血戦のおままごと そのいち
「いやー、わざわざご苦労様」
その日、レイナールからの指示でフロイデ城内の魔法実験場へとやって来たアイシャを、イリーナ所長はにこやかな笑顔で出迎えた。その傍らには、ナーニャの他に、見知らぬ二人組が控えていた。
一人は身なりの良い幼女、もう一人は二十歳前後のメイド。恐らく、どこかの富豪のお嬢様とその付き人なのだろう。
「ええと、私が何故ここへ呼び出されたのか、団長から教えてもらってないのですけれども……。そちらのお二人は一体……?」
アイシャの疑問に、イリーナは答える。
「そうね、まずは二人を紹介しておくわ。そっちのチビッ子はリコ、私の姪よ。そっちのメイドはミーア」
「初めまして、お姉ちゃん。リコです!」
元気の良い挨拶をするリコと、ぺこりとおじぎをするミーア。イリーナの姪、という事実に軽く驚きながらも、アイシャは「初めまして」と挨拶を返した。
「それでね、アイシャちゃん。今日はあなたにお願いしたい事があるのよ」
「お願い?」
「そう、お願い。……ナーニャちゃん、アレを持って来て」
そう言うとナーニャは、手にしていた本をテーブルの上に置く。結構な大きさではあるものの、大した厚さではない。
「これは、我が魔法研究所が開発した魔法具『本の中に世界が出来ちゃったよ君』よ! 一見、何の変哲もない本に見えるけど、この本の中には魔力で創られた幻影の世界が広がっている! つまり、『VRMMO』と言う事よ!」
「おお!? 何だか凄そうな道具ですね! あんまりなネーミングセンスと、一体何が『つまり』なのかはともかく!」
興奮気味に語るイリーナの言葉に、目を丸くして驚くアイシャ。同時に、ナーニャが最近忙しかった『研究』と言うのはこれの開発だったのか、と察した。
当のナーニャは「……会心の名前だと思ったのに……」と呟き、一人うなだれていた。
「と言う訳でアイシャちゃん! あなたのやるべき事は、今日一日リコの遊び相手をする事よ! この幻影世界の中で!」
ビシィッ! とアイシャを指差しながら、イリーナは言い放った。
「は、はい。分かりました」
少々勢いに押されながらも、アイシャはそう答える。しかしすぐに疑問点に思い至った。
「あれ? リコちゃんと遊ぶなら普通に外に出るなり、ゲームを用意するなりすれば良いだけですよね。なんでわざわざこの道具を使う必要があるんですか? そもそも、なぜ騎士団の私が呼ばれたのか理由が分からないのですけど……」
そう言えばレイナールから指示を受けた時にも、よく分からない事を言われたのも気になる。
思ったままに疑問を述べるアイシャに対し、
「「「……………………」」」
イリーナ、ナーニャ、ミーア。三者からの重苦しい沈黙だけが返って来た。
「……なぜ、黙るんですか……?」
場を急激に満たす不穏な空気に当てられ、冷や汗がたらりと頬を伝う。警戒心が芽生えたアイシャはどうしたものか、と考える。
そんな彼女にリコが近づいて来た。
「お姉ちゃん、今日はリコとたくさん遊んで下さいね!」
にぱぁ、と満面の笑顔を浮かべ、リコは言った。まるで天使の様な愛らしさであった。
うん、私の考えすぎだよね。それに、こんな可愛らしい子のお願いはむげには出来ないよ。
そう思い至ったアイシャは、笑顔を浮かべリコに向き合いながら言った。
「うん、よろしくねリコちゃん。それと、私の事はアイシャで良いよ。敬語も要らないから」
「分かった、アイシャ! よろしくね!」
心底嬉しそうなリコの声に、アイシャの警戒心もすっかり消え去っていた。
だから、イリーナ達の間に流れる『よっしゃ。何とかなったぜ』オーラには、全く気が付かなかった。
「じゃあ、三人とも準備は良い?」
イリーナの声にアイシャ、リコ、それに付き添いのミーアはうなずく。
「なら行くわよ。ナーニャちゃん、始めて」
「……はい」
そう言うとナーニャは『本の中に世界ができちゃったよ君』を開き、中の部分を三人に向ける。そして、魔法発動のための呪文を発した。
『……お越しやす〜、幻影世界〜』
「もうちょっと魔法っぽい雰囲気の呪文無かったの……?」
