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一章

朝起きた瞬間、いつもとは違う感覚が胸に滞在していた。

 

 深い眠りから覚め、まだ眠気から抜け出せずに目を凝らす。徐に寝台から足を下ろし、セピア調のカーテンを開けて太陽光を部屋に招き入れても、大いなる眠気から解放されることはなかった。

 しも霜端紫音しもはた しのんはぼんやりと考える。


 ・・・・・・・・・・・・いつもと違う。


 普段とは違う感覚に、紫音は首を傾げた。確かに何かが違う。そう感じているはずだが、何が違うのかはっきりと認識することができない。

 まるで自分を形容する何かが変化したような、そんな違和感。

 紫音は眠気に蹂躙された頭を稼動させようとするが、結局上手くいかず、違和感の正体の解明を諦めた。

 覚束ない足取りで自室から出て、階段を降りる。リビングに入ると、朝食の準備をちょうど終えた母、あかりと、椅子に座り新聞を広げている父、蔵威くらいの姿があった。

「おはよう」

「おはよう、紫音」

「おはよう。朝食もうできてるから、顔洗って食べちゃいなさい」

ぼんやりとした声音で朝の挨拶を言う紫音に、二人はそれぞれ挨拶を返す。自分の感覚とは裏腹に、普段通りの様子である両親を目にして、紫音は安堵の息を漏らした。

 なんだ、何も変わっていないじゃないか。

 謎の違和感はきっと自分の気のせいなのだと考え、洗面所へ向かう。

 洗面台の鏡に映された自分の姿を見て、紫音は顔をしかめた。


 日本人離れした薄い桃の目と、白とも銀ともつかない髪の色。


 両親の黒い髪と瞳とは違う、忌々しいこの色達を鏡越しに睨みつけた。同時に、胸の内に滞在する違和感を払拭できない事実に苛立つ。顔を丁寧に洗い、必死に違和感を拭い去ろうと格闘している鏡の中の自分を見つめた。



 家族と共に朝食を食べ、学校の仕度をして、いつも通りの朝を過ごした。しかし結局、目覚めた直後から違和感で満たされた感情を消し去ることができなかった。

 紫音は朝特有の気だるい身体を動かして、学校指定の鞄を背負う。父は自分よりも早く家を出るため、既に父はいない。母だけに玄関先で言う。

「いってきます」

 紫音はそうして重たい足を外の世界に向けた。

 簡素な住宅街を抜け、橋を渡り、店が立ち並ぶ通りへ出る。紫音の通う市内の中学校に辿り着くまで、普段と変わらなければ大体二十分の時間を要す。店の並ぶ、朝でも人通りの多い街中。仕事や学校へ行く車や人で溢れているが、暴動等物騒なことは勿論起こらず、整然としている。まだ日が昇ってから間もない時間帯、薄い濃度の青空が遠く上空にあった。

 何一つ変わらない、平和な朝。

「・・・・・・・・・・・・」

 それでも拭い去れない、しこりのように残った違和感に紫音は顔を顰めた。

 そして、その違和感の正体が突然発覚する。


 さりげなく通り過ぎた男のこめかみあたりに浮かぶ、『番号』。


「・・・・・・・・・・・・!?」

 それは、遠目から見ても視認できたが、直接見えるものではなかった。幽霊が見えるのだとしたらこのように見えるのだろう。おぼろげで危うい、手では掴めない、そんな存在だった。男に浮かんでいた番号は、【3974】。その男は他の二人の男達と共に歩いていた。どうやら仲間らしい。二人の男達にも、番号が浮かんでいた。その瞬間、紫音は違和感の正体に気づいてしまった。

 自分の『番号』を知りたくても知ることができない、もどかしさの混じった違和感の正体に。


 自分が『番号』になっている。

 昨日までとは違う変化に、今やっと気づいた。ゆっくりとした動作で、自分の血の気の多くない頬を指先で撫でる。明確な根拠は無いが、自分を形成している何かが『番号』となったことだけは分かった。

