権利の上に眠る者
後書きに挿絵を移しました。苦手な方はご注意下さい。
…………しっちゃかめっちゃかになりました (汗)
「!」
外の廊下から、足音がだんだん近く鳴り寄ってきたのでビクッとする。だがよく聞くとその音は軽やかで、お腹の肥えた牢番ではありえないくらい小さかった。
扉をコンコンと叩く音。次いで鍵を回し、その人物は現れた。
背丈の小さい、華奢な身体。優しくうねった鳶色の髪。人形を思わせる容貌はせっかく整っているのに、表情が抜け落ちているせいでどうも物足りなく感じる。
エメリー、だったか。クローデンスより10歳も下の少女。昨日、言うだけ言って突き放したのに。また来たのか。
どうやら忍耐力はあるようだ。だがそれがどこまで続くだろう。
切り崩してやろうとクローデンスが唇を緩めた矢先、彼女は寝台に腰かける彼を見下ろすような形で、切り出した。
「時間がありません。貴方が信じてなかろうがどうでもいいです。教えて下さい」
「…………あ?」
「貴方の再審公判まで、半年を切っているんです」
声が苛立たしげに尖っていた。怒りの矛先はクローデンスに突きつけられていないようだったが。
「10年前の夜会。貴方は何をしていたのか。思い出せるだけでいいです。事実だけを話して下さい」
怒っているのもあってか、偉そうな物言いだった。反発してクローデンスも冷ややかになる。
こんな小娘に何ができる。
ギリ、と歯ぎしりした。
「………それは、お前たちの望む『事実』か?」
きつくなっていた青灰の瞳が丸く見開く。目の前の少女は驚いているようで、困惑しているようでもあった。
「私たちの望む事実って、なんですか?」
「お前たちは私を人殺しにしたがる。お前もそうなんじゃないのか?」
「何を、」
「有罪の方が話を進めやすいからな。材料もない状態で無実を証明するより。誰も無罪にしようなんか思ってなかった」
お前もそのクチだろ。
実の兄が、冷淡に目を細めて軽蔑する。
――――弁護するにしてもどうせ有罪は確定だからさ、皆やりたくないんだよね。
悪気もなくさらっと言ってのけた先輩の呟きが、こだまする。エメリーは、その呟きが終わらないうちに振り払った。
兄が打ちひしがれているのは重々承知の上だ。それが彼女の想像以上だってことも。
だからこそだ。彼をそこでとどまらせておくわけにいかない。彼を動かさない限り何も始まらないのだ。始まらなければ、エメリーが描き続ける『終わり』はずっと夢のまま。
兄の抱える闇は深く、濃い。底なしで澱んでいて、エメリーの声も腕も届かないかもしれない。
だとしても構わない。最後まで疑われていても、嫌いでいてくれてもいい。彼のために立ち止まったりなんかしない。
法廷弁護士になると決めた日、エメリーは待つことをやめたのだ。
「………クローデンスさん」
「なんだ」
クローデンスは顔をしかめた。
「私がほしいのは」
きっぱりと、エメリーは言いきった。
「貴方の事実です。貴方にはその権利と自由があります」
何を告げられたかさっぱりだったらしく、クローデンスがきょとんとまばたきした。薄い紫の虹彩が明るさを帯びる。
「…………権利?」
「不利益な供述を強要されない権利です。答えたくなければ貴方は沈黙する自由がありますし、一部分だけ答える供述拒否権もあります」
エメリーは法典で保障されている被疑者と被告人の権利をそらんじた。もっとも、法廷弁護士にまで黙秘権や供述拒否権を貫かれるのは辛いところがあるが。
「権利………」
呆然と、夢見心地な感慨にふけって、クローデンスは呟いた。
権利なんて、認められたことがなかった。権利がなかったから口を封じられた。
あるなど思わなかった。
「貴方がやっていないなら、それでいいんです。私が証明します」
これまでずっと、たった1人を除いて、彼の話を真摯に受け止めようなどする法廷弁護士はいなかった。最初から犯人だと決めつけ、それを隠しもしない。…………けど、この少女は。
『お前はやってない。それで充分だ』
ふいにあの人の声が脳裏を差した。犯人、犯人と言われ続けていたクローデンスに、初めてかけてくれた言葉だった。
素っ気なくとも嬉しかった言葉。真剣な面差し。それでクローデンスはやっと身をゆだねられる相手を見つけたのだ。
「というわけで話して下さい」
話すも話さないもクローデンスの権利だと言っておきながら、さっさとしゃべれとばかりの口ぶりだ。詰め寄られ、クローデンスは心持ちあとずさる。
彼女は、クローデンスが心を寄せるのを待たず調査を進めようとする。ともすれば依頼人の反感を買うものかもしれないが、それだけ彼の立場を考えていることも伝わった。
どこかあの人に似ている感じがした。
――――信じてみても、損はないかもしれない。
「……………」
すっ、と静かに息を吸う。
語り出すのは、意外と簡単だった。




