保護者降臨
※ 挿絵があります。苦手な方はご注意下さい。
……………『 I WA O U ZE 』とか、『Woww Henry』だとか怪しげなタイトルが本棚の中に潜んでいますが、お答えしておきます。
錯覚です(何)
昼食を済ませ、エメリーは図書室の重たい入り口を押し開けた。
2階の図書室は天井までが高く、壁のいたるところでガラス窓が煌めいている。あらゆる角度から光を取り入れられるため、広々とした空間はどこかしこも明るい。読書や調べ物にはもってこいの環境だ。
中は通路を挟んで本棚の巨体がいくつも並べられており、一番上の棚まではしごで登っている者もちらほら見られる。
毎日利用者の途絶えない図書室は、幅広な閲覧机も満員である。エメリーは本を読むふりをしてこちらを盗み見る人たちを素通りし、判例集なんかが収められている一画へ向かった。
裁判所はいくつもの組織に分かれている。最高法院を頂点に、刑事部と民事部。その下が予審部…………という風に。その刑事と民事の裁判記録の写しが、ごく一部だが図書室にあるのだ。
2つの裁判記録はそれぞれ、別々の本棚に敷き詰められている。エメリーは初めて裁判記録を扱うため、刑事部のものがどこにあるのか迷ってしまった。さしあたり、背表紙に箔押しされた年代を見て10年前の記録を探す。
「おや。ロス君じゃないか」
野太い声に身体がビクつき、反射的に振り返る。
でっぷり太った、まんまるな身体。弁護連盟を仕切る上層部の1人だ。なまじ大きなカボチャを孕んでいるかのような贅肉のつき具合なので、フランソワがカボチャ上司と陰で叩いていた。
「何をお探しかね」
「クローデンスさんの裁判記録です。あの、集団毒殺事件の………」
「ああ。あの事件か。君が引き受けたんだっけ。ご苦労なことだ」
上司の落ちくぼんだ目が背表紙の年代をなぞる。目線はだんだん高くなり、エメリーの身長では届かなさそうな棚へ向かう。
フランソワの陰口など露とも知らないカボチャ上司は、にたりと笑みを広げた。脂ぎった手がエメリーを招く。
「君の小さな身長では届かないんじゃないかね? わたしが抱き上げてあげよう」
エメリーは身を固まらせた。
こういう人間に会うと、つい勘ぐってしまう。弁護士になる前のエメリーを知っている、かつて自分を指名した客ではないかと。
言い返してやりたい。でも下手を打ってしまったらフランソワに迷惑がかかる。お前の後輩に対する指導はどうなっているんだ、なんて苦情がくるのだ。
気にかけるなと彼は受け流したけれど、後輩の不始末は先輩の評価にかかわる。前にエメリーが別の上司の嫌がらせに口答えしたせいで、しばらくの間フランソワは安い報酬で働かされた。
彼は肩身の狭い『正義の塔』でほとんど唯一の味方だ。それだけでも負担なのに、重荷をさらに背負わせたくない。
とにかく今は我慢。カボチャ上司が飽きて立ち去るまでの辛抱だ。
「どうしたんだい? 具合でも悪いのかな。本当に持ち上げてあげるよ」
エメリーの願いに反して、カボチャ上司は離れてくれない。あろうことか距離を縮めてきた。
さすがに危うく感じ、エメリーの足が退く。
「わっ!」
直後、背後から肩を引き寄せられた。
エメリーの身体を後ろへ押し下げるようにして、すっと進み出る。長身の人物は、彼女に背を向け立ちはだかった。
「善良の風俗は乱すモンじゃありませんよ」
「先輩!」
救われた気持ちでエメリーは目を見開いた。
でもどうしてここへ? いつから? なんでいるのだろう。
「ロ、ローシェンナ君?」
突然の悪人相の出現にカボチャ上司さえもがまごつく。
「ここに来るなんて久しぶりだね。この頃しばらく、依頼を取ってないらしいし」
「……………そうですね」
「もったいないなあ。顧客なんてそうそう持てないのに」
彼らを中心に緊張が走る。フランソワの影がエメリーを庇う。
「君、今も仕事をやってないんだろう。なのにここに来るとは不思議だねえ。この子の後をつけていたみたいだ」
「んなはずないでしょうカボ…………はい。うん。すいません」
フランソワがエメリーに目配せし、こっそり笑む。彼女は親指を立てて頷いた。とんだ性悪コンビである。
息のあった先輩と後輩の秘め事など感づくことなく、突然カボチャ上司がポンッと手を打った。
「ああそうか! 君の前のパートナーが、っ」
「!? 先輩!!」
愉快げな太い声は、最後まで続かなかった。
フランソワが許さなかったのだ。
上司である男の襟を掴み、顔を上向かせる。つり気味の三白眼がカボチャ上司の威勢を押し潰す。しぼまされた男は、負け惜しみのごとくうめいた。
「…………暴行罪だよ、君。仮にも法廷弁護士が」
「ありゃ? おっかしいですね。貴方の外見的特徴を口走って名誉毀損で訴えられないように抑えてたのに」
軽々しい口調とは裏腹、襟を絞る力が強まる。それでも男が苦しんでいないのをみると、加減はしてやっているようだ。
カボチャ上司の唇がひん曲がる。本棚を隔てて聞き耳を立てていたらしい弁護士たちが、一斉に噴き出した。悪趣味な奴らだ。
「エメリー、調査はどうした。そっちに力注ぐんだろ。刑事部の裁判記録はもっとあっちの本棚だ。ここは民事部。行ってろ」
「先輩」
「いいから」
有無を言わせない彼の言動が引っかかり、エメリーはとどまろうとする。それをもフランソワは拒絶した。
「あとでうまいタバコおごれ。それでチャラだ」
しかし一言多いところは、いつもの彼である。
タバコ、の単語に渋く表情をしかめた彼女は、無言でぷいと踵を返した。相変わらずのご反応で、と苦笑するフランソワ。
だが目元が和らいだのも一瞬で、再び剣呑な翳りが閃く。
「訴えますか? どうぞご自由に。この程度で訴えられちゃ適わんので、本当にするなら痕が残らないようにボコされまくってからにして下さいね」
動きにあわせて硬質に鳴る、フランソワの指の関節。
こんな悪人相にここまですごまれれば、もうお手上げだ。
「…………参ったよ。離してくれ」
カボチャ上司が両手を挙げる。
「『許してくれ』じゃないんですね」
「なんでわたしが許しを請う必要があるんだい?」
ぱちぱちまたたくカボチャ上司の両目。まったく可愛げがない。それだけに苛立ちが募る。
フランソワの手が離れると、カボチャ上司はやれやれと襟元の形を直した。
「ずるいけど、賢くはないね。君。ことヴィリアーズ君の話題になると暴走して――――後輩にここまで振り回されるもんじゃないよ」
ヴィリアーズ。頭の中で反響する名をフランソワは掻き消した。
「振り回されてんじゃない。俺の意思だ」
「どうだかね」
嘲り気味に鼻を鳴らす上司。フランソワの胸にあふれ始めた焦りを察したみたいだ。
「君はもちっと冷淡になった方がいいよ。じゃないと二の舞になるかもね。なんでも自由にさせたら、また取り返しのつかない問題が起こるよ」
ちらりとエメリーがいるだろう場所を一瞥する。そんなカボチャ上司の仕草を見るにつけ、フランソワの嫌悪感が増した。