 だが、男達の『番号』ははっきりと見えるが、自分の内に住みはじめた『番号』は、まるで霞がかかったようにぼやけて見えなかった。


 『番号』。普通の人とは違う、特殊な能力を持った人達。少なくとも紫音はそのように理解している。否、それしか知らない。警察では手に余るため、特別な集団が『番号』達の風紀を正している、『番号』同士が手を組んだチームが抗争しているといった噂は耳にしたことがあるが、紫音には関係の無い、別世界の話だった。そう、今までは。

「・・・・・・本当に、見えるんだ」

 紫音は男達を見つめながら、呆然と呟いた。


 何故だろう。何故こんなことになってしまったのだろう。

 これ以上の変化は望んでいなかったというのに。

 綺麗な家、優しい両親、平和な学校生活――このまま平穏に過ごしていたかったのに。


 その願いは虚しくも無残に打ち砕かれた。男達が棒立ちになっている紫音に気づき、近づいてきたのだ。慌てて目を逸らすも、彼らが紫音に近づいてくる足音が鳴り止むことはなかった。嫌な予感が背筋を駆け巡る。身体を翻し、足早にこの街道を後にしようと歩く。何故男達が自分を追いかけてくるのか分からない。だが、足を止めれば何かされるであろう予感が脳内でぐるぐると巡っていた。駆け足気味に歩いていくと、目の前にこちらへ向かってくる一人の男が近づいてきていた。【1918】という番号が浮かび上がる。どうやら目の前の男も『番号』らしい。


 ・・・・・・・・・・・・この人もあの人達の仲間!?


 直感的に追いかけてくる男達の仲間だと思った紫音は、男達から逃げるため角を右に曲がり、店と店の間の細い道へ入った。広い街道は一本道で迷子になどなりはしないが、少しでも曲がると店や家が煩雑とした路地裏へ出る。前と後ろで挟み撃ちされることを避け、この薄暗い道でかく乱しようとしている紫音の足は、既に全速力で道を駆け抜いていた。ぼろぼろに固まったコンクリートを踏むたび、触角のある虫がさらさらと道をあける。このまま学校を目指そうと息を切らし走っていた。薄暗い角を左に曲がろうとしたところで、一人の男性にぶつかりそうになる。

「ご、ごめんなさい・・・・・・・・・・・・、!?」


「おいこいつか? お前らを見てた奴は」


 その男性は、右手でスマートフォンを右耳に掲げながら紫音を見下ろしていた。

 番号は【2006】。電話越しに聞こえてくる声は、背後から近づいてくるそれと同じタイミングで発されていた。それがどういう意味をもっているのか理解した紫音の頭は、一瞬のうちに真っ白になった。

「あ・・・・・・・・・・・・」

 紫音は茫然自失となり、ふらふらと汚れた壁に背中をつく。

 背後から追ってきていた4人の男達の足音が近くまで来て、止まった。


 何故だ、何故この男達は自分を追ってきたのか。


 確かに自分は見知らぬ他人を眺めるという非常識な行為をしていた。しかし、ここまでして追い込まれる理由は無いはずだ。ましてまだ十五にも満たない女子を大の男五人が追いかけるなど、冷静に考えたら異常である。

 【2208】の番号がこめかみ浮かんでいる、スマートフォンを持った男が、強張った様子で叫んだ。

「おい、こいつ、『永劫回帰』だ!」


 『永劫回帰』?


 聞き慣れない言葉が、その後も男達の間で飛び交う。

「まじだ・・・・・・『番号』だってことは分かるのに、数字が見えねえ・・・・・・!」

「大物じゃねえか。こいつ殺ったら俺らの『格』が上がるな」

「待て! まずはマスターに連絡してから・・・・・・」


『永劫回帰』? 『格』? 『マスター』?


