食堂での聞き捨てならない事実
『聞き捨てならない事実』と繋ぎ合わせました。
面会初日だからだと思いたい。それくらい、期待していたような調査ができなかった。
王都の拘置所は寛容で、日中ならいつでも依頼人との面会できるが、時間が短い。エメリーが仕事を引き受けた時点で日が傾きかけていたから、収穫もなく終わった。
――――あんなにズタズタにされていたなんて、思いもしなかった。
本心を隠すように翳った瞳。それで睨み、試しているのだ。その人物が本当に信頼できるかどうか。傷つく前に追い出そうと。
手遅れかもしれない。
「…………兄さん」
会えて嬉しかった。
こんな形で会いたくなかった。
――――クローデンス・アッシュワードさんですね?
違う。
はっきり見つめて、ゆっくり言葉を紡ぎたかった。『兄さん』って。
でも今の彼女は妹ではない。『エメリー』なのだ。弁護士の道を選んだ、法廷弁護士になりたての、おぼつかない娘。死刑囚と接点があるなんて、ありえない。
これが初めての顔合わせなのだ。その証拠に、彼も気づかなかった。
だから、他人。
自分で考えて、決めた道なのに。
どうしようもないやるせなさに、エメリーは唇を噛んだ。
『正義の塔』の食堂に入ると、色んな人たちの視線が突き刺さる。あからさまな敵意や興味、警戒、挑発じみたものまで、よりどりみどりだ。たった1つだけ、好意的な感情が欠けている。
毎度おなじみのお出迎え。フランソワとペアになった初日こそ戸惑いはすれ、とっくに慣れた光景だ。
『正義の塔』では、食事の時間は決められていない。皆、好きな時にご飯を食べることができる。エメリーがやってきた時間帯はいつもより遅めだったのだが、それでも人は多い。
テキパキと用意された食事を口に運んでいても聞こえる、好奇心だらけの囁き。誰もがエメリーを意識している。珍しいのだ、こんな若い娘が法廷弁護士だなんて。
ただでさえ弁護連盟は女性の人口が低い。それだけでも充分な注目を集めるというのに、加えてまだ十代である。
小奇麗な、法学院の卒業生でもない、最年少の法廷弁護士。三拍子そろった彼女は、かっこうの話のタネだ。本人すら聞き及ばぬ噂が、尾ひれ背ひれ、胸ひれまでついて塔内に流れている。
そんなことを知りもしないエメリーは、すっかり変わってしまった兄との会話を思い出す。
まだ本題に入るのは難しいだろう。まずは心を開いてもらわねばならない。もしエメリーが最初の担当弁護士だったなら、すぐ打ち解けてもらえたろう。
誰からも相手にされず、犯人扱いされてきたことが、彼の態度を頑なにさせたに違いないのだ。
「よお。さっきぶり」
考え事をしながら卵料理にナイフを通していると、頭上から声が降りかかった。見上げれば、確かにさっきぶりのメンツが立っていた。
「先輩。ジャンさん」
「どうだった? 相当ひねくれてただろ、あいつ。やっていけそうか?」
エメリーは盆に載ったスープに目をやる。
ミルクの風味がたっぷりのクリームスープ。まだ兄がいた頃、エメリーの家では、この季節になるとクルマバソウの葉を香りづけに浮かべていた。お菓子みたいな匂いのクルマバソウは、安眠効果がある。
「できます」
「そっか」
1つ笑って、席に着いたフランソワはこぶし大のバゲットをちぎる。バゲットの欠片を小皿のオイルに乗せたフランソワは、ふっとエメリーを見直した。
「そだそだ。言い忘れてた」
エメリーの顔が跳ね上がる。
「再審、半年後だから」
「…………へ?」
「だから、半年後」
早いねぇ、と他人事のような――――実際、他人事だけども――――口ぶりでフランソワはスプーンをくわえる。行儀悪くそのままスプーンの柄を口で上下させていたが、初めて聞かされた事実に不意を打たれたエメリーは注意する余裕もない。
「あの、再審までの期間って、そんなに短いんですか………?」
「再審が決定した例がまずほとんどないんだけど、多分短いね」
たはは……と困り顔で笑うジャン。
再審は、アルバーン王国の裁判で最終的に確定した判決を、もう一度やり直す特別な制度だ。重い罪の有罪判決を受けた者が、無罪か減刑となるかもしれない最大で最後のチャンスである。その可能性もとりわけ高い。
ただそうした制度が定められているものの、実際に認められるのはごくまれで、『開かずの扉』やら『狭き門』と陰口を叩かれている。検察側の反発が大きいからとか、一度有罪とした事件をひっくり返されると裁判所のプライドが傷つくから………とか、まことしやかな理由まで囁かれるほどだ。
再審で一発逆転をかますには情報集めと証拠品の調査をじっくりしなければならない。とにかく時間が必要だ。ところが、裁判所が与えた期間は半年。
ジャンが担当してくれる法廷弁護士を探すのに要した日数を引くと、より短くなる。
…………つくづく、司法の世界での弁護士や被告人の立場は弱いと思わされる。
「もう一度聞いてきて下さい。間違いです」
「ジャンが5回ぐらい確認したんだってよ」
「裁判所も、実のところ認めたくないんだろうねぇ。ま、検察の圧力もなきにしもあらずかも」
今さらクローデンスが無実となれば、じゃあ真犯人は誰だという暴動が主に貴族の間で起こるのは目に見えている。
そうでなくとも確定した判決が否定されるのは、裁判所にとっても恥だろう。検察の落ち度にも繋がり、世間様のお目玉はまぬがれない。
考えてみたら、よく認めてくれたよなと思う。
「再審するかどうかの検討会は2年前から始まっていたんだよ。ここまで長引いたのは、検察が粘ったせいじゃないかって言われてる」
その間に再審を請求した法廷弁護士が死に、元凶がいなくなったと危うく打ち切りになりかけた時がある。それを引き留めたのが、最高法院長だ。
「あのじーさんが、ねえ……。いまだに信じられねーわ。じーさんほど再審を決めるのが『らしく』ない奴はいないぞ」
「じーさんって。フランソワ、言い方……」
「60過ぎたら皆じーさんだ。な、お嬢」
「女の人もですか?」
「着眼点が違うよエメリー!」
就任以来、有罪判決を出しまくるわ、死刑囚の死刑執行の印をバンバン押すわでなかなかに脅威だったあの男が、弁護連盟の味方になってくれるなど初めてのことだ。不思議だけれど、あの男も例の事件には思うところがあったのだろう。
「でも俺が思うに」
オイルに浸したパンの存在を忘れ、あぶったカモの腿肉にかぶりつくフランソワ。柔らかな食感と香ばしい熱々の湯気、滴る肉汁に舌鼓を打ちつつ、機嫌良く口にした。
「お前ならできると思うぜ。お嬢。あいつが無実だったらの話だが。お前と2年間一緒だった俺が言うんだ、やってやれ」
「そうだよエメリー。信じてるから」
2人の言葉に偽りはない。でも不安だった。
こんな短期間。できるだろうか。エメリーは紅茶に映る自分の顔を見下ろす。
瞳に、迷いはなかった。
きっとできる。
彼を救えるのは、自分しかいないのだから。