そう呟くアイシャの体を、光が包んでゆく。そして、徐々に全身が引っ張られるような感覚を覚え――いや、実際に引っ張られている。気が付いた時には目の前が真っ白な光で覆いつくされ、自身が何処かへと飛ばされている、という事以外、何も感じ取れなくなっていた。
「きゃっ……!」
唐突に感じられた着地の衝撃に、思わず声を上げる。徐々に視界が明瞭になっていき――
「わあ……」
思わずため息を漏らすアイシャ。
そこには、『大地』が広がっていた。
瑞々しい草が、風に揺らぎ奏でられる音。鼻孔をくすぐる土の香り。照り付け
太陽から与えられる温もり。
アイシャ達の眼前に広がる何もかも全てから、『本物』のそれと同じ息遣いが感じられた。
「すごーーーい! すごいすごいすごいすごいーーーーーーーー!!」
目をキラキラさせながら、リコは感激の声を上げ、その場で飛び跳ねる。
「これは……想像以上に素晴らしいものですわ……」
研究室では落ち着いた佇まいであったミーアも、感嘆した様子で目を見開く。
魔法研究の最先端技術に触れた三人は、しばしの間心から湧き出す感動の念に身を委ねていた。
『もしもーし、聞こえるー?』
唐突に上空から降って来たイリーナの声にアイシャは我に返る。一応これは騎士団の仕事という事になっている。遊びに来た訳ではないのだ。いや、これから遊ぶのだけれども。
「はーい、聞こえますよー。そっちはどうですー?」
上空に向かって声を上げる。事前に聞いた話によると、『本の中(略)君』の中と外ではこの様な形で連絡を取り合える仕組みになっている、との事である。中の様子も、外から確認出来るらしい。
『バッチリ聞こえるわ。どうよ、凄いもんでしょ?』
「ええ、まさかここまでとは思いもしませんでした!」
自慢げな様子のイリーナの声に思ったままの感想を返した。その返答に満足したイリーナは、上機嫌でリコに声を掛ける。
「そう言う事だからリコ。ここでは思いっきり遊んじゃって良いからね!』
「やったあ! ありがとうイリーナ!」
喜色満面と言った風のリコの姿に、自然とアイシャの口元が緩む。
「あんなに喜んじゃって。可愛いなあ〜、もう」
「ええ、本当に可愛らしいですわ。……さて、アイシャさん。ここからは気を引き締めて掛かりましょう」
ミーアのまるで脈絡のない物言い。どういう事? と訝しむ前に、リコの楽しげな声が辺りに響いた。
「ええ〜〜いっ♪」
瞬間、振りかざした手から火球が膨れ上がり、前方へ放たれた。
火球は地面に着弾、空間を震わせるかの如き轟音を伴い爆炎と化す。灼熱が大地を焼き、その熱気を周囲にまき散らす。凄まじい衝撃が大気を押し広げ風を起こ
し、草木を、アイシャ達を激しく煽り立てた。
煙が晴れる。
そこにはえぐり取られ焼け焦げた地面と、消し飛びきれず灰として残った草だけが存在していた。
「……………………………………………………………………………………………」
周囲に未だくすぶる熱気とは裏腹に、アイシャの表情は笑顔のまま完全に凍り付いていた。
「あースッキリした! どう、アイシャ? すごいでしょ!」
「………………………………………………………………………ハイ。ソウデスネ」
朗らかに語り掛けるリコに、首をカクカクさせながら頷く。
「いや〜、やっぱりおままごとは楽しいね〜」
(……違う……っ! おままごとには爆風も、死の恐怖も存在しない……っ!)
『リコ〜、それはおままごととはちょっと違うんじゃないの?』
(そして、もはやそう言う問題じゃない……っ!)
そうやって戦慄におののくアイシャに、ミーアが耳打ちをしてきた。
(どうですか。上手くやって行けそうですか?)
(そうね。今すぐ逃げ出しても良いかしら、全力で)
(良いですけれど、無理だと思いますわよ。お嬢様が魔力で身体強化して走れば、時速一00km超えますから)
アイシャは今こそ理解した。
なぜ自分が疑問を述べた時、みんながあんな歯切れの悪い態度を取ったのか。
なぜ団長は『あなたなら適任です。頑丈そうですし』などと言って自分を選んだのか。
「しくしくしくしく…………」
私は、人身御供か。