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裁きの庭  作者: いずれけす
第三章 引き返すための黄金の橋
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食ってやれ



 刑事事件の裁判はお金にならないということもあって、弁護を買って出たがる法廷弁護士は少ない。理由は、報酬が微々たる額だからだろう。


 訴えられた人間がお金持ちなら、財力にモノを言わせて優秀な法廷弁護士を雇える。もっとも、そんな富裕層の被告人はめったにいない。ほとんどが貧しい出自の犯罪者だ。被告人に法廷弁護士を雇う余裕がなければ、国が代わりにその費用を持つ。どんな人間も裁判を受ける際、法廷弁護士をつけなくてはいけないという建前があるからだ。


 もし裁判所が無罪と判断したなら弁護士費用に成功報酬が上乗せされる。しかし有罪であれば弁護士費用の一部が被告人の負担となる。しかも被告人の経済状況によっては、その負担額すら免除されるのだ。


 検察から挙がってくる事件のほぼすべてに有罪判決が下される現状を思えば、エメリーのいる刑事部の裁判記録のコーナーに人がいないのも仕方ないことかもしれない。


「……………」


 がっしりした書棚に囲まれてぽつんと居座る閲覧机がとても寂しい。エメリーはさっき抜き取った10年前の裁判記録を開いた。ぱらぱらページをめくってお目当ての事件を探す。


 あった。例の毒殺事件。被告人の名前に『クローデンス・アッシュワード』と記されている。

 衝撃的な事件だったせいか、書記官がかなり詳しく裁判中の会話を書き留めていた。エメリーは事件の証人となった女性の証言をじっくり読む。


 クローデンスの話通り、女性は配膳室で彼と会った。彼と語らううち、綺麗な顔立ちに見惚(みと)れてぼんやりしてしまったらしい。思えばその隙にワインに毒を仕込んだのだと、検察に言われて気づいたという。


 ――――この人は調薬師だそうですね。毒を作ることもできると思います。初めは雰囲気のいい男の人だと思っていましたけど、そんな人と話していたなんて恐ろしいです。


 証言というより、単に自分の気持ちを言っているだけじゃないのか、これは。なんというか………お粗末だ。

 そこで妙な点に目がついた。


「『検察の方に言われて』?」


 指摘されるまで、よく分かってなかったみたいな物言いだ。どうして? 彼女は毒が盛られる瞬間を見なかったのだろうか。

 まるで検察に吹き込まれたかのような………。

 考えてエメリーはハッとした。


「誘導………?」


 たとえば、相手のことをまったく知らない人物が、その人の悪い情報を突きつけられたらどうなるだろう。クローデンスが薬作りのうまい調薬師で、毒の調合もお手の物だったと言われたら。


 取り調べの部屋は密室だ。他の判断材料がない。検察に教えられたことを信じるしかない。そしたら当然、クローデンスと犯人像が一致する。


 恐らく、ううん。絶対に。

 この女性は誘導を受けたのだ。


 検察の役割は広い。取り調べも『断罪の塔』で行われる。

 裏を返せば、外から見えない分、不正を行いやすいということだ。証人のあやふやな証言を使って、言葉巧みに新しい記憶を植えつけて、被疑者を牢獄へぶち込みやすいように都合のいいシナリオを練る。さり気なく記憶を書き換えられ、ついでに被疑者への偏見と先入観も吹き込まれた証人がシナリオ通りのセリフを語れば、真実っぽい目撃証言のでき上がりだ。


 今のところ、証人が誘導されたケースは挙がっていない。ただ可能性でいえば充分あり得る。弁護連盟は取り調べの可視化を訴えて続けているものの、検察側は知らんぷりだ。


 半年後の裁判でコレを取り上げたら何か変わるかもしれない。それに乗って兄が解放されたなら万々歳だ。エメリーは女性の証言をメモした。



 裁判記録を直そうと書棚に戻ったら、梯子がなくなっていた。誰かが持っていったのかもしれない。


 エメリーは自分の身体を影ですっぽり包む書棚の一番高いところを、念入りに観察した。そして頷き、手近な段に足をかけた。きっちりしまい込まれた背表紙に足先が触れないよう気を配りつつ、するするとてっぺんの段までよじ登る。


 昔は、アッシュワードの屋敷にいた頃は毎日やっていた。兄の愛読書と同じような本を読んでみたくて、書棚の上にある薬草図鑑を目指して。兄には何度も怒られたけど、懲りずに繰り返した。


 背丈の高い書棚にへばりついて資料を戻したら、息を呑む気配を感じた。

首を動かすと、エメリーの目線のわずか下にフランソワが突っ立っていた。唖然と、口の端を引きつらせている。


「おま………何やってんの」

「しまっています。裁判記録を」

「…………楽しそうな運動だな」


 呆れてものも言えないといった風の先輩を前に、エメリーは書棚からパッと身を離した。棚を蹴り、高所であるにもかかわらずストンと着地する。

 …………両足に痺れが走って痛くなった。


 彼女の軽やかな身のこなしをフランソワは眩しそうに見つめた。


「身軽だな。いいねえ若さって。俺にも分けてほしいぜ」

「おいくつなんですか?」

「それ以上詮索したら個人情報の侵害で起訴するからな」


 何かにつけフランソワの年齢を聞き出そうとするのだが、ガードが固く叶わない。さり気なく人に尋ね回っていたのがバレ、たまりたまった依頼を休み返上でぶっ込まれた仕返しは記憶に新しい。

 しつこく追及したら今度はどんな復讐が待っているか分かったものじゃない。エメリーは話題を変えた。


「ありがとうございます」

「ん? どした急に」

「さっき、あの上司さんから助けて下さいましたから」


 ああ。それね。フランソワの応答は素っ気なかった。


「あんなの助けたうちにならねぇよ。困ってる女の子を助けるのは男の役目だ」


 の割に、面倒臭い仕事は女の子のエメリーに押しつける男が彼である。


「あいつの言ったことは気にすんなよ。あいつはカボチャなんだ。人間に化けきれてねぇんだ。うるさかったら食ってやれ」


 酷い言い草だ。フランソワは一度嫌いになった人間をとことんけなす。


「ああいうのも法廷弁護士なんだから、世も末だよな」


 焼きたい。焼きたくてたまらない。いい感じに焦げたらエメリーに食べさせてやろう。

 頭の中で描いていた想像を、フランソワは無意識に口にしていた。


「遠慮します」


 やや青ざめたエメリーが断った。




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