すぐ近くの遠い場所
挿絵が入っています。苦手な方はご注意下さい。
「大丈夫です。半年後、私が貴方の手を引きますから。絶対、連れ出します」
幼い頃、いつだって兄は手を握ってくれた。母を失って泣きじゃくった日も、雷が轟いて怖い夜も。大丈夫、僕がいるよって。
温かい笑みにどれほど不安を忘れ去られたか。どれくらい、助けられたことだろう。
だから今度は、私が支える番。
「ねえ。クローデンスさん」
自然と唇から言葉が滑る。
優しげな声音だった。甘やかな囁きにクローデンスは鼓動を高くする。
「牢獄から出て、一番にしたいことはありますか?」
「…………したいこと?」
聞かれて、クローデンスの視線が遠くなる。彼はエメリーを見つめているようで、別の存在を映していた。
「――――妹に、会いたい」
自分が死ぬとか、罪を犯しただとか、周りが後ろ指を差す分にはどうでも良かった。
そんなことよりも、妹のことが気になって仕方なかった。彼女はどうしているのか。独りぼっちで寂しがっていないだろうか。
…………生きて、いるのだろうか。
「あの子には私しかいない。父親はあの子が生まれる前に死んで、母親もすぐ後を追った」
2人からクローデンスは妹を託された。
両親の分も、クローデンスが精一杯愛そうと決めたのだ。たった1人の肉親として、あの子が二度と辛い悲しみで嘆くことのないように。
何があっても離れない。妹を幸せの中に護る。母親の葬式で泣きじゃくる小さな身体を抱き寄せて誓った。のに。
今。クローデンスの腕は、からっぽだ。
「妹さんは、今どうしているんですか?」
「…………分からない」
どうしているかなんて、こっちが知りたい。
全てを奪われたあの雪の日、妹はやっと6つになったばかりだった。仲良くしていた街の人たちの見せ物になって、犯罪者の忘れ形見というレッテルを貼られたに違いない。
そんな子供を、誰が好き好んで助けてやろうと思うか。生きる術も知らず、ひたすら無邪気な子供を保護してくれるほど、世の中は甘くない。
引き離されている間に妹の死の知らせが来ないか、恐怖だった。知らせが来るならまだしも、誰からも見放された中で力なく息絶えていたら………。そう考えると、ぞっとした。
「ただ生きては、いるらしい」
そんなことしか知らないなんて、情けなさすぎる。しかもそれが絶対と言えないのも歯がゆかった。
牢獄に繋がれた犯罪者は一応の生活の保障がなされているものの、最低限だ。部屋も寝床と椅子しかなく、ちゃんとしているのは食事くらいで、集団浴場も1つしかない。衛生管理もお粗末で、どんなに丈夫な人間でも病気がちになる。
唯一、生活をマシにする方法は、家族に差し入れしてもらうことだ。物品でもいいが、金が一番便利である。額が高いと、裕福な庶民並みの環境が約束される。
クローデンスの許へ金が送られたのは、彼が牢獄に押し込められて間もないうちだった。
差出人は誰か分からない。でもクローデンスは確信した。妹によるものだと。
「送金は今も続いている。あの子は生きているはずなんだ。どこにいるのか分からない。けど、会いたい……」
深みのある声が弱々しく震え、徐々に掠れていく。エメリーは目を細めた。
彼にとって妹の存在がどれほどの生きがいか、苦しいくらい通じた。
抱き締めたかった。ここにいるよと囁きたかった。あと一歩近づけば、彼との距離はほとんどなくなる。
でも駄目なのだ。今の彼女は『エメリー』であって、彼の妹ではない。
いつ、彼の妹に戻れるだろうか。戻れる日は来るのだろうか。何もかも終わって、元通りにはならないけれどやり直しだったら叶う日が。
エメリーはクローデンスの腕にそっと手をかける。
こんなに近くにいるのに。
2人の距離はとても遠い。




