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裁きの庭  作者: いずれけす
第三章 引き返すための黄金の橋
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100の真犯人を逃そうとも



「――――さん。エメリーさん?」


 回想にふけってしまったエメリーを、誰かが引き戻した。

 我に返って顔を上げると、ハシバミの瞳を不思議そうに丸くした少年に見下ろされていた。


「気分でも悪いんですか? 顔色が……」


 ロウがエメリーの前髪を掻き上げ、そっと顔色を窺う。


「いえ。少し考え事を」


 青灰(せいかい)の大きな瞳とモロにかち合い、慌ててロウは身を離したが遅い。自然に出た仕草なのだろう、彼の顔は赤らんでいる。

 一方でエメリーがなんともないのは、それなりな場数(ばかず)を踏んできたゆえか。


 自分でやらかして自爆した彼に対し首を傾げながら、エメリーは何の話をしていたのだったかと思い出す。


 そうだ。彼が弁護士を目指したきっかけだ。それでエメリーも引きずられてしまったのだ。


「『暴れ馬事件』――――その法廷弁護士さんのおかげで、ここにロウさんがいるわけですね」


 さり気なく話題を戻してみると、ロウが誇らしげに胸を張った。


「そうなんです! フランソワさんには感謝しています」

「…………!?」


 どうしてフランソワが? まさか……。と信じられない気持ちでいっぱいになる。


「いっ、い、今……なんて」

「ですから、その『暴れ馬事件』はフランソワさんのおかげで解決…………って、知らなかったんですか?」


 初耳である。

 あの面倒臭がり屋で、仕事は丸投げし放題で、後輩の部屋のソファを勝手に我が物にするフランソワがそんな偉業を成し遂げていたなんて、知らなかった。普段の彼とは微塵も結びつかない。


 あり得ない――――フランソワがいれば、こめかみをグリグリとなぶられそうなくらい衝撃に満ちた顔のまま、エメリーはしみじみ呟く。


「後輩に仕事を押しつけるだけじゃなかったんですね、あの人」

「押しつけるって………」


 ロウにとっては恩人ともいえるフランソワにさんざんな言い方だ。


「フランソワさんってすっごい有名人なんですよ。時間がかかってもこの人を、っていう依頼人までいるんですよ」

「せっかく引き受けた仕事をよそに回したりもしますよ。今回の事件だって。…………やりたかったから、文句はないですけど」


 フランソワの性格のおかげで、エメリーは兄に再会することができた。その点では感謝している。


 だからといってあの面倒臭がりを許せるかどうかといえば、ちょっぴり目にモノを言わせたくなる。


「………エメリーさんはクローデンスさんをどう思っているんですか?」


 ふとロウが尋ねた。エメリーの口から担当事件の話が出て気になったのだろう。

 エメリーはきっぱり言い切った。


「無罪です」

「本当に断言できるんですか?」


 疑わしさを隠さずロウは嫌そうに表情を歪める。やはり彼も兄を犯人と決めつけているのだ。振りだしに戻ったような歯がゆさを覚え、エメリーは目を伏せる。


「『たとえ100の真犯人を取り逃そうとも、無辜(むこ)の1人を罰するなかれ』」

「?」

「先生の口癖でした」


 ――――犯人捜しは大事だ。だがな、それよりも大事なモンがある。本当は法なんか犯しちゃいねぇ奴が捕まって罰を受けるのは間違ってる。俺たちの仕事は、そういう奴らをとっととシャバに引っ張り出すことだ。


 毎日毎日、口を酸っぱくして繰り返していたから、一字一句も漏らさず思い出すことができる。低く穏やかな声音も、少し荒っぽい口調も。


「弁護士が被疑者や被告人を信じなかったら、弁護士失格です」

「嘘をついていたとしても?」


 ――――嘘をついてたって、誰かが信じなきゃ始まらんだろ?


「初めから疑っていたら、検察と変わりません。弱い立場の人を護るのが私たちの仕事ですから。嘘をついていてもいなくても、依頼人の立場が弱いことに変わりはありません」


 受け売りの、けれど本当にそうだと断言できる言葉を、自分なりに表わしてみる。


 馬鹿正直だってけなされても信じて、信じ抜いて。持ち得るすべての力を尽くして真実を突き止める。相手がどんな人間であろうが同じ。それが法廷弁護士の、弁護士の仕事で、誇りで、生きがいなのだ。


「ロウさんがクローデンスさんを信じられないんだったら、辞退したらいいんです。信頼できない依頼人の弁護をするのは苦しいだけですから。ロウさんも、クローデンスさんも」


 突き放すような言い方は、ロウにとってショックだったらしい。白い肌をさらに真っ白にして固まっている。だけど間違ったことを言ったつもりはない。弁護士に必要なのは依頼人とともに力を合わせる気持ちであって、先輩や後輩のご機嫌をとることではないのだ。

 しかも今回の弁護の相手は、10年間も犯罪者のそしりを受け続けてきた。兄の潔白を本当に信じている弁護士でなきゃ務まらないし、エメリーも嫌だ。


「そう思いませんか?」


 風が揺れ、流れる雲。空は赤く、沈みかけた夕陽が頭上の綿雲を黄金に染める。


 気づけば『正義の塔』の入り口に着いていた。表面の日焼けした石造りの外壁が空高く伸びている。あまりに高くて、首を反らすと倒れそうだ。『塔』とは名ばかりの建物は、増築を繰り返したせいか貴族の邸宅といった印象を受ける。


「ロウさん?」

「…………」


 返事がなくて尋ねるけれど、彼は答えない。見れば、難しい顔をしていた。『正義の塔』の玄関広間に入るなり、彼はエメリーから離れ自分の部屋へと急ぐ。


 怒ってしまったのだろうか。それとも年下が偉そうな口を、とでも?

 せっかく嫌われがちなエメリーの味方になってくれそうな人だったのに、フランソワの親切心も裏切ってしまってようで、それが少し辛い。しかし仕方がない。最悪、1人で頑張らねば。


 エメリーは肩をすくめた。


 エメリーのことは嫌ってもいい。ただ、せめてクローデンスのことは考え直してくれたらと思う。




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