必然で、予想外の衝突
「よし! じゃあ片付け始めようか」
既に新入生は高校生活初めての下校を経験し、帰路へと着いている。生徒会の一部の人間と修二は校門前の片付けから始めようとしていた。残りの面々は講堂にいることだろう。
修二は意外にも、黙々と作業をしている。やり始めるまでは文句も言う上、行動が遅いが、それ以降はきちんと仕事をこなすのだ。
「ん?」
と、その時。修二の携帯電話が震えた。精霊術が強い力を持つ現代でも、生活面では凡庸性が高いことから、科学技術が使われていることが多い。もちろん、精霊術を使った通信システムも存在する。
「ハロー、美羽ちゃん。どうしましたぁ?」
ディスプレイに表示された名前は、上級生のものだったが、修二はとてもそうとは思えない応答をした。隣で海斗が呆れている。
『そこから逃げて! 早く!』
「はい?」
なにやら美羽の様子がおかしい。逃げて、というからには何か危険が迫っているのだろう。
修二が辺りを見渡すと、そこには確かに危険がいた。飛び切り楽しい危険が。
「桐生、修二……!」
癖のある黒髪を揺らしながら、こちらへ迫ってくる。つい先ほど、お目にかかったお嬢様――桐生梓だ。その目に確かな闘争心を、隠そうともせず宿している。そのまま斬りかかってきそうな、辻斬りのような目だ。
「これはこれは、桐生のお嬢様。私、偶然にもあなたと同姓を名乗らせていただいています。いや、これは光栄。大変喜ばしく、誇りに思っています」
終始相手を小馬鹿にしたような調子だ。修二の顔には愉悦が浮かんでいる。こうもすらすらと口が動けば、それはさぞ楽しいことだろう。
「馬鹿に……、しているんですか?」
ただならぬ雰囲気に、隣にいる海斗だけでなく、周辺にいる生徒会の面々も異変に気付いたようだ。
「あ、次席の……」
誰かが小さな声で呟いた。悪気はないだろうが、火に油を注ぐような事態になってしまう。
「そうそう、じ・せ・きの、お嬢様! いやぁ、素晴らしいですね。出生も能力も輝かしくて、羨ましい限りでございます」
またもや壮大な煽りだ。次席という言葉を強調している。本来なら輝かしいことだが、この言い方では、そうとは思えない。
見る見る内に、梓の顔が赤く染まっていく。林檎だったら、もうすぐ熟して美味しく頂けるところだろう。
「ちょっと、ちょっと。やめなよ、修二」
さすがの海斗も仲裁に入る。その顔には困惑が浮かんでいる。兄妹の問題に首は突っ込むのは止そうと思っていたのだが、これは予想より、些か危険な雰囲気だ。
「わ、私は、公一兄様のように、あなたを恐れたりはしない!」
宣戦布告のような言葉。周囲の人間は修二の持つ桐生の名が、桐生宗家に関係あるものだと確信した。
「もうすぐ午後の三時じゃないですか! 早くしないと、おやつとお昼寝の時間に間に合いませんよ? お嬢様!」
梓の宣戦布告、それに対して返答する必要はないと言わんばかりに、修二は梓の怒りを煽っていく。既に精霊術が暴発しそうな域に達している。周囲の面々も危ない状況だと感じ取った。
「そ、そこまで! 二人ともやめなさい!」
現れたのは生徒会長。その傍らにはもう一人の副会長もいる。茶色の明るい髪に、明るい顔立ちの少女だ。最も、今はその表情が険しくなっているが。
美羽の言葉、その様子に、修二の頭が冷えてくる。それと同時、今までの自分が冷静さを失っていたことを自覚する。
「生徒会長のお達しだ。ここまでにしよう」
「修二兄様ッ……!」
先程までのふざけた調子とは違い、真剣な表情で言葉を発した修二。その様子に、“兄”を感じたのか、思わず梓は昔の呼び名を言ってしまった。薄々感じていた者もいるだろうが、これで修二と梓が兄妹であることが露見した。
