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待ち人来たらず  作者: M38
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五話

 あれから半月ほどが経った。

 もうすぐ盆休みで、お松は田舎に帰らねばならない。

 嫁になってくれるなら、若旦那はお松と一緒にとっちゃとかっちゃにあいさつしたいと言っている。


 お松と若旦那がつりあうわけがないといくら説得しても、梅太郎は納得しない。

 旦那さまや親戚も反対していないそうで、あとはお松の心ひとつだと言ってきかない。

 お松はためらっていた。

 梅太郎のことは大好きだ。

 たぶん、男女の情という意味で――。


 佐吉っさのときとは全然ちがう。

 本当に恋をしているんだろうと思う。

 だが、あまりにも身分がちがいすぎる。


 お松はほとほと困ってしまった。

 ひとりで天神さまへお参りに行って神さまに相談してみた。

 こたえなど返ってくるわけもなく、とぼとぼと鳥居をくぐって帰ろうとした。

 

「おい、お松! そこにいるのはお松だろ?」


 だれかがお松を呼んでいる。

 きょろきょろしたが、誰もいない。

 気のせいか、もしくは他のだれかを呼んでいるんだろうと思い、また歩き出そうとすると、梅の木の陰から男が顔を出した。

 

 佐吉だった――。


「佐吉っさ! いままでどこさ居たんだが? 皆がなば探してでゃし。じぇにっこば返して戻ってきやっしゃい」

「しーっ! お松、こっちさ来い! 金は女郎さだまし取られたやね。女房とは最初から上手くいってながったんだ。婿にならんと店さ置いてもらえながったんだ。おらのとっちゃは年だかきや、働かねわげさはいかね。仕方がながったんだ。本当はお松が好きだ」

「佐吉っさ……おれ、もう佐吉っさは待たね。他ばあたってけろ。だば、じぇにっこは何とかして返さないと、『大見屋』さんがたげ困ってでゃ。どごで、お岩さんはなじょしてでゃだな?」

「は? お岩? ……あ、ああ……元気さしてらぞ。お松、おまえ『近江屋』の若旦那ど良い仲のんだろ? 金ば工面してぐれ。おらもお岩も食べ物がのぐて困ってらんだ」

「はあ? 一文もねのな? ……おら、コマじゃりしか持ってねばって、こいでよがったや使ってぐれ」


 お松は手持ちの小銭をぜんぶ、佐吉に渡した。


「こいしかねのだな? 一応、もらっておぐ。若旦那から借りてぐれし? お松の頼みだば、きっど聞いてもらえら」

「それは無理じゃ。おらど若さまはんだいう仲だばありません」

「だったきや、その桜模様の小紋ば売れし! かんざしも!」

「こ、こいはかわいそんだのおなごの形見なしてす。絶対さ売れません!」

「大声ば出すの! ……だったきや、お松の親さ渡した金ば渡せ。あいは元々はおらの金だ! おらが苦労して稼いだ金だぞ。おらどお岩が困っていらんだ。返すのが人の道だべ!」 


「あのじぇにっこじゃか……だば、おらの手元さはねかきや、とっちゃが持ってら」

「だかきやの、ここさ、お松の両親さ宛てた手紙があら。おらが書いた。この最後の部分にお松の名ば書いて拇印ボインを押してぐれ。おらが直接、村さ行ってお松のとっちゃさこの手紙ば渡す」

