はじめに
刹那、30代のシングルマザーです。
グレーゾーンと呼ばれる子供を
子育てしつつ、福祉の仕事に
ついています。
知識もなく、学歴もなく
あたしを拾ってくれたのは
この会社だった。
会社に迷惑はかけたくないので
会社名は伏せます。
しかし、どん底からの這い上がり人生
いまだに消えないトラウマ
私の歩いてきた時間を文章に
しようと思います。
綺麗事なんか言わない。
現実は、誰も誉めてなんかくれないし
当たり前と、偏見の目もなかなか消えない
メンタルを患いながらも
それでも生きて行かなければ
いけない理由。
どうか諦めないで。
そんな気持ちで書きます。
これは、全てノンヒィクションであり
事実に基づき、私が今まで過ごしてきた
時間を文章にしたものである。
私の名前はみや。
30代前半のシングルマザー。
12歳の中学生になる息子と
二人暮らしをしている。
元夫とは、7年時間を共にしたが
始めての妊娠で、子宮外妊娠で
子供を亡くす。
私は情緒不安定になり
息子がお腹にできた時には
夫婦間にもう少しずつ亀裂が入って
いたのかもしれない。
息子は帝王切開ではあったが 無事に生まれ
息子が四歳の時に正式に離婚を決める。
それから私は息子と、二人の生活が始まる。
離婚してすぐは、不安だらけで
母親は強いというけれど
それは間違いだと思う。
その頃から私は、心療内科から始まり
精神科、メンタルクリニックに通うようになる
病院も、4箇所行った。
薬も何度も変わったし
色々な副作用も体験してきた。
診断名は変わらず鬱と不眠症とパニック障害
と言われ、まさか自分が病気になるなんてという漠然とした、絶望感を味わうことになる。
その時は、目の前が真っ暗なった。
私の心の中は真っ暗闇をさまよっていた。
ゆういつの光は息子の笑顔だった。
こんな母親でごめんねと泣き崩れる
私を見て、育った息子は、いわゆるグレーゾーン
と呼ばれる子供だった。
抗うつ剤といっても
飲んですぐに効き目がでるわけではない。
睡眠薬を飲んで朝もなかなか起きれず、夜になると心臓をわしずかみされてるような苦しみ
悲しみに耐えきれずに、一日の大半を泣いて暮らす
生活が始まる。
息子のグレーゾーンというのは
のちほど詳しく説明しようと思う。
自傷癖は治らず
手首をザクザク切り刻む
血液が溢れて滴り落ちるのを
見て心を落ち着かせていたし。
離婚してすぐに
特に理由もなく、自分の誕生日に
タトゥーを彫ってもらった。
始めてのタトゥーは蝶と薔薇で
今思うといまいちの仕上がりではあったが
胸に入れたタトゥーも私の身体の一部となった。
ほかには、喘息の発作で救急車で
運ばれたり、過呼吸で息が苦しくて
袋で呼吸を落ち着かせる症状もでたし
精神科の薬をごちゃまぜにして100錠
のんで、救急車で運ばれ胃洗浄をした。
薬をいくら飲んでもしいからと女医さんに
怒らたのを今でも昨日ことのように覚えている。
そして、過食症になる。
食べても食べても満たされない。
いつでもお腹がすいて
我慢ができなくなっていた。
食べ過ぎて胸焼けを起こして
嘔吐する。
こんな自分が嫌で嫌で
泣きながらスパゲティーを食べて
嘔吐したにも関わらずまた涙がとまらないまま
食べ物を口にはこぶ。
持ち合わせている洋服は履けなくなり
切れなくなり、太ったことへのコンプレックスで
外へもあまり外出を避けるようになる。
かなりの悪循環で、そんな生活を一年間ほどして
息子の保育園の入園が決まり、このままではいけないと決意をして、たまたま派遣で紹介してもらった事務の仕事をやることになった。
仕事じたいは、殆どが電話対応、書類の確認をして
簡単なパソコンの入力だった。