(なんとまぁ、高速暴露)
「くっ……、失礼、しました」
そう言い、修二を一睨みした後、渋々といった様子で、梓はこの場を去っていった。その後を美羽が追う。副会長の女も修二にウィンクを残し、美羽に付き添っていった。修二も苦笑いを浮かべながら、片目を瞑り返す。
「いやぁ、すみません。皆気にせず作業を続けましょう」
珍しく、修二がまともなことを言った。やはり、場を乱して申し訳ないという感情があるのだろう。その言葉で、皆特に詮索したりせず、作業を再開した。この時ばかりは、修二も彼らに感謝の念を感じた。
(いや、まさか。咄嗟とはいえ、兄と呼ばれるとはな)
修二の心はそのことにより、自身にもよくわからない感情に包まれる。修二にわかるのはただ一つ。これから、波乱の日々が待ち受けているだろうということだけだった。
□ ■ □ ■ □ ■
片付けも終わり、とある三人の男子生徒が学院内のベンチに座り込んでいた。皆どことなく、雰囲気が重苦しい
「まさか、お前が冷静さを欠く事態になるとはな」
「全くだよ。君ならもっと冷静に、うまく切り抜けるだろうと思ってたのに」
天音と海斗、それぞれ修二の冷静さを信じていたため、先の事態は予想外のことだった。二人の思った以上に、桐生家の、二人の間の問題は大きいらしい。
人によっては修二が冷静に、終始相手を圧倒してたようにも見えるだろうが、そんなことはない。普段の彼なら、あんな煽り方はしない。うまいこと言って、梓を軽くあしらって逃げるはずだ。あんな真正面から皮肉を口にするなどありえない。親しい人間に軽口を叩くか、何かから逃げるとき、そうでなければあんなに口を動かさないだろう。修二らしくないのだ。
「そんなことねぇよ」
そう言う修二だが、自身の発言が事実と異なることを誰よりも理解している。
修二は妹である“梓”が嫌いなのではない。“桐生”という姓が問題なのだ。その姓を持つ者に、あのような挑戦的な態度を取られては、退くわけにはいかない。目下の者にそのような態度を取られても、修二は笑い、誤魔化し、ひらりと躱して逃げるだろう。だが“桐生”は別だ。この差こそが修二と桐生家の確執を表している。
「深くは聞かないが、問題は起こすなよ?」
「わかってるって」
梓も修二も馬鹿ではないが、再び顔を合わせれば、お互い感情が爆発してしまうかもしれない。会わないようにする、というよりも会っても我慢すると心に決めていた方が賢明だろう。
「はぁ。俺はこれから用事があるから先に行くぞ」
「お、緑子ちゃんとデートか?」
天音の身体が固まり、その頬が朱色に染まる。後ろの夕日が良く映え、まるで前時代における、青春漫画の一幕のようだ。
身体の軟化と共に、修二を睨みつけようと、天音の首が動く。その顔はいつもの堅物のものではなく、意地っ張りで恥ずかしがり屋な子供のように見える。
「図星か? 恥ずかしがっちゃって~」
主導権を握ったとばかりに、修二の口が動く。先程と違い、その表情は輝いている。こちらも友人の恋愛を茶化す、子供のようだ。
「やめなって、修二。天音も楽しんできてね。沖田さんによろしく」
「……」
明確に言ってないにもかかわらず、海斗も天音の用事がデートだと確信している。こちらは悪気もない天然なので、何も言えない。
天音は疲れ切った様子で、足取り重く歩いて行った。これではまるで振られてしまったようだ。
「別に許嫁なんだからいいじゃねぇか。なぁ?」
「それでも恥ずかしいんじゃない? ほら、天音はけっこう初心だし」
好きに口を開く二人だが、彼らは婚約どころか、交際経験もない。自分を棚に上げるとはこのことだろうが、二人ともその自覚すら、全くない。