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裁きの庭  作者: いずれけす
第一章 回された歯車
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エメリー


 …………やっと着いた。長かった。疲れた。


 必死に階段を上りきって、ひたすら廊下を進みまくった先の、焦げ茶色の扉。両開き式のそれは、閉めていればヒマワリの花をくちばしで摘まんだ鷹のレリーフが浮かび上がる。

 ヒマワリと鷹は、それぞれ太陽の化身や使者を表す象徴だ。現在では天秤と並んで弁護士のマークとなっている。

 ちなみに、ヒマワリは『正義』、鷹は『自由』を意味しているとかなんとか。


 勝手知ったる何とやら。フランソワがノックもそこそこに扉を開けた。


「おはよーさん。元気にしてたか。お嬢」


 はしたないと思いつつも、我慢しきれずジャンは開き始めた扉の隙間から中を覗き込んだ。


 ――――澄みきった透明な蒼にかかる灰色。まるで雪空のような虹彩と視線が交わる。


 呼吸を忘れる、とはこのことか。

 椅子の背もたれに身体を預けてまどろんでいたらしい少女の、くったりした様子は、化け物のイメージとはかけ離れすぎていて。

 無防備なあどけなさにどぎまぎした。

 胸元に下がる、うなじで左右に(くく)られた、ほんのり赤みがかった鳶色の髪。毛先まで柔らかにうねったそれは、彼女の温和そうな気質を表しているようだった。

 フランソワが「お嬢」と呼ぶのも分かる。大きめの瞳を(かげ)らす長い睫毛も、結ばれた小さな口元も、膝に伸ばされた細い指先も、彼女全身に優しい品が匂いついている。良家のお嬢様といった出で立ちだ。

 見惚れてしまっていると、わき腹を殴られた。

 振り向けばフランソワがニヤニヤしていた。悪戯っぽい囁きが空気を伝って聞こえる。


 ――――な? 美人だろ?


 頬が紅潮していくのが分かる。そのことを認めたくなくて、ジャンは顔を背けた。必然的に彼女の姿がまた視界に映し出される。

 それをいいことに、ジャンは再び彼女を眺めた。


 確かに整った顔立ちをしているけれど、『美人』というには違和感がある。可愛らしい、の方がしっくりくる。可憐に羽根をはためかせる蝶みたいな、清楚な愛らしさ。


 エメリー・ロス。思い出した。多分こんな名前だった。


 わずか14歳で最難関とされる司法試験を突破し、難なく法廷弁護士の資格を得た、型破り。しかも独学でそこまで上り詰めたのだから、彼女は法曹界では名の知れた歩く伝説となっていた。

 しかしジャンは彼女と顔を合わせる機会なんてなかったし、新米ということで今回の事件の担当候補には外していたのだ。とはいえ、背に腹は代えられない。

 ジャンは深く息を吸い、気合いを入れ直した。


 男2人がいきなり押しかけたのでさすがに目が覚めたのか、少女もサッと居住まいを正した。

 春の日差しに抱かれて気持ちよく休んでいたところを申し訳なく思い、ジャンは小さく謝る。


「…………先輩?」

「おっす。久しぶり」


 聞こえなかったのか、少女はその謝罪を無視した。挨拶のつもりで手を振ったフランソワにつられて同じ動作を返すと、彼からジャンへと視線をゆっくり動かす。


「………どなたでしょうか?」


 寝起きだからだろうか。かすれ気味の、耳朶(じだ)に余韻を残す涼やかな声。それが自分に向けられたのだと察したのは、しばらくして誰も反応しないことに気づいた頃だった。


「ああっ、は、はい!」


 恥ずかしすぎてジャンは頭を掻き、横で噴き出したフランソワを睨みつけた。

 少女はといえば、彼が落ち着くのを待つかのようにじっとしている。

 彼女よりずっと年上で経験も豊富なのに………。

 自分の余裕のなさに嫌気が差して、ジャンは部屋の窓から飛び降りたくなった。


「初めてお目にかかります。エメリー・ロスさん。法廷弁護士のジャン・クーノといいます。大至急お願いがあって参りました」

「お願い、ですか?」


 少女は目をしばたかせた。

 無表情ながら、かすかに首を傾げる様子は、さながら愛くるしい人形だ。年柄にもなくジャンは(つば)を飲む。

 瞳はとても澄んでいるのに、何を考えているかは読み取れない。澄み渡った青空を霧が立ち込めてぼやかしている、そんなもどかしさを感じた。

 とても16歳だとは信じられない大人びた雰囲気に、ジャンは()まれそうになる。


「しょうがねぇな」


 なかなか続きを言い出せないジャンに痺れを切らしたフランソワが、助け舟を出してくれた。


「お嬢。この春からめでたく法廷弁護士になっただろ? だから俺たちが先輩らしく就任祝いを贈ってやる。――――例の集団毒殺事件の弁護、よろしくな」


 …………ただ、やり口が汚なかった。



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