疑念と転入生
「うぃーっす。遂に始まっちまったなぁ、新学期。まじだりぃ……」
白髪交じりの黒髪をくしゃくしゃにし、やる気のなさそうな男が教室に入ってきた。その口から出た言葉はとても教師とは思えないものだったが、れっきとしたこのクラスの担任だ。
名前は 井上正造。年齢は四十を超え、その姿形もくたびれたサラリーマンのようなのだが、不思議と青年のような雰囲気も醸し出している。
これでも、その能力は教師としても、精霊術師としても優秀なものだ。やるときはやる、けじめのついた男である。
「あ、そうそう。転入生を紹介するぞ。お~い、入ってくれ」
井上の指示と共に、四十一人目のクラスメイトである女子生徒が教室に入ってきた。その姿を視認できた瞬間、ほとんどの者が息を呑んだ。
まず、特筆すべきは色だ。背中の半ばまで伸びた髪の毛は金色、色素の薄いものだが、それがより一層、神秘的に見える。その瞳は澄み渡った空のような色だ。その顔立ちは日本人のようにも見える。
「クロエ・ラルカンジュと言います。フランスから来ました。父がフランス人、母が日本人のハーフです。よろしくお願いします」
緊張している様子だが、日本語を流暢に話し、頭を下げる姿は日本人そのものだ。髪や瞳の色はフランス人、顔立ちや仕草は日本人のようだ。
男女問わず、彼女の姿を見て、口を間抜けに開けている。その可愛らしさ、美しさ、そして神秘的な姿に見惚れているのだろう。
(何だか、嫌な予感がする……)
何故だかは分からない。だが、修二はそんな気がしてしまった。敵陣に一人で忍び込む機会の多い修二だ、そういった危険に対する感覚は人一倍優れている。その感覚が訴えている。この女は危険を運んで来る渡り鳥であると。
「じゃあ、あれだ、あれ。あの後ろの席に座ってくれ」
井上が指すのは、最後尾の席。六列の座席、普段は七行目の席が四つしかないが、今日は五つとなっている。
井上の指示で、クロエは窓から二列目、その最後尾の席へ向かう。彼女が横を通り過ぎるだけで、男共の表情は幸せなものに変わっていく。その様子を修二は同じ最後尾、壁の隣の席で眺めていた。
「んじゃま、少し時間あるから雑談でもしててくれ」
適当な指示だが、異質な者として始業式に出席するより、少しでも周りの人間と打ち解けた方が良いだろうという、井上なりのクロエに対する配慮だろう。
案の定、彼女の周りには人の壁ができていた。先程の修二のものより厚い壁だろう。
修二は自席から離れず、傍観を決め込んでいる。本来なら、少しからかいに行っても良いのだが、どうにもそんな気にはならない。
「行かないのか……?」
隣にいる陸が疑問の言葉を口にする。サボり魔である二人は、どちらも最後尾の席に追いやられているのだ。他の座席はくじ引きで決められている。
「なんでだ?」
疑問に対する疑問だ。その意図を理解している修二だが、念のため誤魔化しておく。
「いつもなら……、ちょっかい出しに行くんじゃないか?」
ご明察と、修二は心の中で陸を称賛した。
「今日は気分じゃねぇんだよ。雨降ってるし、髪があれだし」
手を振りながら、修二は誤魔化しを重ねる。どのみち、彼女に対する疑念も勘に過ぎない。自分では信じている勘も、他人にとっては意味のないものだ。陸の疑問に正直に答えても無駄だろう。
「あっ、そう……」
陸もこれ以上聞いても無駄だと思ったのか、話を切り上げた。その表情はまだ納得していない様子だ。
もう一度、修二がクロエの方を見ると、人だかりの隙間から彼女の表情がちらりと見えた。笑顔を浮かべている。どうやらうまくやっているようだ。
(やっぱり、気のせいか……)
その穏やかな様子に、修二は自身の勘に疑いの目を向ける。神経が過敏になっているのかと思い、眉間を押さえた。
□ ■ □ ■ □ ■
「やっと……、終わった」
陸が気怠そうに言う。彼にとってはこの気怠そうな雰囲気が平常運転であるのだが。
すでに始業式も終わり、昼食をとってもいい時間帯だ。
「けど、すごかったね~、クロエ」
現在、男四人組、クロエ、その隣の席であり、天音の許嫁である緑子、そしてもう一人、緑子と仲が良く、クロエの前の席である少女が共に歩いている。今口を開いたのはその人物だ。
時任彩良。ショートカットの茶色を帯びた髪の毛、はっきりとした明るい目を持つ、快活そうな少女だ。背はクロエ、緑子、彩良で同じほどだが、彩良に限っては、見方によっては美少年にも見える。
「他のクラスの男子も、クロエちゃんに見惚れてたものね」
緑子の言う通り、廊下や講堂内でも、クロエに視線を向ける者が多かった。
精霊術大国である日本。その教育も高い水準を誇っており、海外からも入学してくる者も少なくない。海外の人間だから、ということではなく、単純にクロエが人目を引く容姿をしているのだろう。
「やっぱり髪の色とか珍しいのかな?」
「クロエが可愛いからだよ!」
クロエの頬がほんのりと桜色に染まる。その白い肌に良く映える色だ。普通の男子生徒が見たら悶絶してしまいそうな表情である。だが、ここにいる男共はその性格や人格に、一癖も二癖もある上、どこか子供っぽい。この美少女の顔でも、あまり反応を示さないようだ。
「修二、今日は静かだね」
海斗が音量を抑えて、修二に問う。陸だけでなく、海斗も修二がどこかおかしいことに気付いた。
「お、あれか!? ラルカンジュさんに一目惚れか!?」
天音がその表情を輝かせ、顔を近づけてくる。普段緑子との件でからかわれているからか、反撃の機会と思ったらしく、かなり気分が高揚しているようだ。
「あほか、お前じゃあるま――」
言い終える前に、修二の歩が、動きが止まる。食堂へ向かおうとしているその歩みが。その表情が一瞬だけ、険しいものに変わる。
「修二……、どうしたんだ?」
陸の疑問の声。それに呼応するように、他の面々も修二の異変に気付いていく。
「ん? 修二君どったの?」
七人の最前にいた彩良も疑問を感じたようだ。少しだけ、心配の色が見て取れる。
「ちょっとトイレだ。食う前に出すもん出しとこうと思ってよ」
下品なことを言いながら、修二は便所の方へ駆けて行った。
「最低だな」
「さいてー」
「はぁ」
侮蔑、呆れ等、反応は様々だ。クロエも複雑そうな表情を浮かべている。知り合ったばかりなので、他の面々のように、はっきりした反応はできないのだ。
「はぁ……」
修二はその背に、負の感情が向けられていることを感じ取る。だが、その背中にはそれ以上の、哀愁のようなものが漂っていた。まるで子泣き爺でも背負っているのかと疑ってしまうほどである。修二は自身の勘が、現実のものとなってしまったことを半ば確信しつつ、便所へと入っていった。
決して、漏らしたわけではありません!