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裁きの庭  作者: いずれけす
第三章 引き返すための黄金の橋
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この道を選んだわけ



 初めての仕事、しかも憧れの人物と。夢見心地でふわふわしているロウの腕を引き、エメリーはクローデンスのいるグロリアーナ牢塔へ案内した。ままごと遊びにも見える若い2人組の少女と青年を、すれ違う番人たちが異様な目つきで盗み見る。


「ここに、毒殺の犯人が?」


 『419』の数字が刻まれたドアノブに手を当てるロウ。彼の露骨な言い方に疑問を抱いたものの、エメリーはそうですと答えた。

 ノックもそこそこに部屋に踏み入ると、綺麗な月明かりの髪を無造作に散らした兄が、こちらに背を向けて気だるげにベッドに腰かけていた。


「おはようございます、クローデンスさん」

「…………誰だ?」

「エメリーです」

「そうじゃなくて」


 なぜボケる。

 クローデンスが見慣れぬ青年を指せば、彼女はあっと声を上げた。


「今日から私のパートナーとして協力してくれることになりました、ロウ・カノンさんです。これからは2人で貴方の弁護をします」

「…………今度は子供同士か」

「子供じゃないです。弁護士です」

「どうだか」


 クローデンスとロウの視線が絡まり、ハシバミの虹彩が剣呑さを帯びる。クローデンスの美貌がわずかに強張った。


「ロウさん?」


 さっきまでとは打って変わった仏頂面で会釈するロウにエメリーは首を傾げる。子供呼ばわりされたことが、よっぽどプライドを傷つけたのだろうか。

 エメリーは彼の豹変ぶりに戸惑いつつ、クローデンスに再審で有利に働きそうな裁判記録の内容を語り始めた。



*******




「すごいです、エメリーさん」


 午前中たっぷり時間があったのに、ロウから漂うピリピリした緊張感が気になって早々(はやばや)と切り上げてしまった。とはいえ、クローデンスと長く話す予定もなかったのだが。


 エメリーと一緒に動きたいということだから、てっきりクローデンスの無罪もぎ取りにも乗り気だと頼りにしていたのだが………それとこれとは別らしい。


「何がでしょう?」


 考え事をしていたから反応が遅れてしまった。『正義の塔』へ戻る馬車が大きく揺れ、エメリーは我に返る。


「だって14歳ですよ? その年で司法試験なんて僕じゃムリです。しかも法学院に通わなかったっていうし。普通、独学じゃ無理ですもん」

「教えてくれる人がいましたから」


 言葉少なに答える。そのせいかロウは追及の手を止めなかった。底まで掘り下げさせようと身を乗り出す。


「それでもすごいですよ。おうちに弁護士の人がいたとかですか? ずっと勉強していたんですか?」

「8歳の頃くらいからです。それから6年ですから、みんなとたいして変わりませんよ」


 法学院入学時の年齢は15歳、卒業時は21歳だ。ただしロウのような最優秀生徒には飛び級制度が設けられている。ロウはエメリーのことを「すごい」ともてはやすが、彼もたいがい大物だ。

 それを自覚していないのだろう。ロウは溌剌(はつらつ)と光る目をエメリーに注ぐ。


「子供の頃から勉強していたってことは、やっぱり周りの影響とか、憧れがあったんですよね?」


 瞳をキラキラと純粋に煌めかせるロウ。エメリーは言葉に詰まった。


「…………憧れ?」

「僕は、人を()ねた御者(ぎょしゃ)のおじさんを、法廷弁護士が無罪にしてくれて、こんな風に人を護りたいって思ったんです」

「! 『暴れ馬事件』ですか」


 あまりにも有名な事件だ。


 事の起こりは馬車の事故。御者の()っていた馬車馬(ばしゃうま)が通行人を蹴り殺したのだ。亡くなった通行人が結婚したての若い男性だったのもあって、御者を有罪にしろという非難が殺到したらしい。


 そんな人々の非難に立ち向かったのが、御者の法廷弁護士だ。彼は、馬には暴れ癖があり、御者が別の馬に替えてくれるよう何度も雇い主に頼んだものの取り合われなかったこと、しつこく言うと辞めさせられるので仕方なくその馬を使い続けたことを主張した。最高法院の裁判官たちも、職を失ってまで雇い主の命令に逆らうことは期待できないだろうと考え、御者に無罪を言い渡した。

 あの判決は理想的だったということで、特別に『暴れ馬事件』と名づけられている。


 ――――最近は大衆とか高い身分の連中とか、国家にへいこらする裁判官が多いからな。こんな立派な人が少しでもいてくれるとありがたい。


 たいていの判例には批判的なエメリーの恩師も、この判決だけは珍しく褒めていた。


「僕はその人への恩返しも兼ねて、この道を選んだんです」


 その夢を一歩だけど叶えられて嬉しいと、彼は笑う。

 明るい笑顔にエメリーは直視できなかった。眩しくて、違いすぎていた。


 エメリーが法廷弁護士を目指したのは偶然だ。彼女の前に現れた唯一の存在。あの人との出会いがなければ、法なんか知らずに生きた。


 必ず帰ると約束した兄が消え、独りぼっちになってからというもの。生きる手立てがなかった。ほんの6歳だったのだ、1人で生きてけるわけがない。


 じゃあ、どうすれば……?


 思い浮かんだのは、毎月薬を買いにきていたお姉さんのお誘いだった。

 年がら年中、夜にだけ店を開ける娼館。お姉さんはそこで働いていた。


 ――――あんた、可愛いじゃない。どう? うちの店で働くってのは。……やだクロード、冗談よ。でも、困った時は来てちょうだいね……。


 娼館は王都の目抜き通りを忍ぶようにして建てられており、日中はこぢんまりとしていて目立ちにくい。でも夜になると年配の女性が店の前に立って客寄せをするそうだ。だからあんたでも見つけられるよと、こっそり教えてくれた。


 そこへ行こうと思ったのだ。あの頃の少女は、娼館がどういう施設なのかすらまったく知らないお子様だった。

 今思えばとんでもない発想だったのだが、それが転機となったのも事実だ。


 夜を待って娼館まで駆けていき、出迎えたお姉さんは驚いた表情をしていた。でもアッシュワード家の事情は耳にしていたらしく、力になってあげると励ましてくれた。

 力になるといっても、できることなどない。ただお姉さんは、生きる居場所を与えてくれた。それだけで充分だった。


 少女は幼い娼婦として礼儀作法を教え込まれ、客とやり取りするのにしかるべき教養も身につけ――――7歳の年、働き始めた。


 10にも満たない、可愛らしいお人形。『エメリー・ロス』の名を与えられた娘は、年老いた年配の男性の人気を集めた。媚びを売るわけでもなく、純真に振る舞う小さな女の子を見て、枯れかけた人生が再び鮮明に色づいたのかもしれない。


 客の男はみんな、新しくできた我が子のようにエメリーを可愛がってくれた。お喋りをしたり、お菓子をくれたり、子供にはまだ早すぎる装飾品をくれたり。

 装飾品は、持っていても仕方がないのでお金に換えた。貯めたお金は月に一度、お姉さんを介して拘置所のある人物()てに送った。


 兄が、そこに閉じ込められていると告げられたから。


 犯した罪も明かされた。信じられなかった。あの優しくてお人好しな兄が、沢山の人を殺すなんて。間違いだって、その場で叫んだ。


『あんたに言われなくても知ってるわよ』


 お姉さんはほとんど泣きそうな顔で、小さな両肩を抱き、爪を立てた。




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