二章-2
それから、三日。
紫音は、愛乃に家から学校までの道のりを朝と夕方、送迎してもらっていた。
朝、家の前まで迎えに来てもらい、夕方、校門前で待ち合わせる。
はじめの一日はインターホンを鳴らされ、母に「あんな美人な友達ができたの?」と言われてしまった。母には無用な心配をかけたくないため、今度からは家の少し手前で待っていて欲しいと頼み、愛乃はそれに従ってくれた。
「・・・・・・・・・・・・」
愛乃と二人、帰路についた紫音は、沈黙に耐えるため下を見て歩いていた。人通りの多い街道を、冴え渡った青い空に照らされながら進む。
三日間、ずっとこのような調子だ。愛乃はあまり口達者な方ではないらしく、終始無言で紫音と歩いているようなものだった。無言から生まれる、独特の居づらさに耐えられず、紫音は落ち着かなくなってしまう。
そして、どうにかしてこの場を乗り切ろうと声をかけるのも、定番になりつつあった。
「あ、あの・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
呼びかけに対して沈黙を続ける愛乃。紫音はそれに挫けそうになりながらも続ける。
「その銃って、本物なんですか?」
「・・・・・・・・・・・・」
必死に捻り出して考えた声かけだった。しかしそれも黙殺され、更に居た堪れなさを感じてしまう。言わなければ良かっただろうかと考えさせられるほどの沈黙に耳を痛めた。
だが、黙殺されたと思ったことと事実は違った。
「模倣品」
「え・・・・・・・・・・・・?」
抑揚の無い声で突然言われ、紫音はそれを反芻する。
「れぷ・・・・・・りか?」
「・・・・・・・・・・・・偽物のこと。怪我を負わせるくらいしかできないようにされてる。致命傷には至らない」
相変わらず感情の読み取れない、淡々とした口調で説明する。無視をしたわけではなく、自分の中で言葉を考えていたのだろう。愛乃は銃が入っているウエストポーチを軽く叩きながら続ける。
「一応、『番号』の中でも人殺しは一○(ヒトマル)法で禁止されてるから。・・・・・・一応だけど」
「は、はあ・・・・・・」
再び訪れる、沈黙。
話が続かない。
紫音は頭を抱えそうになりながらもなんとか堪えた。
「・・・・・・話聞いてる?」
「は、はい?」
愛乃が話しかけていたらしく、それに気づかなかった紫音はどぎまぎしてしまう。愛乃から話しかけるのはこの三日間の中でも珍しい事例だった。
愛乃は訝しげに紫音を見つめた。ふわりと、愛乃の下ろした長い髪が舞う。
「ちょっと付き合ってもらいたいところがあるんだけど」
紫音が愛乃についてやってきたのは、町内にある民間プールだった。
建てられている施設としては新しい部類らしく、白い壁が綺麗に塗られている。汚れ等もあまり目立っていない。人の出入りは少なく、閑散とした雰囲気が漂っている。駐車場は車の姿が一、二台程度しか見受けられず、騒がしい様子が無かった。
紫音は、整然とした場所だなと思った。このように整えられた空気の場所は好ましい。紫音は人が雑多としていないことが好きだった。
もしかすると愛乃とは趣味が合うのかもしれない。紫音はなんとも言えない心境のまま、愛乃の後ろについていった。
中に入ると、綺麗に掃除されたロビーが目に入る。水色に反射するプールと似た色で、壁は彩られていた。床は灰色で、硬質な質感が伝わってくる。
「おや、愛乃ちゃんじゃないかい」
「おじさん、今日は人が少ないのね」
玄関口で、五十代程の男性が愛乃に話しかける。愛乃の顔見知りらしく、親しげだ。
「今日も一つ泳いでいくかい?」
「ええ」
愛乃が紫音の方を見やって、顎でこっちに来いと示す。
「あなたも来なさい」
「え、ええ?」
紫音はどうしたらいいか分からずに、ただ為すがまま愛乃についていく。曲がり角を曲がり、女子更衣室という札がかけられてある部屋に入っていった。
「あ・・・・・・あの・・・・・・」
「何?」
紫音は股を擦り合わせながら、競泳用プールで泳いでいる愛乃を眺めやる。水着は愛乃から借りたものだ。露出が高い、黒のビキニ。そういうことに敏感な年頃の紫音は、あまりにも恥ずかしすぎたため、愛乃の着ているパーカーを借りた。
