終章
「お邪魔します」
『つがひ』の裏口から、紫音は高めの声をあげた。
「あら、いらっしゃい。紫音ちゃん」
調理台の方から渚の、紫音の来訪を歓迎する声が聞こえる。カウンターからひょっこりと顔を出し、喜びに満ちた表情を曖昧なものへと変えた。
「それに、霧夜も」
「・・・・・・・・・・・・」
紺白は、長い髪を前へ垂れ流して会釈する。
学校への帰り、門の前に、彼は背筋を伸ばしてそこにいた。
彼と紫音は軽く視線を交わした後、それが当たり前かのように無言で紺白は紫音の一歩後ろへ着いて歩いた。
要するに、自然と紫音に着いてきたのである。
紫音はそれを気にすることもなく、そのまま『つがひ』の門を開いた。
そして、紫音と紺白は並んで『つがひ』に入る光景も、馴染み深いものになっていた。
「よっ、お二人さん!」
愛留が右手で緩く敬礼するのと同時に、愛乃がこの世のものとは思えない険しい顔つきで二人を、詳しくすると紺白を睨んでくることも。
無言で威圧をかけるその姿は、愛乃の美しい容貌を歪めている。
「あれ? 【99】さんもいる」
「久しぶりだな、紫音殿」
カウンター席に座っている【99】に声をかける。【99】は微笑んで紫音に会釈をした。
兄とのあの事件から一週間。紫音は平穏な生活を手に入れていた。
自分が『番号』であることを両親に知られてしまったが、両親はそれについて詳しい言及はせず、愛留達との交流を良しとしてくれた。紫音は心の底から安心したが、それで果たして本当に良かったのか。些か不安にはなるが、時間がきっと解決してくれるのだろうと期待を抱きながら、紫音は少しずつ前を向き始めていた。
「どうだ? 番号の生活には慣れたか?」
愛留の茶化すような口ぶりに、紫音は苦みの含んだ笑いを浮かべる。
「はは・・・・・・どうでしょう」
「紺ちゃんが着いてきてくれてるから、安全っちゃ安全だよな」
愛留は手を上へ伸ばしながら明るく言葉を続ける。
「あ、逆にそれが鬱陶しかったり?」
「それもそうですね」
さらりと言ってのけた紫音に、紺白は分かりやすく狼狽した様子を露わにした。
手を空中に彷徨わせて、どうしたらいいのか分からないという気持ちを全面に押し出している。顔色は心なしか青い。
「な・・・・・・っ、そんなふうに思ってたのか・・・・・・?」
「本当に冗談が通じねえなお前」
紫音の言葉を本気にしている紺白の姿を見て、愛留がけたけたと笑った。つんと澄ましていた紫音も、愛留の笑いにつられてくすくすと小さく笑う。
大きく笑っていた愛留は、ふ、と表情を変え、紫音に向き直った。
「ところで、お兄さんの件だけど、さっき【剣】から連絡が入った」
結局、紫音と紺白に、兄は殺せなかった。
『一つ、頼みたいことがあるのだけど』
あの時、兄を気絶させ、【剣】に運んでもらいたいと頼んだのだ。
実際、紺白はそうしてくれた。刀を振りかぶったと見せかけて、青花が目を瞑ったところを、手刀を首元に叩きいれたのだ。気絶した青花を、【剣】に連絡して安全なところに連れて行ってもらった。
『いざとなったら、殺しても?』
青花を助けたいという紫音は、僅かな時間迷ったが、一つ縦に首を振った。紫音は、いざとなったら兄を殺すことも考えていた。あの時兄が紫音に縋る目で言った願いを、叶えるべきであるかどうか。
『俺を殺してくれ』
小さい頃、兄が、母や同居人の血に塗れた包丁を握り締め、確かにそう言ったのだった。紫音はあの光景を思い出しながら、兄に想いを馳せる。
結局、紫音に兄は殺せなかった。兄は、これから抑えられない負の感情に苦しめられることになるだろう。それは、生きることより辛いかもしれない、ということを、紫音は薄々感じ取っていた。私は酷い妹だ。それでも、兄を殺せはしなかった。
結局、紺白にも重い罪を背負わすことにならなくて良かった。良かったの、だろうか。
愛留が神妙な顔つきで、紫音に告げる。
「暴走が酷くって、自傷行為に走るときもあるんだってさ。辛い感情に負けて、ね」
「・・・・・・そうですか」
紫音は短い言葉を返す他無かった。それは随分寒い、想いの込められていない言葉に聞こえただろう。紫音自身も、薄っぺらい言葉だと感じていた。
やはり、これで良かったのだろうか。
言葉を失って、気づく。自分のやったことは、果たして良かったのだろうか。兄を、暗い感情から解き放してやれば良かったのではないか。兄が【剣】に保護されている今、紫音にできることは何も無いが。
ずん、と無言になり、空気が重くなったのを感じたのか、紺白が咳払いした。
「・・・・・・結局、お前の思惑通りになったな」
「え? 何が?」
愛留が素っ頓狂に言う。自分に対して言われていることに気づいている態度だ。そのふざけた様子の愛留に、紺白が食ってかかった。
「紫音の番号は覚醒した。兄との関係も露呈した。お前は知りたかったんだろう?」
「やだなあ、紺ちゃん、怒ってる?」
「怒っている・・・・・・そうだ、俺は怒っている!」
