精一杯の大剣だ。

 これからどうなるかはヘルダ次第だろう。


 門では多くの人とすれ違った。

 門を出る皆が皆、それぞれに武器を持っていた。

 おそらくは全員が討伐者だ。

 魔物を狩るため、朝早くから森へと入っていくのだった。

 明らかに男性のほうが多かったけれど、確かに女性の集団もいた。

 それと、お互いはどうやら顔見知りのようだった。

 私たちもあの仲間入りをするのだろう。

 ……ヘルダが大人に慣れたら、だけど。


 早朝だからか、昨日よりも魔物の数が多いように感じた。

 それでも所詮は森の浅い位置に出てくる魔物。

 私の敵にはならないものばかり。

 そうして、エミリアの待つ庭まであと一時間の距離まで来た時だった。


「見つけたぜえ!」


 一言、その声を聞いただけで気づいてしまった。

 強烈な敵意が私に向けられる。

 同時に目の前の木陰から一人の男が現れた。

 いかにもな格好をした討伐者だ。


「何か、探し物?」


 その視線から隠すようにヘルダの前に立ち、問いかける。


「おうよ! お前を探してたんだ。女ばかりを攫う魔人に間違いないな」


「は?」


「おいおい、ここでとぼけたところで意味なんかねえよ。その首飾りで正体を隠しているようだが、見える場所にぶら下げてちゃ意味ねえだろ」


「ちょっと、誰かと勘違いしてるんじゃないの」


「……ったく、めんどくせえやつだな。いいからとっととその剣を構えやがれ!」


 これ以上会話をするつもりはないというばかりに、男は腰に下げていた剣を振り抜いた。

 その瞬間、隣に生えていた大木が綺麗に根本から切断された。


 ──まずい!


