PIANO 雨情 琉雫編
つまらない人間ばっかりだった。
駆け出しの頃はろくに相手にもしてこなかったくせに、今じゃこの様だ。
青年――雨情 琉雫は、不愉快な気分を隠さずに顔を顰めた。
……と、後ろから肩を叩かれる。振り返ると、カーリーヘアの女性が佇んでいた。
ミネラルウォーターのペットボトルを差し出して、女性は言う。
「あなたの髪型、また良かったわね」
それを受け取って軽く礼をし、蓋を開ける。一口飲むと、渇いていたらしい喉が潤った。
蓋を閉めながら、
「そうかい? そう言ってもらえると、白暁も喜ぶよ」
琉雫は、長い付き合いになるその女性――マネージャーに微笑みかけた。マネージャーはにっこりと笑い、
「貴方が駆け出しの頃は、あぁこいつダメだろうなって思ってたんだけど」
悪びれもせずに告げられた言葉を理解するのに、数秒頭の中が固まるのを感じた。
「………なんかさらっと酷いことを言わなかったかい?」
強ばった笑顔を向けると、カーリーヘアをかきあげながらマネージャーは男っぽく笑う。
「まぁでも、最近はちょっと様になってきたんじゃない」
「………それは今までは様になってなかったって言うことかな」
「そうね」
躊躇いもなく是と告げられ、しばし笑顔が固まる。
………この女性は、本当に礼儀の欠片もないのだろうか。長い付き合いでこうなったのなら、少々説教でもしておいたほうがいいかもしれない。
「貴女は俺のことを何だと思ってるのかな?」
「ようやくそれっぽくなってきた歌手」
「………………………」
返事を返すのも馬鹿らしくなり、琉雫は溜め息をついた。
と、控え室の入り口から白暁の姿が見えた。ソファで物憂げに俯いて、目を伏せている。
「……何やってるんだろ」
「さぁ? さっきもあんなだったわよ。なんか……『れいちゃん』とか呟いてたと思うわ。そろそろ頭にガタがきたのかしら?」
あんまりな言い草だ。まぁ本人はなんとも思わないかもしれないが。
白暁は非常にマイペースな性格をしていて、いつも眠そうな顔をしている。
一応あれでも琉雫の専属スタイリストの筈なのだが、非常に気まぐれで、ことスタイリングに関してはリクエストなどさせてくれない。仕事として依頼されたのならともかく、琉雫が今日はこんな感じにしてくれないかい?などと頼んでも、まったくもって要望を聞いてもらえたことはない。
まぁ、おかしなことをしてこないのだからそれでもいいのだけれど。
「………白暁ってあんまりあんな場所で休まないよね……ん?」
不意に白暁は立ち上がり、前方に向かって歩き出した。……その足取りさえも気怠げだったけれど。
その先にいたのは、
「……は? 何やってるんだろ? あの人、まともに喋ってくれたことあるのかな」
その先にいたのは、美しい容姿を持つスタイリストだ。白暁とは違い、誰かの専属などというまどろっこしいことはしていない。
雪倉 彰成。誰に対しても笑顔を崩さないスタイリスト――だが、長髪を持つ男性に対してはとんでもなく態度が悪いと聞いたことがある。
……というか、その現場を見たことがある。白暁が彼と知り合った時、彼はあからさまに嫌な顔をして、何で髪を伸ばしたりなんかしているんですかと詰め寄っていた。
それを言うなら先輩は?と白暁がもっともな質問を返すと、彼は思いっきり激昂して白暁に怒鳴りつけた。
『誰が好き好んで髪を伸ばすものですか!!』
………何らかの意味があるのだろうが、あんまり他人にとやかく言うことではないんじゃないかなー、なんて思った時には既に彼は立ち去っていた。酷く気分を害した様子だった。はっきり言えば、わけの判らない恐怖だけ与えてくれた人で……琉雫はあんまり彼が得意ではない。琉雫自身は長髪ではないのだが、あの現場を見た後、彼の笑顔が酷く恐いものに見える。無理もないだろう。
「………うわぁ勇気あるなぁ、白暁………俺は正直、あの人パスなんだけど」
「あの人って? ……あぁ、雪倉さんのこと」
マネージャーは片眉を上げて首を傾げた。
「………確かに変わった人よねー……大体、あの金髪、変に淡くない? 綺麗だとは思うけどー……普通に染めて、あんな色になるのかしら」
「………」
確かに言われてみればそうだ。あんなに薄い色をした金髪は、今まで見たことがない。元は黒髪だろうに、あれだけ薄い金髪に、果たして染めきれるのだろうか。大体、染めても全く痛んだ様子がないのはどういう訳だろう?
フイッと、彰成は白暁に背を向けて立ち去っていく。
それをしばらく見つめてから――白暁はようやくこちらに戻ってきた。
「何やってたの? 白暁」
「………雪倉先輩と……話してた」
いやまぁそれはここから見てたから判るけどさ、と溜め息をつくと、白暁は眼を瞬かせた。
「……様子がおかしかったから」
「? それがどうかしたの」
「………僕を見ても、いつもより、嫌な顔しなかった。ぼっとしてた」
白暁は眠そうにそう答える。
琉雫は彰成よりも更にわけの判らない青年を半眼で見やった。
「………そう。まぁ別にいいけどさ」
とりあえずスタイリングしてくれるかい? そう訊ねると、白暁は軽く頷き、スタイリングの準備を始める。
「あぁ、ねぇ。白暁なら判るんじゃない」
「? 何のことかしら」
「さっきの金髪の話」
「あぁ、そうね。ちょっと白暁、いいかしら?」
マネージャーが声を掛けると、白暁は緩慢に振り返った。彼女を認め、小さく首を傾げる。
「貴方、雪倉さんの髪の色、おかしいと思わない?」
「………」
白暁は眼を瞬かせた。何が? という表情だ。
「あんなに薄い金髪って、普通いる?」
「……脱色すれば、髪の色はなくなる。別に普通」
「でもそれって髪、痛まない?」
白暁は再び緩慢に眼を瞬かせる。
「………痛む」
「でも、雪倉さんの髪って、痛んでないわよね? 不思議じゃない?」
「……」
白暁は首を傾げてから、
「………ストレスとかで………白髪になったたら………脱色しなくても………色、髪の上における。と思う」
「ストレス? ふーん。まぁ良いわ」
早めに終わらせておいてね、と残し、マネージャーは去った。
「雪倉先輩の髪は……確かにキューティクルが綺麗……」
白暁の言葉に、琉雫はしばし考え込んだ。