対する愛乃は堂々と白のビキニを履き、ゆったりと水に背を預けて泳いでいる。
室内プールにはほとんど人がおらず、自分達を見ている人も少ないだろう。恥ずかしがっている紫音がおかしいのかもしれない。それでも紫音は恥ずかしかった。
「な、なんでプールなんかに・・・・・・」
「私が泳ぎたかったから」
おどおどとしている紫音に、愛乃がはっきりと言い切った。この人は明確に言う人だな。紫音はプールサイドぎりぎりでしゃがみながら頬杖をついた。
「さ・・・・・・最近、私に付き合ってるから、泳ぐ時間減ったんですか?」
「・・・・・・違う」
低音の効く声で、愛乃は言う。水の跳ねる音が聞こえる。水晶玉のように壁の色を映した水は、空色に輝いて天井を咲かせていた。
愛乃は水の中で浮遊していたが、垂直に立ったかと思うと、何かを言おうとした。
「私の気分」
「は、はあ・・・・・・」
緊張に胸を高鳴らせていた紫音は、少しだけがっかりした。愛乃は悪戯にゴーグルのゴムを引っ張っている。
この人はもしかしたら、私のことを慰めているのかもしれない。
どうして突然ここに連れてきたのか、理由が欲しかった。だが、この人の言う通り、この人が行きたかったから、気分がそうだったからかもしれない。紫音には自信が無かった。しかし、その予感は確信に変わる。
「パーカー脱いで」
「は?」
思わず紫音は聞き返した。その様子に苛立ったのか、しゃがんでいる紫音へ手を伸ばし、濡れた手でパーカーのチャックを開ける。
「う、うわあああ」
「何叫んでいるの。早く」
だって、貴方の水着、露出が多すぎるんですもの・・・・・・!
内心抗議しながら、紫音は渋々パーカーを脱ぐ。パーカーの脱ぐ手が止まりそうになるが、愛乃がその度に睨んでくるため、圧力に負け、止めることはできなかった。
濡れないように、プールサイドにあったフェンスにパーカーをかけておく。胸元を自分の腕で隠し、たどたどしい歩みで愛乃のところへ戻った。
「ほら」
「え・・・・・・?」
愛乃が不器用なほど真っ直ぐに手を差し伸べてきた。
ど、どうしたらいいんだろう・・・・・・?
考えあぐねていると、愛乃が業を煮やし、紫音の右手を引っ張った。
「きゃっ・・・・・・!」
バランスを崩した紫音は、激しく音を立ててプールの中に入る。水は盛大に跳ね、空に弧を描いた。水に浮遊する感覚に、手と足で慌てて水を掻く。ひんやりとした水が覆い被さってきた。
「わ、わたし、泳げな・・・・・・!」
「・・・・・・落ち着いて。あなたの身長なら底に足がつく」
そう指摘され、紫音は底に足をつけようとする。底に足をつけると、すっくと立つことができた。
「あ、立てた・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
呆れているのか、何も思っていないのか、愛乃が無言で紫音を見つめる。普段から口数が少ない人だが、これではなんだか気まずい。何か言ってほしい。愛乃の表情からはどんな感情も読み取れなかった。
それにしても、間近で見ると本当に綺麗な人だ。長髪をキャップにしまい、曝け出されたうなじは透き通るほど白い。身長も女性としては高いほうだろう。白い肌に高めの身長。それだけ言うと黒影に似た共通点があった。
水のような人だ。
紫音は愛乃を見つめながら、そう思う。
紫音を水の中に入れた愛乃は、さも自分の役目を終わらせたとでも言うように背泳ぎをし始める。愛乃の膨らんだ胸が縦に伸びる光景に、紫音はつい目を背けてしまった。見てはいけないもののような気がしたのだ。
この人は、胸も大きい。
紫音は自分の胸と比べて、その格差に愕然とした。私も三、四年したらあれくらい大きくなるのだろうか。そう思ったが、しかし、その差は歴然としていた。
足もすらりと伸び、自分の魅力を余すことなく他人に伝えている。本人にそのつもりは無いのだろうが、愛乃の存在感と美貌は、明らかに一般人とは違っていた。
「・・・・・・? 泳がないの?」
「え・・・・・・えと・・・・・・」
