五章-1
あの後、一夜が【剣】本部に戻ってから、紫音達は一旦つがひへ向かった。
捕らえられた青花は不気味なほど大人しく、一言も喋ろうとしないで唇を引き結んでいる。
「はああ、やっと一息つけるって感じだな、紫音」
愛留がわざとらしい息を吐き、言った。
通された場所は、つがひの下、つまり店の下にある地下だった。つがひの中にある物置の中に、地下へと通じる小さな階段がある。
「俺はここで待っていよう」
黒影、本名霧夜紺白は、頑なな表情でそう言う。休戦しているとはいえ、深入りはしたくないのだろう。紫音は待つことを決めた紺白に話しかける。
「紺白さん・・・・・・」
「・・・・・・紺でいい」
「・・・・・・紺、いいの?」
「【99】の奴が君の兄者を連れ戻しに来るかもしれない。表には渚さんがいるが、もしかする場合もある。ここで俺が見張っていたほうがいいだろう」
紺はそう言うと、壁に身体を預け、ゆっくりと腰を下ろした。鞘に収められた黒い刀を抱き締め、目を閉じる。その姿を見て、紫音は自然に微笑んだ。この人は私に危害を加えない。根拠の無い安心が、胸の中で広がっていくのを感じた。紺白さんは、紺は、不思議な人だ。
「紫音、というのか」
「え? 何?」
「・・・・・・なんでもない」
木で造られた階段は軋んで、少し怖かったが、どうにか地下に辿り着くことができた。
石が敷き詰められた床に足の裏をつけ、部屋の奥を見つめる。
そこには、冷たい肌触りの鉄格子があった。
「座敷牢みたいなものだよ」
愛留が取り乱す様子を見せずに言う。紫音には座敷牢というものがよく分からなかったが、誰かを閉じ込めておく場所だということは理解できた。小さな電球の明かりだけが、牢、という場所を寂しく照らしていた。
愛乃は牢の鍵を開けると、そこへ青花を放った。そして再び鍵を閉め、近くにかけられていた木製の椅子に座る。
それを横目に見ながら、愛留は説明を続ける。
「昔、番号が暴走した人を、ここに匿ってたんだって。母さんが言ってた」
「あ、あの・・・・・・」
「ん?」
「番号の暴走、ってなんですか?」
その問いかけに、愛留は視線を空へ放り、「ああ」と声をあげた。真剣な顔つきで見つめる紫音とは対照的に、愛留はなんともなさそうな平坦な表情で顎を撫でる。愛留自身も、説明を忘れていたようだ。
「稀にあるんだよねえ。そういうのが」
一旦区切り、愛留は徐ろに詳細を述べた。
「番号が暴走すると、感情の一部が増大して、自分の行動を抑えられなくなるんだ。番号で暴力沙汰を起こすのは、大抵そういうやつさ」
愛留の面持ちが、紫音と同じ、険悪なものに変わる。
「嬉しいとか楽しいとか、そういう気持ちだったらいいんだろうけど、膨れ上がるのは大抵負の感情・・・・・・憎しみ、怒りなんかだ」
愛留は陰鬱な声を洩らした。見たことの無い、愛留の一面だった。
「嫌だよな、そんなのが自分を支配するのって」
もしかして、お兄ちゃんも・・・・・・。
愛留の話を耳にしていて、紫音はある可能性に気がついた。もしかしたら、自分の兄、青花も番号が暴走しているのかもしれない。確かに、青花が殺した母と同居人の死骸は包丁一本で作り上げるには無残すぎる状態で、猟奇的ではあったが、それまでは母の暴力から救ってくれた優しい兄だった。紫音の知っている限り、兄は善人だった。もし番号が暴走しているのだとしたら、負の感情に流され思うように行動できない今の状況は歯がゆくあるはずだ。紫音は両手を爪が食い込むほど握り締めた。
「あ、トイレ」
「愛留・・・・・・あんた・・・・・・」
「すまんすまん、ちょっと行かせてくれん」
愛乃が半目で愛留を睨みあげる。愛留はその視線から逃げるようにあの木の階段を上っていった。
紫音は愛留が階段を上りきるのを見送り、完全に愛留の姿が見えなくなったところで、牢に近づいた。
「紫音、危ない」
「大丈夫です」
愛乃の静かな警告を無視して、紫音は鉄格子を掴む。鉄の棒と棒の間は、紫音の細い腕が通るか通らないか、微妙な開き方をしている。牢とは言っても、所詮一般庶民の作ったものだ。造りも甘いところがあるのだろう。
紫音は、甘い造りの牢を気にせず青花に呼びかけた。
「・・・・・・お、お兄ちゃん」
あの殺人事件が起こって以来、滅多に口にすることはなくなった、兄という呼称だった。その言葉はからからに乾ききり、すんなりと喉を通ってくれなかった。
「ひ、久しぶりだね」
震えて萎えた声をなんとか立たせようとする。しかし、紫音は必死に平静を装おうとしていたが、六年ぶりの兄との再会に動揺を隠し通すことはできなかった。
「今までどこにいたの? 何をしていたの?」
「・・・・・・よく喋るな」
青花が重たい唇を開く。紫音は、このチャンスを逃すまいとしてその言葉に喰らいついた。
「だ、だって、久しぶりに会えたんだもん・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
だが、張った紫音の声は、すぐに消沈してしまった。目に見えて狼狽えている紫音に青花は容赦無く無言で返す。
どうしよう、何か言わなきゃ・・・・・・!