怒りが混じった声を荒げ、紺白は愛留の胸倉を掴んだ。紺白は大袈裟なほど真面目な顔つきで愛留にかかっているが、対する愛留はにへらにへらと笑っている。掴みどころの無い人だ。
「そもそもお前があの時紫音の兄を【剣】に引き渡していれば、紫音は胸に怪我することなど無かったんだぞ!」
「でも、治ったじゃん」
「確かに治ったが・・・・・・いや、そうでなく!」
紺白があまりに大口を開けているせいで、愛留の顔に唾がかかっている。愛留は笑顔を苦々しげに歪め、右耳を手で塞いだ。
紺白が切迫した顔を更に険しくし、言い切る。
「お前のやってることは、非人道的だ!」
「それ、あんたが言う・・・・・・?」
【99】も、何度も頷きながら紺白と意見を同じくした。背筋を伸ばして、目を瞑る。
「そうだな、貴様はあまりにも人として間違っている」
「それ、お兄さんを手伝ってたお前が言うこと!?」
紺白と愛留がそんなやり取りをしていると、愛乃が箒で掃く手を緩めないまま呟いた。
「・・・・・・私も、そう思う」
「ええー、愛乃も?」
愛乃の呟く様子は、どこか嫌々だった。宿敵である紺白と意見を同じくするのは本人にとって最悪なことなのだろう。愛乃は忌々しげに呟くと、きっ、と口を閉じてしまった。
高く結んだポニーテールが緩やかに舞う。
愛乃を見て、自然に笑みが漏れた紫音は、茶化した口調で言った。
「そうですよ愛留。あれ、すごく痛いんですからね」
「う、うう・・・・・・悪かったよ・・・・・・」
愛留が頭を掻きながらぼやいた。その様子だとまた何かやりかねないなと、紫音はぼんやりと思った。愛留は頼りになるが信用はできない。
「そうそう、ところでさあ」
自分に害が及ぶことを恐れたのだろう、愛留が話を切り替えようとする。紺白が苦言を言おうとしていたところに、愛留が言葉を重ねる。
「ギルドを作ろうと思うんだよね」
「ギルド?」
「そうそう、ギルド!」
ギルド。それは、【99】が運営していたよろず屋と似たようなものなのだろうか。紫音の頭の中に、イメージがふわふわと浮遊していた。
「初めにも言ったと思うんだけど、俺、番号になりたての人をサポートする活動してるんだ。どうせなら、ギルドにして活動したほうが、楽しいし楽じゃないかなーって。仕事とか分担できるし。何か起こったら助け合えそうだし」
「へえ・・・・・・面白そうですね・・・・・・」
「そう、そこで!」
そこで愛留が勢いよく紫音に指を差した。それから順に、紺白と愛乃、渚を差す。
「紫音」
「はい」
「紺ちゃん」
「なんだ」
「愛乃」
「・・・・・・・・・・・・」
「母さん」
「なあに?」
愛留は胸を張り、腕を組んで鼻息を荒くした。
「初期メンバーはこの五人でやろうと思うんだ。名づけて、『黄金の夜明け団』!」
その言葉を聞いて、紺白が慌てる。
「ちょっと待て! 俺もか?」
「あったりまえっしょーん。ここまで仲良くなっちゃったんだもの」
「仲良くなってない!」
【99】も腕を組み、首を傾げている。
「『黄金の夜明け団』というのもおかしい名前じゃないか? 何故オレンジジュースなんだ?」
「オレンジ色って明るいし、美味いからに決まってんだろ! 文句あるか?」
「大分適当だな・・・・・・」
愛乃も眉間に皺を寄せ、苦虫を噛み潰して言う。【99】と同じ違和感を持っているようだ。
「・・・・・・私もそういうの、好きじゃないわ」
「ええ! なんだよ、冷たいなあ! なあ母さん、良いと思わないか!?」
「私は・・・・・・」
渚は曖昧な表情を浮かべると、ゆっくり頷いた。どこかしら楽しげな、それでいて昔を想い馳せるような雰囲気で遠くを眺めている。
「とても良いと思うわ」
「よし! 決定! これ決定な! 決定だからな!」
「愛留、うるさい」
愛留が腕をぶんぶんと振り回して決定事項を告げる。その騒がしい姿に愛乃は苦言を呈した。
私も、いいのだろうか。
紫音は、胸元を右手で握る。古風なデザインの、セーラー服のスカーフがくしゃりと捩れた。
「あの・・・・・・」
その一言で、紺白、愛留、愛乃の三人がこちらを見た。
胸がどきどきする。気分が高揚している。どこか気持ちが良い、とくとくという音が鼓膜を震わす。三人のぼやけた数字が、ゆらりと揺らいだ。
「私も、いいんですか?」
小さく震える声でそう言うと、紺白が手を差し出してきた。白く、細い手。
ああ、やっぱり好きだな。
紫音は、紺白の手をおそるおそる握った。紺白は、しっかりとした手つきで握り返してくれた。彼は心底嬉しそうに微笑み、私を見つめた。その紅い目。星を混ぜた宝石のような瞳は、私だけを見つめていた。
彼に惹かれたのはやはり偶然なのだろうけれども、その偶然を大事にしたい。彼が私を助けてくれたのも、守ってくれたのも、それは勿論、偶然なのだけれど。
一目惚れをしてしまって、本当に私は心が軽い人物だ。彼のように重厚な魂なんて、持ち合わせていない。
それでも彼は、私と一緒にいてくれるだろうか。
それはこれからの自分次第なのだろうけれど。
「もちろん!」
紺白の後ろで、愛留が高らかに言い放った。




