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五章-2



 しまった、やられた・・・・・・!

 左胸に包丁が突き刺さり、前へと倒れこむ紫音を、とっさに庇ったのは愛乃だった。なるべく振動を与えないよう、恐々と壁へ背中を預けさせる。感情鈍磨が激しく、普段神経をできるだけ遮断している愛乃でも、この事態に対して焦らざるを得なかった。

 私がもっと強く注意していれば、厳重に見張っていればこんなことには。後悔の波が襲ってきたが、今は考えている暇は無いと首を振り、身体を青花の方へ向ける。

「あんた・・・・・・!」

 自分の内に溢れ出た、自分自身への怒りが漏れ出してしまいそうだった。苛立ちが色濃く言葉に乗ってしまい、しまったと思ったが、青花にはそんなことはどうでも良いようだ。

「あんた、こんなことして、一体何を考えてるの・・・・・・!?」

 とっさに青花の首下を掴まえた。男らしくない、生白く細い首だった。力を込めればそのまま折れてしまいそうな軟弱さを持っていた。

焦点の合わない目で、青花は話し始める。どこか様子がおかしかった。

「この時を待ってたんだ・・・・・・紫音を殺す、この時を」

 全くばらばらな視線が、瞬時に愛乃の瞳に集まった。

愛乃の身体が固まる。息が苦しい。何かが、おかしい。指一本動かない。そんな馬鹿な。愛乃の脳内が焦りで満たされていく。自分の〈絶対感覚〉の能力を開き、神経を弄るが、どこにも異常は無いようだった。

身体は、青花が愛乃のパーカーのポケットから鍵を盗み取っても、動こうとしてくれなかった。

「ま、包丁突き刺す程度じゃ死なないと思うけどね、その子は」

 青花は掴まれていた首から愛乃の手をそっと離すと、鉄格子から細い手首を掻い潜らせ、鍵を開けようとする。不器用なその動きで、虚しくも鍵はかちゃん、と音を立てて開錠された。

 それでも愛乃の身体は動かない。視線を動かすこともできない。誰もいない鉄格子の先の、汚れた灰色の壁を見ているだけだった。

「あんた、俺の能力に気づいてなかったの?」

 右足を引きずった青花が愛乃の横に立って言う。青花の怪我は愛乃が負わせたものだ。そういえば、この男は私達に能力を見せようとしていなかった。愛乃は視線さえ投げられないまま青花の声を聞く。

「教えてやるよ、対象物の動きを封じること。それが俺の能力だ」

「・・・・・・・・・・・・」

 単純な能力ね、と嫌味を言いたいところではあったが、声すらも出せない。どうやら、青花の能力は対象物全体を捕らえるものであるようだ。

 これではまるで石だ。外界からの刺激が無ければ、自分の足で歩くこともできない。

 青花は緩慢な動作で動けない愛乃の鞄に触れる。チャックを開け鞄の中を弄ると、愛乃が愛用している銃の模造品を取り出した。何をしようとしているのか、愛乃には見当もつかなかった。

「それがどういう意味か分かるか?」

 帽子を被った頭に何かが触れる。指か。全く反応しようとしない神経を、どうにかして活動させようともがくが、結局能力の発現すらできなかった。

 息を呑むこともできず、愛乃はただ青花の声に耳を傾けるしか無い。

 嫌な予感が、自分の内側を侵食した。

 背筋がすぅ、と凍りつくような感覚が、毛穴に入ってくる、そんな感触。

「お前を、簡単に殺せるってことなんだよ」

 嫌な予感が現実に迫り、ぶわ、と愛乃の内側が破裂した。

 身に迫る恐怖に、愛乃は額から汗を流す。銃は青花の手の中だ。致命傷にはならないが、それを使われない保障はどこにもなかった。歯の根が噛み合わなくなりそうだったが、動きを封じられているのが救いか、動揺は悟られなかった。

 殺される・・・・・・!

 愛乃は他人に無遠慮な攻撃をする。平気で銃を扱える。模造品だといっても、他人に怪我を負わせるのには変わりない。しかしそれも、自分の身があってこそできることだ。自分は何をしても良いが、他人からの理不尽な暴力は、嘔吐を催すほど苦手だった。他人から攻撃を受けないように、自分から攻撃をする。それが愛乃だった。

 愛乃にとって、今の状況は極限だった。何をされるのか分からない、その恐怖が愛乃を陥れ、恐慌状態にさせた。幾ら模造品だといっても、脳を狙われたら死に直結する。ひたすら自分を取り戻そうと、愛乃は躍起になる。だが一度パニックになった状態を元に戻すことは出来ない。愛乃は自分自身と戦っていた。