綺麗だと思いながらぼんやりと愛乃を眺めていた紫音は、話しかけられたことに動揺する。
「私・・・・・・泳げなくて」
愛乃は一旦間を置き、一度背泳ぎをして離れた距離を縮める。紫音に近づき、底に足をつけて向き直った。
「泳いでみて」
「え?」
聞き直すと、無言の圧力が紫音を襲う。しょうがなく、紫音は泳いでみようとした。
沈む。
「・・・・・・・・・・・・」
ぷくぷくと水泡が水面に浮かぶ。手と足を動かし、なんとか泳いでみようと試みるが、前にも後にも進まない。これではただの溺れている人だ。
「一回立って」
愛乃に腕を上へ引っ張られ、水から顔を出した。塩素の匂いが混じった酸素を一気に体内へ取り込む。はー、はー、と、呼吸をする音が頭に響いた。
愛乃は首を傾げる。悩んでいるのだろうか。
「・・・・・・手と足を動かさなくてもいいから、力を抜いて浮いてみて」
「え・・・・・・でも・・・・・・」
「身体は支えてるから」
愛乃に言われるがまま、底から足を離す。
力を抜く。力を抜く・・・・・・。
そう意識すればするほど、力がこみ上げてきてしまいそうだ。そこをぐっと堪え、目を瞑る。紫音の腕に誰かが軽く触れる。愛乃だ。本当に支えてくれているのだ。そう思うと、緊張が解けた。
・・・・・・・・・・・・あ。
身体が空へ舞い上がるような浮遊感が、紫音の身体を包んだ。
恐る恐る目を開けてみると、空色に彩られた床の色が映えて見える。外側から漏れ出す光が床を照らし、幾何学模様を生み出していた。
教会に行ったことは無いが、もしかすると教会もこのような場所なのかもしれない。水のステンドグラスが、足をつけるだけの底を鮮やかに彩っていた。
「・・・・・・ぷはっ」
息が長続きせず、紫音はすぐに立ち上がった。あの光景を見られたのは、ほんの数秒だった。
息をあげて、目を擦る紫音に、愛乃が無表情のまま聞く。
「・・・・・・水の中も、なかなかいいでしょう?」
「・・・・・・はい」
愛乃の表情が心なしか、柔らかくなった気がした。
愛乃は背泳ぎをして、手すりの方へ近づいていく。もうプールからあがるのだろうか。
しなやかな腕を手すりに伸ばして、足をかけた愛乃に尋ねる。紫音に猫のように細やかな背を見せていた。背骨が綺麗だ。
「あの・・・・・・どうして私を連れてきたんですか?」
紫音はずっと疑問に思っていた。プールに行きたいならわざわざ自分を連れてこなくてもいいはずだ。確かに愛乃に護衛を頼んでいるが、私が学校に行っていない間、ここに来ることも可能だったはずだ。
愛乃は口元に当てて少し逡巡したあと、静謐な声で言った。
「ほっとけないの」
「え?」
「それだけよ」
紫音に顔だけ向け、愛乃はそう言い切った。
何が何だか分からない紫音は、愛乃に倣って手すりを掴む。足元に気をつけてプールからあがった。
愛乃は仁王立ちで続ける。
「あと・・・・・・伝えることがあったから」
「え?」
「私、ついてるの」
何がついているんだろう。紫音は首を傾げた。紫音は指を下に差す。それに沿って視線を下にずらすと、下半身に目がいった。
ビキニが少し膨らんでいる気がしないでもない・・・・・・が。
紫音は血が顔に終結する感覚に見舞われた。
「え、え・・・・・・え!?」
一体どういうことなの!?
困惑で頭に血が上ったり、さっと引いたりしている。何度も愛乃と目を合わせ、上半身と下半身を交互に見やるが、どうにもならなかった。愛乃には胸もある。華奢で、女性の外見でもある。しかし、ついている。言われるまで気づかなかったが、ついている。
愛乃は動揺している紫音を気にすることもなく、手を腰に当てたまま話す。
「な、なんで・・・・・・!?」
「昔からこういう体質なの。私」
愛乃は、女性の身体も持ちながら男性の身体も持っている、ということだろうか。そんな大事なことを、何故教えてくれたのか。そんな体質であれば、ばれてしまえば人から剣呑に扱われたり晒し者にされたりしてしまう。
「な、なんで私に教えるんですか」
「んー・・・・・・」
無表情の愛乃にしては分かりやすい、考える仕草をした。
「・・・・・・気分、かしら」