「おらの給金ば貯めたもんではまいねだが?」

「お松の給金のんてたかがしれてら。いいがや、給金と一緒に、手紙さ署名して峠まであべ。それで許してやら」

「だば、先さ『大見屋』さんさ謝りさ行かのぐちゃまずいねし」

「いいから! 必ずあべし! 夜中だば気づかれねだべ。皆が寝静まってから出てあべ。もし、村さ帰りてだば、一緒に連れて行ってやらかきや」


 それだけ言うと、佐吉は走り去ってしまった。


「あっ! 佐吉っさ……この手紙ばどしたきやいいんだべ。だば、じぇにっこがねどお岩さんが飢え死さしてすまう……」


 お松はとりあえず、店に帰った。


「おかえり、お松。はやかったね」

「あっ、番頭さん、ただいまかえりました……筆ど墨ば借りてもいいだが?」

「ああ、いいよ。どうした? 恋文でも、もらったか?」

「んねっ! そしたらんへばりません。お借りしますだ」


 お松は店の奥の帳場のスミで、佐吉から渡された手紙の最後に自分の名を書いた。

 指に墨をつけて拇印も押した。

 そのまましばらくぼうっと考え込み、はっと気がついて番頭に礼を言うと、すぐに自分の部屋へと戻った。


「あれ? お松! 今日は仕事が休みだから天神さんへ行くっていってたじゃないか? どうしたい? 髪結いのミツのとこで遊んでくるんじゃなかったのかい?」

「おギンさん……疲れたで寄らずさ戻ってきますた。奥で休みますだ」

「そうかい……別に具合がわるいわけじゃなさそうだね……顔色がわるいけどなにか悩み事かい?」

「んねっ、んねっ、ちょこっと疲れただげじゃかきや……」

「恋の悩みかい? もしかし……若さまかい? あんたら近所中のうわさになってるよ。あたしにだけおしえなよ! いつ、一緒になるんだい?」

「そしたら仲んじゃないです。やめでけろの……」

「そうかい? じゃあ、ゆっくりお休みよ。若さまたちは外へ出ていて帰りは遅くなるらしい。あたしはカネばあと買い物に行ってくるからね」



 お松は部屋にもどると、あらためて佐吉の書いた手紙をみなおした。

 お松は字がほとんど読めないので内容はよくわからない。

 たぶん、お松の両親に渡した金を返せと書いてあるのだろう。

 こんな手紙をとっちゃたちに見せたくないなとお松は思った。

 でも、このお金がないと佐吉とお岩が困る。


 お松は行李から、自分の給金を貯めてある小袋を出した。

 桜模様の小さな袋は、若旦那が天神さまの市でこの前、お松に買ってくれたものだ。

 お松の小紋と似た柄で、もったいなくて外へは持って出れなかった。

 こんな形で佐吉に渡す事になるとは思ってもみなかった――。


 

 そうこうしているうちに夜になってしまった。

 屋敷の中は静まりかえっている。

 お松は荷物をまとめてこっそりと外へ出た。

 

 このままでは『近江屋』さんへ迷惑をかけてしまう。

 とりあえず佐吉と一緒に村へ帰ろう。

 思いつめたお松はそう決心した。

 桜の小紋とかんざし、足袋や草履は置いていった。

 自分には分不相応だ。

 お松は元のカスリ姿にもどって出発した。


 月夜だったので道には不自由しなかった。

 すぐに峠へ出た。

 まだ月が昇りきっていないので、夜中にはなっていないようだ。

 大きなエノキの下に座って、お松は江戸へ来てからのことを思い出していた。



 若さまといろんなところに行った。

 村の川のほうが水はきれいだったが、江戸の河は幅が広くて大きかった。

 川べりの小道をふたりで散歩するのが大好きだった。

 たわいのないことをはなしては、大きな声で笑いあった。


 お松が休みの日には天神さまに行き、帰りは食べ物屋へ寄った。

 市が立つ日は出店へ寄った。

 江戸の町の人にもだんだんと顔をおぼえてもらい、同い年ぐらいのともだちも何人かできた。


 のらねこのみーちゃんに毎日ごはんをいっぱいあげた。



 

 お松は江戸から、はなれたくなかった――。



 待てど暮らせど、佐吉は来なかった。

 田舎の村で、いつまでも待ち続けていたときみたいだった。

 松の名前どおり、待つしかない身なのかと、いまさらながらに自分が憐れに思えた。


 お松は待ちくたびれ、いつしか泣きながら寝いってしまった――。




 ゴ~ン、ゴ~ン。


 遠くから鐘のが聞こえてくる。

 あれは寺の朝の修行がはじまる合図だ。


 お松は、はっととして飛び起きた。



「佐吉っさ! 佐吉っさは……!」

  

 佐吉の姿はどこにもない。

 あんなに金を欲しがっていたのに、どうしたのだろうか?




「佐吉なら、いくら待っても来ねえぞ。お松がいつまでも目覚めネエからおれも待ちくたびれたぜ」


 エノキのうしろから若旦那があらわれた。


「梅さん……!」

「お松、待ち人来たらずだな。佐吉とクニへ帰りたかったのか?」

「んねっ、んねっ! わたしはただ、こい以上、佐吉っさが『近江屋』さんへ迷惑ばかけねのうに、いっしょにへ帰ろうどしただげじゃ……」

「おれのことは? いいのか?」

「わたしど梅さんだば身分が違いすぎます」

「おれのことがきらいってことか?」

「そんたらことねえ! きらいやのんて、たげ好きで……あっ……」

「だったらいいじゃねえか! 知ってるか? 飛び梅っていうのは、主人がどんなに遠くへ行っても追っかけていったんだ」

「梅さん……。佐吉っさはどうしたでかの?」

「また佐吉か……あいつはあたらしい女と一緒に江戸を出た。おれが金を持たせて、いま、関西方面に向かっているはずだ」

「ええっ! お岩さんはどしたんだが?」

「お岩はもう、他の男と所帯を持ってるぞ。今日、往来で偶然、出会ったんだ。近くの長屋に住んでるそうだ」


「ほえっ……そげなことが…………へば、佐吉さんはウソばついてたんだが?」

「ああ、そうだ! あの男は大うそつきのこんこんちき野郎だ!」

「こんこん……佐吉っさはキツネだばのぐて人間じゃが……」

「知っとるわ! 番頭の佐吉が、お松が筆を持ったままぼうっとしていたから、うしろから手紙をのぞいてみたんだ。とんでもねえ事が書いてあったんで、おれが店に帰ったところで知らせてくれた。お岩から聞いていた辺りを探したら、知らねえ女と暮らしている佐吉を見つけたんだ。おまえの親から金を受け取ったら、その女と逃げる算段だったんだぞ! あいつは一発、おれが殴っておいた。連絡があっても、二度と近づくんじゃねえぞ!」

「はい」

「お松の待ち人はおれでよいな!」

「はい」

「お松、帰ろう。おれらの家に。みー公に朝めしやろうぜ」

「はい」




 お松は若旦那に抱きつき、声をあげて泣いた。



 お松が本当に待っていたのは梅太郎だった――。



 ふたりは手をつなぎ、江戸へと戻って行った。




 お松は若旦那と盆の休みに里帰りし、翌年の正月明けに祝言を挙げた。


 佐吉とはそれきり会うことはなかった。


(おわり)

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