三章-1
「おい・・・・・・」
紫音の家の様子がおかしいという知らせを受け、駆けつけた愛留は絶句した。
家自体は何の変哲も無い、綺麗なままであったが、愛留が家に入って最初に目撃したものは、愛乃と【99】が玄関先で全力で殴り合いをしている光景だった。
「お前ら、一体何してるんだよ・・・・・・?」
靴を脱ぎ、踵を揃えた愛留がぼやくように問うと、そこで愛乃は【99】の拳を右手で受け止め、愛留を見ずに言い放った。
「紫音が黒影に誘拐された」
「そうですか・・・・・・って、はあ!?」
「【99】が攻撃をやめてくれなかったから黒影を止められなかった。だからまずこいつを殺す」
その言葉に【99】が笑い、愛乃を挑発する。
「殺せるものなら殺してみろ。神埼愛乃。俺はそう弱くはないぞ」
「ちょ、ちょっと待てお前ら!」
愛乃が【99】の頬を殴ろうとしているところで、愛留はすかさず二人の間に入る。結果、愛留は愛乃に頭を殴られた。
「いってえええっ!」
仕方なく愛乃は腕を振るうのをやめ、その代わりに殴られた箇所を撫でる愛留をじとりと睨みつける。
「何故とめようとするの、愛留」
闘争心で澄んだ瞳で愛乃は言う。愛留は苦笑いを浮かべながら、愛乃と【99】を交互に見つめた。
「まあまあ。とりあえずは落ち着けよ。一般市民の家で物騒なことはできないだろ?」
それを言われ、愛乃はぐ、と息を止めた。対する【99】は今更気づいたかのように目を大きく開く。人から言われてやっと気づいたのかと愛留は内心思いながら二人が落ち着くような声かけを心がける。
「一般人を巻き込むのは禁止されてるだろ・・・・・・? やるなら外でやれ外で」
「すまない・・・・・・少し熱くなりすぎた」
「分かればいいんだよ分かれば。【99】、熱くなるのはいいけど、ギルドマスターとしての自覚は持てよ?」
「うむ・・・・・・」
愛留はその後、念のため台所へ向かうことにした。台所へと繋がるドアが開けたままとなっている。陽だまり色の壁には愛乃が撃ったのだろう、銃弾が当たった形跡があった。銃弾による傷跡から、薄く広がったひびがそれを物語っている。
修理代はいくらになるのだろうと頭の隅で考えながら、愛留は台所へ足を運んだ。
居間と台所が繋がっている部屋だった。居間には五十二インチの液晶テレビがあり、薄い桜色のソファと対になって置かれている。五月中旬のこの季節に合う、草色の薄めの絨毯が敷かれており、清潔に保たれている様子から恵まれた環境であるようだった。右側へ視線を向けると、木製の四人用テーブルがあり、テーブルの上には優しいクリーム色の薔薇が花瓶に生けられていた。その奥にキッチンがあるようだが、荒らされた形跡は無い。反対に、テーブルの奥にある食器棚が激しく割られていた。割られ、棘のような形のした食器棚のガラス窓が、静まりきったこの場に存在している。
愛留は、その隅にうずくまっている女性の姿を発見した。
「大丈夫ですか?」
慎重な口調で愛留は声をかける。居間にあるソファに似た色のエプロンを着けた、壮年の女性だった。女性は魂が抜かれたような表情をして、床に座り込んでいる。愛留はしゃがみ込み、女性と同じ目線になって肩を軽く叩いた。
「紫音のお母さんですか?」
愛留は女性にそう問うた。母親、灯はその質問に、静かに頷く。
「ええ・・・・・・」
「おけがはありませんか?」
「いえ・・・・・・」
精神的な衝撃はある様子だが、けがは言葉の通り無さそうであった。愛留は茫然自失の状態となっている灯を、とりあえずソファに座らせようと立ち上がらせる。柔らかくも砂のような手を引いて、灯を座らせる。愛留は再びしゃがみ、灯を見上げる形で目を合わせた。
そこへ、突然這い上がるような低い声が背後からかかる。
「教えて」
後ろを向くと、愛乃が険しい目つきで棒立ちになっていた。
「あのバットを持っていた男は何者?」
バットを持っていた男?
