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五章-3

青花は、ふと昔のことを思い出していた。

 時刻は十時になろうとしていた。街中には今から家に帰る人や飲みに行く人がちらほらいる。街の灯りが仄かに漂っていた。

青花は日常と戯れている人達を横切りながら、なんとなく昔のことを思い出していた。

 がむしゃらに野球に打ち込んだ日々。母の暴力から紫音を守っていた日々。

 その全てが、青花にはあった。全てが無駄だったとは言わせない。紫音に暴力を与えたい。その感情に流されてしまった今、青花を形作るのは、霞む昔の記憶だけだった。

 今や、昔の自分を知る人は、少ない。母の同居人と母を殺した自分と親しい者など、いない。自分を記憶に焼き付けている人物など、紫音しかいないのだろう。その根拠の無い孤独が、心地良い。

 手に持っていた銃は、服の中に隠していた。銃を隠して歩かなければいけない街中は青花にとって居心地の悪い場所だった。

 このまま街角の夜闇に紛れてしまいたい。街と住宅街の境界線である橋を渡る。橋の下を流れていく水。街の光を反射してぬらぬらと蠢いている。その水の流れを眺め、青花は街の光を避けるように住宅街へ入った。

 街中とは違い、住宅街には強い光が無い。家から漏れる照明とぽつりぽつりと灯った街灯だけが深い夜を照らしている。青花は街の灯りが届かない場所まで歩いた。少しずつ夜が身体を侵食する。あの夜と同じだ。全ての生き物が息を潜め、まるで死に絶えたかのような黒が滞在する夜。それは台所を照らしていた、あの無機質な電気の灯りと似ていた。

 その夜に一人、呼びかける。

「・・・・・・そこにいるんだろ?」

 目の前の角から現れたのは、左の眼球を眼帯で覆った姿が印象的な【99】だった。夜に消え、夜に現れる。男もまた、闇を抱えた生き物なのかもしれない。夜に現れるのは夜に受け入れられた生き物だけなのかもしれない。

【99】は特に慌てる様子も無く、落ち着いた口調で言った。

「神埼愛乃が青花殿を追っている」

「そうか」

 青花も平坦に答える。自分が思っているよりも、自分の運命を受け入れているのかもしれない。自らの静かな声を聞いて、青花は呆然と考える。

 反対に、焦りの色を見せ始めた人物もいた。

「このままだと追いつかれるぞ・・・・・・! 逃げられたのは良かったが、また捕まったら意味が無い」

「【99】」

 そういえばこいつは俺が紫音の胸を一突きしたのを知らないのか。知ったらこいつはどんな反応をするだろうな。ぼんやりと頭の隅で考えながら、青花は【99】に言い放つ。

「もういい」

「もういい・・・・・・とは?」

「俺の手助けはもうしなくて良い」

 途端、【99】の目線が険しくなった。急なことを言い出す依頼主に怒っているのか、呆れているのか青花には分からない。

【99】から発された言葉は意外なものだった。

「・・・・・・それは、強がりで言っているわけではないだろうな・・・・・・?」

 【99】はどうやら、青花がこれ以上【99】を巻き込ませないように遠ざけようとしていると思ったようだ。残念かな、俺はそこまで優しい奴じゃない。

「ああ」

 青花は【99】に向かって歩き始めた。そのまま歩みを止めず、【99】を通り過ぎる。

「俺の目的を果たすための舞台は揃った」

【99】を横切り、そう告げる。

「そうか・・・・・・」

「・・・・・・でも、まあ」

 青花は歩みを止めた。

背を向けたまま、首だけ振り向かせ、言う。

「その舞台を見ていてくれてもいいんだぜ」

「・・・・・・ふっ」

 【99】は笑った。

「ならば、影から眺めていよう。また神埼愛乃に飛び掛られては面倒だからな」

 そうだ、それでいい。

 観客は多ければ多いほどいい。自分を形成する記憶が多ければ多いほど、俺は生きる。無様に。執拗に。

 向けた顔をまた前に戻す。青花もつられ、口元に笑みを浮かべた。


「・・・・・・あなた」

 背後から声がかけられた。どす黒い、仄かな怒りが込められた男の声だった。

 あの女、神埼愛乃だ。そんな声でなければ完璧な女。顔も良ければ胸もでかい。つくづく惜しい女だ。

「あんなことしておいて、逃げられるとは思ってないわよね」

「・・・・・・よく見つけたもんだ。それも〈絶対感覚〉っていう能力のおかげか?」

 今度はゆっくり身体ごと向けると、愛乃の姿が街灯に照らされてよく見えた。キャスケット帽から覗く緑の目は煌々とし、獲物を見つめている。番号は瞳の色が変わるらしい。カラーコンタクトで隠している人間も多い。自分は髪の色や瞳の色が変わらなかったが、紫音やこの女は明らかに番号の影響を受けていた。