紫音は焦ったが、考えれば考えるだけ、思考はついていけなくなった。何か言おうと考えるたび、頭が真っ白になる。無言が続く空気の中、緊張で無意識に唇がわなわなと震えた。
その形成された沈黙を破ったのは、沈黙を造り出した兄、青花だった。
「俺はお前が羨ましかった」
「え・・・・・・?」
突然何を言い出すのだろう? 紫音は疑問に思った。
運動も得意で、そこそこ勉強もできた兄。その点、妹の紫音は行動が鈍く、母に叱られることは多々あった。少なくとも紫音の記憶にあるのは、なんでもできて優しい兄の姿だった。紫音が羨ましがるのはあったものの、兄に羨ましがられるいわれは無かった。
兄が無感動な瞳のまま、紫音を見据える。
「お前は母さん達に愛されていた」
「愛・・・・・・?」
愛される、とはどういうことなのか、紫音の理解は及ばなかった。育ての親からの愛情は一身に受けて育ってきたという自信はあるが、兄の言っている「母さん」とは、多分生みの母親を差しているのだろう。母にはいつも怒鳴られてばかりいた。お前は悪い子だ。どうしようも無い子だ。母の躾は厳しかった。そこに愛などあったのか。まだ幼かった紫音には分からない。
「お前は、母やあの男の愛を暴力や暴言といった形で受け取っていた」
「ま、待って、お兄ちゃん」
「対して、俺は何も与えられなかった。与えられたのは、無関心と言う名の暴力だけさ」
紫音の制止を無視して、青花は続けた。まるで自分自身に言い聞かせるように。
「どんな形であれ、母達から構われるお前が羨ましかった」
「・・・・・・お兄ちゃん・・・・・・」
しかし、当時の私はそれを良しとしていたのだろうか。紫音の脳裏に疑問の声があがる。小さい子が、大人の理不尽な暴力や暴言を受け取れるほど、強い存在だとは思えなかった。兄の考え方は少し歪んでいる。理性的じゃない、と紫音は思った。
「なあ、紫音、教えてやるよ」
一拍置いて、青花がそう呼びかけてきた。青花が鉄格子へ近づく。紫音は鉄格子を掴んで、青花の呼びかけに応じた。
「何を・・・・・・?」
「お前の能力、俺は知ってる」
紫音は驚いた。紫音が知りたい、紫音の秘密を、この兄が握っているというのだ。紫音は鉄格子に顔をぐっと押し付けて近づけた。
「本当・・・・・・?」
「ああ、本当さ。もうちょっと近づきな」
紫音は身体を寄せた。背後で愛乃が危ないと止めるが、気にしない。紫音は耳をそばだて、注意深く青花の声を聞いていた。
「お前の能力はさ・・・・・・」
瞬間、胸に重い衝撃が奔る。
その衝撃につい鉄格子から身を離してしまう。痛い。確かにそんな感覚はあるのに、まるで自分のものじゃない、浮遊した感覚に捕らわれた。
左胸を触ると、ぬる、とした液体が、手指に絡みついた。鉄の苦い匂いがする。その色は、紅玉のように、てらてらと光り輝いていた。
「あ・・・・・・」
実感した途端、激痛が紫音の身体を切り裂いた。痛い。痛い。紫音は体中を蝕む痛覚に耐え切れなくなり、床に倒れ伏した。針の山に座っているような気分だった。永遠に続くような、鉛に似た重み。胸には包丁か何か、刃物が突き刺さっているようだった。遠くで愛乃が何か言っている。霞んだ視界は、何も映してはくれない。痛みで全ての感覚が遮断されたかのような錯覚に見舞われた。
「誰からも愛されることだよ。紫音」
たった、一つだけ。
寂しさに濡れた兄の声だけが、紫音の耳にこだました。