愛乃や【99】の他に、誰かがいたのだろうか。だとしたら、食器棚を壊したのはその人物か。台所の窓が開いたままになっているのを見て、そのバットを持った男はそこから逃走したのだろうと愛留は思った。
愛留は何のことを言っているのか愛乃に問おうとしたが、愛乃の、苛立ちの濃い顔つきから今問いただすことは難しそうだった。愛乃は憔悴し、黙りこくっている灯に再度尋ねた。
「もう一度聞く。あの男は紫音にとってどういう存在?」
灯は疲れて項垂れた顔を愛乃に向けると、寂びきった声で答える。しかしそれは、愛乃が求めている答えとは違うものだった。
「貴方達は、『番号』ですね?」
意外な返答に、愛留は息を呑んだ。愛乃も同じだったのだろう。喉を鳴らす音が聞こえた。
愛乃と【99】の戦闘を見て、『番号』と判断したのだろうか。一般市民の間では、『番号』同士で殺し合いをしているといった噂も飛び交っているらしい。彼女が愛留達のことを『番号』だと認識したのも当たり前だろう。もしくは紫音が『番号』について母親に言ったのか。どちらにしろ、実際、愛留達は『番号』であり、否定する理由も無いのだが。
「はい。俺達は『番号』です」
「ああ・・・・・・やはり・・・・・・」
「しかし、貴方に危害を加えることはありません。ご安心を」
「・・・・・・貴方達は一体・・・・・・」
「俺達は、紫音さんの友達、みたいなものです」
「・・・・・・友達」
友達、と言われ、灯は立っている愛乃を見つめ、弱々しく声を出した。
「・・・・・・貴方は、紫音を守ろうとしてくれましたね」
「・・・・・・・・・・・・」
「ありがとうございます」
愛乃は自分に向けられた感謝の言葉を普段通りの沈黙で返したが、やはり愛乃の表情は心の底が読み取りづらいものであった。
それをどのようにとらえたのかは分からないが、灯は良い意味で受け取ったらしい。力の抜けた声のままだったが、愛留達に向けて言葉を放つ。
「いつかこのような日が来るとは思っていました・・・・・・」
このような日が来る?
愛留は内心首を傾げた。紫音の母親は目の前で『番号』が争い、紫音が巻き込まれることを予想していたというのだ。
愛留は違和感を覚え、疑念を孕みながら灯に尋ねる。
「何故そのように思われたのですか?」
灯は戸惑いの色を濃く残しながらも、愛留のその質問に丁寧に答えた。
「あの子は『番号』になるだろうと、前から夫と言っていましたから・・・・・・」
「何故そんな予想を?」
「あの子の髪と目の色は、昔と違いますから・・・・・・」
愛留は灯のその言葉に首を左へ傾げる。
「髪と目の色が、変化したということですか?」
「はい・・・・・・小さいときは・・・・・・普通の人と同じ、黒い色をしていたはずです」
「はず?」
愛留は灯があやふやになったところで、すかさず口を動かす。それに対して、灯は躊躇しながらも苦々しく噛み締めて、ゆっくりとした口調で話した。
「紫音は、元々私達の子ではない・・・・・・親戚の子どもだったんです」
瞳に重々しい光を宿らせ、灯は続ける。
「なので、本当に小さい頃のことは、親戚の集まりで見たことしか分からないのです・・・・・・」
「なるほど・・・・・・」
愛留は灯から視線を外し、自分の顎を撫でた。
愛乃は愛留とは反対に、納得のいかない目つきで灯を睨めつけている。
「じゃあ紫音が兄と言っていたあの男は、何故貴方を襲っていたの?」
「それは・・・・・・私にも分かりません」
「分からない?」
「はい・・・・・・インターホンが鳴って、扉を開けたら急に襲われたので・・・・・・慌てて奥へ逃げて・・・・・・」
昔は明るくて気の良い子だったのに、と呟く灯を見て、愛乃はそれ以上の追求をやめた。
立ち上がった愛留は愛乃と視線を交わし、一つ頷きあう。
愛留は灯に微笑みかけた。
「今回の件について、今から『番号』を取り扱う機関に連絡します。壊れた食器棚も、そこでなんとかしてもらえるかと。連れ去られた紫音さんは俺達に任せてください」
「! 紫音を・・・・・・紫音をどうかよろしくお願いします・・・・・・!」
愛留は右の人差し指を天井に向け、言い放った。
「それともう一つ」
その内容は、灯だけではなく愛乃まで目を剥くものだった。
「紫音さん、昔、性的な暴力を受けたことがありませんか?」
一つ、星屑が落ちる。