 こめかみに浮かぶ、ぼやけた番号。これを見られるのも、青花が番号である証である。

 それにしても永劫回帰の番号は本当にぼやけているのか。紫音もそうだった。数奇な運命に見舞われたものだ。

 どこか退廃的で中性的な美貌を振りまいて、愛乃は青花を睨んでいる。

「【99】、あなたもいるなんてね」

「安心しろ」

 【99】は塀に寄りかかり、胸を張って言う。

「俺は手出しはしない」

「・・・・・・・・・・・・」

 愛乃は変わらない、敵意のこもった目で【99】をね睨め上げる。訝しげに眉を寄せると、愛乃はきっぱりと言い捨てた。

「よろず屋の考えることはよく分からないわ・・・・・・けどそうね」

 愛乃は視線を【99】から青花に向け、感情のこもらない声で言う。

「敵が少なければ少ないほど、面倒臭くなくていいわ」

「お前、そんなこと言ってられんのかよ?」

 青花はシャツの中から拳銃を抜き取り、銃口を愛乃に向けた。

「丸腰で来るなんて、度胸あるなあ? こっちは銃持ってんだぜ?」

「それは私のよ」

「・・・・・・ったく、調子狂うなあ」

 怯えもせず、凜とした面差しで返す愛乃に、青花は苦笑いで返した。愛乃は長い髪を手で払いながら言う。

「そんなものが無くても、私は戦えるわ」

 強がりな女だ。青花はそう思う。何も準備せず、慌てて追いかけてきたのは間違いないようだった。若干、息の切れる音が聞こえる。慌てて来たのなら、愛乃は何も武器を持っていない、丸腰である可能性が高かった。頭で動かず、身体で反応する。静かに手を前に出し、構えの姿勢を取る。愛乃はその美しい見かけによらず、相当な体育会系であることが窺えた。

「どうだか・・・・・・」

 青花は試しに一発撃った。適当に狙いを定めたのだが、運よく左のわき腹に命中したらしい。愛乃はよろめき、腹部を手で押さえる。眼帯の位置を変えることで身体能力を向上させる【99】や愛留の〈絶対速度〉のように、何か隠し種を持っていると思ったが、違うようだった。実際、愛乃は停止したまま動かない。痛みに耐えているのか、顔に出しはしないが、唇を引き結んでいた。

 まさか本当に何も無いのか。青花が戸惑っていると、愛乃が突然雄叫びをあげて青花にかかってきた。

「・・・・・・うおああああ!」

「!」

 愛乃の足と拳は速かった。瞬時に飛び掛ったかと思うと、次には拳が繰り出されている。だが、一般人の範囲内の速さだ。【99】や愛留のように超人的な動きをしているわけでは無い。青花は反射的に飛び退ると、その拳は空ぶった。しかしめげずに左手を繰り出す。【99】と対等にやり合うだけあるが、腹部の怪我により上手く身体を動かせないようだった。

 再び発砲すると、その弾丸は愛乃の髪を掠めて飛んでいく。愛乃は真っ直ぐ青花に向かっていった。愛乃の渾身の一撃が、青花の頬を襲った。

 殴られた青花は、反動で後ろに倒れる。しかしすぐさま立ち上がると、愛乃の額に直接銃口を押し付けた。

「残念でした」

「・・・・・・・・・・・・」

 愛乃の目つきが一層険しくなる。

「流石に飛び道具はかわせないだろ」

 話す青花に対して、愛乃は唇を結んだままだ。だが、青花には分かっている。愛乃は、焦っている。銃を持たず、反対に銃に襲われているこの現状に何も思わないなんてことは無いだろう。愛乃の瞳に、確実に焦燥の色が滲んでいた。

 一つ、沈黙が流れる。

 夜に紛れ、身動き一つもしない様子は、まるで死人のようだ。街灯のじじ、という明かりを灯す音だけが住宅街に反響する。気味の悪い静けさだった。

 愛乃は息もせず、銃を持つ青花を見据えていた。

 相変わらず何を考えているのか分からない。愛乃は感情を悟られないことに長けている。それが余計に気味の悪さを助長させた。

 永劫回帰の奴等はみんなこういう、一風変わった奴なのだろうかと、青花は頭の中で考える。そう考えると、紫音はまだまともな部類だな、と、ふと笑みが漏れた。それと同時に、引き金を引く指に力を込める。冷たい硬質な引き金が、街灯に照らされた、どこか現実味の無い中で唯一本物であるような気がした。銃の重みが手に染みて、痛い。

 その時だった。


「・・・・・・待って!」


 暗い静寂を破った、透き通る声が愛乃の背後から聞こえた。聞き覚えのある、柔和な声。その声を張り上げて、青花を制止する者がいた。

「・・・・・・待って」


 じりじりと照らす照明の下に現れたのは、確かに青花が殺したはずの、白とも銀ともつかない、細い髪の毛をおさげにしている少女だった。





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