 頭に突きつけられた指を下ろされる。何をされるか分からない。その不明瞭な現実に目を背けないよう、愛乃は堪えていた。

 その時、背後からある男の声が聞こえた。

「どうした? 何かあったのか?」

 それは愛乃が憎んでやまない、黒影の声だった。愛乃は憎々しげに心の中で舌打ちを放つ。

 今更来たのか。遅い。遅すぎる。

 手遅れかとは思ったが、青花は突然の黒影の出現に鼻白んだ。瞬間、愛乃の身体中の力が一気に抜ける。力を失った愛乃は肩で身体を支えた。倦怠感が重く、身体を起こせないが、青花の呪縛から解き放たれたことは分かった。

 背後を眺めやると、青花が黒影を突き飛ばし、階段を駆け抜けていったところだった。愛乃を縛り付けていた能力を解き、代わりに黒影の動きを封じたのだろう。一度に封じることができるのは一人だけなのか。愛乃の銃を持ったまま逃走する青花の背中を横目に見ながら、先程まで死の恐怖で凍り付いていた頭をなんとか回転させていた。

 青花が見えなくなった頃、黒影の身体が自然に動く。階段の下にいた黒影は、慌てて自分の身体を足で支えていた。

「なんだ、さっきのは・・・・・・」

 いちいち反応が鈍いんだよ。黒ずくめ野郎が。

 これが、これが今まで私と対峙していた黒影だというのか。その割には随分と抜けている。

 青花を目の前にして屈服しそうになった自分に対しての苛立ちを心の中でぶつけ、愛乃は黒影を睨みあげた。

「そんなことより」

 愛乃は立とうとするが、足が竦んでいるようだった。小さく舌打ちをして、無理矢理立ち上がる。死に直面した愛乃の足は、ぷるぷると震え上がってしまっていた。愛乃は壁に寄りかかっている紫音へ、黒影の視線を促す。

「・・・・・・・・・・・・! 紫音・・・・・・!」

 黒影は真っ直ぐ、躊躇いもせず紫音へ駆けつけた。鞘に納まった黒い刀を床に置き、黒影は紫音を抱いて頭を腕で支える。紫音は奇跡的にまだ息をしているのか、薄く目を開けていた。

 これは私の失態だ。私がしっかりと見張っていれば、彼女が死ぬことは無かったのに。

 愛乃は自分の手を握り締めて、二人の光景を見つめていた。この身体の底から湧き上がる震えは、恐怖なんかじゃない。彼女が死ぬことからくる恐怖なんかじゃ、ない。

 紫音は力の入らない手で黒影の頬を撫でる。黒影は小さな声でそれに応じた。

「紫音、無理は・・・・・・」

 それ以上は、声にならなかった。

 紫音は、血に塗れた手で黒影の目元をなぞる。自分の胸に手を当てたのか、紫音の血がべっとりと黒影の頬に流れた。

 紫音の目から、涙が溢れ出る。


 鮮烈な、赤。

 咲き乱れる、赤。


「なんて、」

 紫音の唇から、掠れた声が漏れた。

「綺麗な、」

 黒影の瞳だけを、見つめたまま。


「赤――」


 少女の手が、力を失い、空をきった。

 幼い彼女は、黒影に何を想っていたのだろう。

 羨望か、憧憬か、或いは他の何かか。

 今となっては、彼女にそれを尋ねる術はもう無いが。

 黒影が紫音の目元に手をかけ、静かに下ろした。手の影が隠していた彼女の瞼は、今はしっかりと閉じられている。真っ白な肌が、弱々しい光を放つ電球の明かりに反射していた。

「追いかける」

 愛乃は弾かれたように階段へ向かう。後ろから弱々しい声がかけられた。

「俺も・・・・・・」

「・・・・・・あんたは、そこにいて」

 紫音一人じゃ、寂しいから。

 愛乃はその言葉を呑みこんで、階段を駆け抜けた。

 美しい、二人の人物。

 愛乃は死に塗れた二人の姿を見て、美しい、と思ってしまった。愛乃には、二人に対する

感情など、無いに等しいものだった。それなのに、それなのに何故、こんなにも捕らえて離さないのだろう、切なくなるのだろう。愛乃には分からなかった。

 特に、紫音は。

 彼女は、愛乃によく似ていた。感情が欠落したその姿も、生い立ちも。愛乃は無意識に、紫音に自分を重ねて見ていたのだ。

 ああ、何故あんなに。

 彼女と黒影に、どんな繋がりがあったのか、絆があったのか。愛乃には分からない。最近出会った、薄い絆。それでも彼女の心に咲いた赤は、決して紫音を離そうとはしなかったのだ。


 愛乃は、黒影の、何事も吸い込むような赤い瞳を思い出していた。






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