 一体何の事を男達は話しているのだろう。自分には知る由も無い言葉だ。

 男達の話しぶりからすると、男達も紫音の『番号』が視認できないらしい。


 紫音には、今日の朝、突然無慈悲に与えられた『番号』が見えなかった。

 それ故の違和感は、普通であれば知っているはずなのに知ることができない、あの不思議で嫌な感覚とよく似ていた。

 自分が一体何者であるか明示されない、そんな気味の悪い感覚。

 しかしそれを自覚したところでどうなるのだろう。結局自分にはこの状況を打開することなどできないのに。

 頭の中に靄が発生する。いつもそうだ。大事な場面になると、いつも紫音の意識は遥か彼方へ飛ぶ。思考が覚束ない。ぼんやりと眠気が襲う。何も考えられない。考えたくない。


 大切な家族に関するときも、こうだった。


紫音の意識が完全に解離する、その時だった。



 目の前に、黒い蝶が、



「・・・・・・・・・・・・!?」

「なんだお前!」

 男達が突然上空から舞い降りた蝶に驚きを隠せないでいる。風に煽られたジャケットが、真っ黒な蝶の羽を連想させる。紫音が蝶だと思ったのは、どうやらそのジャケットと、流れるような黒髪のせいであるようだった。


 ひらり、ひらり


 腕に伝う黒い液体のようなものが、そっと絡み合って身体を溶かす、そんな人物。


 紫音と男達の間に降り立ったその人物は、背中だけ見ていると男か女か判別がつかなかった。肩が薄く、華奢な男性にも、背の高めな女性にも見える。顔立ちは背中を向けているため分からない。中途半端に毛先を纏めた長い髪も、姿を細く見せる服装も、全てが黒檀のようだった。腰には長い得物が装着されている。黒くて長い、刀と思われるものだ。


 その人物は【6304】の声に耳を傾けず、男の首に手刀を入れた。

「な・・・・・・っ」

 【6304】 が倒れたことによって他の男達が浮き足立つ。その間に黒い蝶は腰に着けていた、鞘に納まった刀の柄を手に取った。そのまま鞘から刃を抜かずに、旋回して素早く【2208】の鳩尾を刃の部分で突く。

 男達が悲鳴をあげる隙さえ与えず、蝶は次々と仕留めていく。刀を蛇のようにぬるぬると動かし、【1918】の首筋に叩き込んだとき、その顔立ちが見えた。

 男だ。

 呆けた意識の中、紫音はそう確信した。

 雪のように白い肌、切れ長の目元。一瞬しか見えなかったが、背筋が凍るほど美しい男だった。身体だけではなく、顔のつくりも男女の区別がつかない。中性的な雰囲気のある男性だ。性別があやふやな印象を与えるが、紫音は何故か男性だと感じた。理由は無かった。

 それにしても不思議なものだ。刀を使う人というのはこれほどまでに静謐なのか。残りの【3974】と【2006】を流れに身を任せるように叩き伏せる。苛烈で静謐な身のこなしだった。

 蝶は5人の男を気絶させると、腕をだらりと下げ、視線を紫音へ向けることもせず俯く。


 紫音はこの蝶に見惚れていた。まるでこの世に存在しているとは思えないほど美しい人間だ。見た目だけではない。彼を内包する何かが、きらきらと瞬く星屑のようだった。

彼をじっと見つめている自分に気づき、紫音は少し恥ずかしく思った。熱くなる顔を隠すために深くお辞儀をする。

「あの・・・・・・助けていただいてありがとうございました」



 そう言って顔をあげると、鞘から現れた刃が、紫音の首にあてられていた。

「え・・・・・・・・・・・・?」

 突然の出来事に思わず声をあげる。

 人が人に刃を向けることなど考えもしていなかった紫音は、この事態をうまく飲み込むことができなかった。しかし、皮膚に触れる生々しい刃の感触は本物で、紫音は棒立ちになる他なかった。