 そのひと振りだけで理解させられたのだ。

 話が通じないだけならまだいいだろう。

 その気になれば、そのへんの人からは逃げられる自信があったから。

 でも目の前の男からは逃げられない。

 そう理解させられた。


「その人が例の魔人で間違いないでしょう。才能のある子を連れているのが何よりの証拠。ビダル、遠慮はいりませんよ」


「任せろよ。何よりも骨のありそうな相手だ。手を抜くわけがねえだろうが!」


 男の背後から現れた女に目を向ける暇もない。

 男はいきなり私に襲いかかってきたのだった。



「ヘルダ! エミリアの所まで走るのよ! 早く!」


 連接剣を抜き、真正面から突進してくる男の剣を迎え撃つ。

 手加減なんて全くしない、ここに来て初めて出した私の全力だ。

 それなのに、男の剣を弾くこともできずに私が押されてしまう。


「ヘルダ! 走りなさい!」


 ここにいたら間違いなくヘルダを巻き込んでしまう。

 そんなことはさせない。

 二度の叱責の後、ヘルダはやっと我に返った。


「お、お婆ちゃんを呼んできます!」


 エミリアは動けないだとか、そんなことはどうでもいい。

 ヘルダさえ逃がせるならば、他のことはどうでもよかった。


「あの子は私が」


「行かせ──」


「──甘えっ!」


 ヘルダを追う素振りを見せた女を止めようとしたが、それは男が許さない。

 伸ばした連接剣は、虚しくも男の前に弾かれてしまう。


「邪魔をするなっ!」


「お前の相手は俺だ! エフィーダ、行け!」


 最悪だ。

 巻き込まれないようにとヘルダを離したのに、女がヘルダを追いかけるだなんて。

 これではヘルダと離れたことは失敗だ。

 しかし、認めるわけにはいかないだろう。

 目の前の男を蹴散らし、そしてヘルダを追いかけた女も止める。

 それしかなかった。


「誰だか知らないけど、もう容赦しない」


「いいから本気でやろうぜ。せっかく二人っきりになれたんだからなっ!」


 男の剣筋は見事なものだった。

 剣に通じていない私でも、その剣筋は確かな技術の元に成り立つものと分かってしまう。

 受け止める私の連接剣は、壊れないのが不思議なぐらいだった。


 反撃に移るつもりだったが、すぐに防戦一方となる。

 男が強すぎるのだ。

 身のこなしは本気の私と同等程度。

 ただ、力が違った。


 男の振られる剣とても早く、剣で受け止めるしかできない。

 その受けの一つ一つで、私の足は地面に沈み、そして後ろに押されるのだ。

 剣を受ける手もいちいち痺れる。

 反撃なんてできるはずもない。


「魔人のくせにいい武器持ってんなあっ! ええっ!!」


 その攻撃の嵐に対し、しかし連接剣は見事に応えてくれた。

 腕が痺れるほどの衝撃を受けようと、連接剣が折れることはない。


「くっ……」


 徐々に焦りが大きくなっていく。

 この状況を、一方的に攻撃される状況を打開するためには、無理をしてでも反撃するしかない。

 しかし、できないのだ。

 本気を出しているはずなのに、受けるだけが精一杯。

 それどころかどんどんと身体も重くなり、少しずつ傷を負う事態となってきていた。


「どうした! 立派なのは武器だけか!」


 これだ。

 目の前で一際強烈な火花が飛び散る。

 もし受けなければ、そのまま私の身体を縦に引き裂くほどの強烈な打ち込みだ。

 ただ、それだけではないのだ。

 男から感じるプレッシャーは確かに大きく、私の動きが固くなるのも分からないことではないのだ。

 男が叫ぶたびに、私の身体がいうことをきかなくなってくる。

 対等だったはずの速度でも私が劣り、完全な劣勢へと立たされる。


「くっ!」


 地面を大きく蹴り、樹の枝へと飛び移る。

 接近戦は明らかに不利。

 連接剣を活かすためにも間合いが必要だった。

 男は追いかけてこなかった。


「おい魔人。どこで手に入れたのか知らないが、剣で敵わないことは分かっただろう。そろそろお得意の魔法を使ったらどうなんだ」


「……私は魔人じゃない」


「はっ。だったら証明してみせろ! 何を言っても信じないがな!」


 戦場は地面から樹上へと移っていった。

 枝から枝へと逃げる私に追いかける男。

 魔法、魔法か。

 今の状態でも有効な魔法──才能は一つしか残っていない。


「この身を霧に!」


 変幻。

 戦いで用いたことは一度もなかった。

 しかし、これ以上目の前の男に構っている時間はないのだ。


 男は放置し、ヘルダを追いかける。

 それが私の下した決断だ。


「んなカスい魔法が使えるかよお!!」


 しかし、だ。

 男が叫ぶと、それだけで霧に変わろうとしていたこの身の変幻が止まってしまう。

 いや、強制的に元の肉体の形へと戻されてしまうのだ。

 一体何が起きたのか、私には全く理解できない。


「どうしてっ!?」


「当たり前だろうがっ! 俺の前で魔法が簡単に使えるはずがねえ!」


 一瞬固まったところに鋭い剣が襲ってくる。

 かろうじて受け止めるが、樹上では踏ん張ることもできずに地面へと叩き落とされた。


「ああああっ!?」


 同時に走る鈍い痛み。

 着地の瞬間を狙われたのだ。

 それとも男が遊ぶことをやめたのか。

 私が吹き飛ぶよりも速く男は移動し、そして私の左腕を切り裂いたのだった。


 利き腕じゃなかったことがせめてもの幸いか。

 もしくは私が人ではないことも。

 けれど、ここで片腕を失うことは希望を失うに相当するのだ。


「おいおい、最近の魔人は血の色までも真似るのかよ」


 切断された左腕の付け根からは、真っ赤な血が流れている。

 そういえば、自分の血を見るのは初めてかもしれない。


 もう私にできることは何もなかった。


「何か言い残すことはあるかよ」


 勝利を確信したのだろう。

 男は目の前で私に剣を向けながらも余裕の態度だ。

 私は初めての痛みに動くことができずにいた。


「私は、魔人じゃない」


「そうかよ」


 そして──男の剣が、私のお腹に吸い込まれていった。



------



 目の前の魔人がもう動かないであろうことを十分に確信してから、ビダルはその剣を引き抜いた。

 聞いていた話よりも随分とラクな依頼だった。

 魔の森は五つの国境と接しているほどに広大だ。

 その魔の森を拠点としている魔人の暗躍。

 その正体を突き止め、討伐することがビダルの受けた依頼だった。


「こいつの見た目は魔法タイプだと思ったんだがな」


 多くの時を生き抜き、魔物から魔人へと進化しても本質が変わるわけではない。

 魔法を使えない魔物が魔人へと変わる場合、通常は肉体も適したものとなる。

 つまり、筋骨隆々の巨大な魔人になるのが常なのだ。


 しかし目の前の魔人は違った。

 見た目は華奢な女、つまりは魔法が得意な魔物が進化したのだと思ったのだ。


「ああ、つまんねえ依頼だったな」


 ビダルも普段なら依頼なんて受けはしない。

 ビダルが求めているのは大きな戦だ。

 より多くの血が流れる戦場こそがビダルの求めるものだったのだ。


 それでもこの依頼を受けたのは、エフィーダに頼まれたからだ。

 エフィーダは戦力としては頼りないが、人の才能を見抜くことを得意としていた。

 まだ目覚めていない才能を見抜き、呼び覚ますこと。

 それがエフィーダの生きがいでもあった。

 才能ある子供ばかりが攫われ、エフィーダの生きがいが奪われていた。

 だからこその魔人の討伐だったのだ。


 ビダルは動かない魔人の胸に剣を突き刺した。

 服が破け胸が露出するが興味もないから感動もない。

 ビダルは戦闘にしか興味がない。


「殺しちまったけど、逃げた子供から話は聞けるだろう」


 多少の違和感はあった。

 子供を攫うはずの魔人という話だったが、あえて子供を逃がしたのはどういうわけか。

 それもエフィーダが戻ればはっきりすることだろう。

 特に気にすることもなく、ビダルは動かない魔人の胸から核を探す。

 核を抜き取らなければ、魔人はすぐにでも復活してしまうからだ。


 しかし、いくら胸を切り裂いても流れるのは真っ赤な血ばかり。 

 核はどこにも見つからなかった。


今後は月・水・金の週3投稿となる予定です。

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