商魂を胸に
アイシャがドアノブに手を掛けて引くと、カランカランと軽快な鈴の音を奏でながら扉が開き、同時に小麦の芳醇な香りが鼻腔をくすぐった。
「あ、アイシャちゃん、いらっしゃ〜い」
「お久しぶりです、ラナさん」
カウンターに座った店員が読んでいた本からぱっと顔を上げて挨拶するのを、アイシャは軽い会釈で受け止めた。
『コラプション』。アイシャが贔屓にしているパン屋だ。値段も手頃で種類も豊
富、味も良い。三拍子揃ったこの店は街の住民からも愛されている。
「時間的に、お昼でも買いに来たの?」
眼鏡の奥にニコリとした瞳をのぞかせながら、ラナと呼ばれた女性は尋ねる。両親の開いたこの店で店員として働く彼女は、エプロン姿がよく似合う看板娘であった。
「はい。折角の休日ですから買い物に出て、その帰りなんです」
日用品の入った袋を軽く掲げてみせながら、店内を見渡す。
食パン、クロワッサン、ドーナツ、デニッシュ、ベーグル……。木製棚に置かれた籠の中には、目移りしそうな程に多様なパンが並べられていた。
「うーん、悩んじゃうなあ……」
顎に手をやりながら、アイシャは言った。
「だったら、思い切って全種類買っちゃおう! 悩まなくて済むし、何よりもフロイデの経済活動を活発化させる事に繋がるよ!」
「代わりに私の経済面に、多大な負担がのし掛かる事になりますけどね!?」
確実に店の利益だけしか考えていないラナの言葉に、現在財布に一二八〇ウルムしか入っていないアイシャはそう叫んだ。
「……まあ、それは置いといて。これお願いします」
そう言って、サンドイッチセットをカウンターに乗せる。
「サンドイッチかぁ、良いよね。ご飯三杯は軽くイケちゃうよね」
「重いですよ!? ご飯のおかずにサンドイッチって発想は!!」
「どんぶりで」
「更に量的にも重くなった!? 色んな意味で一杯すら無理です!!」
そろばん片手に代金を請求しながら言うラナに、アイシャは財布から取り出した紙幣を心のハリセン代わりに差し出すのであった。
「はい、これお釣りね。……騎士団はどんな感じ? 調子良い?」
硬貨を差し出しながら、ラナは近況を尋ねる。
「ええ、良い感じですよ」
受け取った硬貨を財布に収めながら、アイシャは答えた。
「最近は先輩達に褒められる事も増えて来ましたよ。私、模擬戦の勝率、結構良い方なんですよ」
「あら、凄いじゃない」
組んだ腕をカウンターに乗せながらラナは感嘆する。
「アイシャちゃんなら、もっともっと上を目指せるわよ。正式な騎士になる日もそう遠くないはず、いえ、それどころか将来は騎士団長間違いなしね!」
「い、いや〜、そんな私なんてまだまだですよ〜」
過賞とも言えるラナの言葉に謙遜を見せつつも、アイシャは口元のにやけを止める事が出来なかった。
「そしてウチの店は、騎士団長を排出したパン屋としてフロイデの歴史に刻まれ、やがては伝説に!」
「ならないと思います」
そして皮算用にも程があるラナの展望に、いきなり素に戻ってきっぱりと断言した。
「ならないかぁ、残念」
形だけ肩をすくめながら、大して残念でもなさそうにラナは言う。
「だけど、十分に繁盛しているじゃないですか、このお店。別に今のままでも困る事なんて……」
「甘ーい、アイシャちゃんっ!」
アイシャの言葉に、ラナはビッ! と突き出した己の人差し指をアイシャの鼻にグイッと押し付けた。
「ふにゃっ!? 何するんですかー!?」
「その考えは、甘口カレーパン並みに甘いわっ」
「いや、せめて菓子パン辺りを引き合いに出しましょうよ……」
アイシャのツッコミに構わず、ラナは続ける。
「今居るお客さんの好意に胡座をかいてちゃ駄目なのよ。それじゃいずれ、客足も遠のいちゃうわ。現状維持も、やるべき事をやってこそ実現出来るのよ」
「まあ、確かに……」
「そもそも、食べ物を売る店なんて『コラプション』以外にも沢山あるわ。ただ空腹を満たすだけなら、別にウチの店でなくても良いの。お客さんにわざわざこの店を選んで頂くためには、相応の努力が必要なのよ!」
「仰る通りです……」
「私は、店の売り上げをアップさせるための努力を怠るつもりはないわ。つまり何が言いたいのかと云うとね――」
ラナは一旦深呼吸をして、
「――ガムもついでに買って行かない?」
「最後強引に来ましたね!?」
カウンター横に置いてあるガムを指差しながら笑顔を見せるラナに、アイシャは財布の口を固く閉じるのであった。