 だが驚いたのは紫音だけではなく、蝶の側も同じだった。白とも銀ともつかない髪の色に驚いているのか、薄い桃の瞳に驚いているのか、もしくはその両方か、蝶は目を丸くして紫音と初めて目を合わせた。今まで紫音を見ていなかったのだろう。そのような印象を受けた。

 独特な光沢のある目だ。紅玉のような赤い目だ。

 それだけではない。彼のこめかみあたりに、ぼやけた文字みたいなものが見える。だが、はっきり見えることは無い。自分と同じように、霞がかかって見えない。

 蝶は動揺した声音で、紫音に呼びかけた。

「お前・・・・・・!?」



 中性的な容姿と均衡が保てない男の低い声がそう言った瞬間、銃声が突如として鳴り響いた。


 銃声が響いたと同時に、黒い蝶は刀で何かを振り払う。もしかして、蝶は銃弾を断ち切ったのか。だとしたら、異常な程の反射神経だ。

音の鳴った、紫音が逃げてきた方向に目を向けると、2人の少年少女の影があった。

 どちらとも似たような髪の色をしていた。薄い茶の髪を伸ばした少女が蝶へ銃口を向けている。発砲したのは彼女だろう。デニムパンツから伸びた生白い足から、強烈な少女性が醸し出されている。

 少女と背格好が似ているもう1人の人物は、男性とも女性とも聞き取れない声を黒い蝶に向けた。


「やっほう! 黒影さん!」


 そう言った瞬間、その少年はもうそこにはいなかった。再び蝶のほうへ振り向くと、蝶と少年が向き合っていた。

 いつの間にこんなところまで・・・・・・?

 紫音が何度も瞬きをしている間にも、突然消えては現れ、黒い蝶に手や足を振る少年。はじめは何が起こっているのか分からなかったが、そのうち、少年が消えたり現れたりするのは彼が目にもとまらぬ速さで動いているからだということを理解した。

「貴様、〈絶対速度〉か・・・・・・!」

「ふふん、そういうこと」

 突然の人物の登場に声をあげた蝶は、少年と距離をとりたそうに後退するも、それ以上に追いつかれてしまうようであった。刀はリーチが長いが、その隙をついて蝶の急所を狙っているらしい。蝶は防衛に徹している。人間離れしたそれらの動きに、紫音は立ち尽くすしかなかった。

「残念だけど、『永劫回帰』の首をとらせるわけにはいかないんでね! 邪魔させてもらうぜ?」

 蝶は少年のその飄々とした態度がかんに触ったのか、太刀打ちできないと思ったのか、どちらかは分からないが舌打ちをした。

「・・・・・・・・・・・・っ、仕方がないな」

 蝶はジャケットを翻し、壁に足をかける。その反動を使い、壁を伝って上へ登っていった。一旦退くのだろうか。

 紫音は呆然としたまま上へ顔を向け、蝶の姿を焼きつけるように見つめ続けた。


 ひらり、ひらり


 彼の長くて黒い髪の毛が、瞳の裏について離れない。


「ひええ!? あいつ、人間かよ・・・・・・?」

 先ほど人間業とは思えない速度を出していた少年も上を仰いでいた。

眺め続ける紫音と少年をよそに、少女が再び発砲する。

「やめとけ、愛乃あいの

「うるさい」

 蝶を追いかけるのか、そうして少女は紫音と少年の間を潜り、どこかへと走り去っていった。

 あの黒い姿はもう見えない。壁を伝い屋上まで逃れたのだろうか。


 まるで嵐のようだった。


 はあ、と一息つくと、少年が紫音のほうへ歩み寄り、手を伸ばした。

「大丈夫か?」

 大丈夫も何も、自分は何一つけがをしていない。大丈夫だと伝えようとしたが、声が掠れてうまく声にのせることができなかった。代わりに、一回だけ首を縦に振る。

「それならよかった」


 少年は太陽のような人懐っこい笑みを浮かべ、紫音にこう言った。



「はじめまして! 俺達はあんたを助けにきたんだ」






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