精霊
この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件、地名などには一切関係ありません。 ※念のためです
2032年四月六日、日曜日。 桐生修二は自宅で新聞、インターネット、テレビを駆使し、ある情報を探している。今日未明、修二が窃盗に入った事件、それについての記事を探しているのだが、見つからない。鼻の良いマスコミならすぐに勘付くと思った修二だが、どうやらそうはなっていないらしい。
(そりゃまぁ、自信満々の警備が破られました~、なんて世間には知られたくないだろうよ)
どうやら、事件のことを知られまいと、頑張っているらしい。今日か明日の記事にでもならなければ、それで決まりだろう。桐生家も六年前の事件では事実を隠したのだ。金持ちや名家といったものに属する人間は、金や名声だけでなく、意地や見栄なども人一倍持っているのだろう。
「やべ、もうこんな時間か」
“永遠の冬”を上司に届けたのが、明け方の四時過ぎ、そのままアジトで三時間ほど睡眠をとり、通勤通学中の人間に紛れて帰ってきたのだ。それでもまだ疲れており、十二時頃まで寝ていたため、今はもう午後の二時となっている。
天気も良く、昼寝には持って来いの時間、環境ではあるが、今日はそうも言っていられない。
明日は修二の通う国立東霊学院の入学式だ。その準備を手伝わなければならない。
国立東霊学院。
日本に四つ存在する、精霊術師を育成する専門的な高等学校だ。所在地は東京都西部、陽野市。入学には高い基準が設けられている。
精霊。
この世界に満ちている、ある種の力のようなもの。意志を持つかどうかは、研究者の間でも意見が分かれており、少なくとも人間と直接、対話や交信をすることはできない。だがそれでも、人間への力の貸し方から、傲慢や温厚などの性格に近い、性質のようなものがあるとされている。
守護精霊。
世界に満ちている精霊とは違い、人間にそれぞれ憑いているという、その人間にとって唯一無二の存在。個人の神である。
その存在は昔、とある医者が自身の息子を診ているときに、初めて観測されたという。この発見の後、他の精霊たちが確認されていった。
人間の言葉を話すことはできないが、憑いている人間とある種のテレパシーのようなもので繋がることができ、その人間を模した、人格のようなものがあると言われている。その繋がりも曖昧なもので、あくまで精霊術的な交信しかできない。
精霊術。
自身特有の守護精霊を窓口にし、様々な、非科学的事象を引き起こす精霊たちと、間接的な交信をし、その力を借り、この世界に現出させる技術。
発動の際には霊力と呼ばれる力が必要になる。これは人間が内に秘めた、不可思議な力ということではなく、術的な体力のようなものだ。単純に言えば、身体を動かせば体力を、精霊術を使えば霊力を消耗するということになる。体力と同様の概念なので、精霊術師でないものにも霊力はあるが、彼らはそれを一切使わずに一生を終える。
また、守護精霊と交信できない者は精霊術を扱うことができず、十五歳になるまでに交信できなければ、一生それができない。そのため、精霊術の本格的な教育は高等学校から始まる。
精霊術は発見された当時、世界を沸かせたが、その力は乏しく、科学の発展に埋もれてしまった。
しかし近代以降、科学が兵器開発に傾倒し始め、科学に疑問を、精霊術に良い感情を抱く者が増える。この時、すでに精霊術の研究、理論の確立はかなり進んでおり、その存在感は徐々に濃いものとなっていった。
大きなきっかけは第二次世界大戦。核兵器を始めとした、大量殺戮兵器の存在、それがもたらした被害は人々の心に、科学への不信感、恐怖を抱かせることになった。これ以降の現代、精霊術は科学を超えることとなる。核兵器の被害を直接受けた日本では、特にその影響が大きい。
精霊術に対して、綺麗なイメージを持っていた人々だが、その実態は違った。その力は科学以上に恐ろしいものだったのだ。一般には知られていないが、理論上は世界を簡単に壊すことができるものもあると言われている。
しかし、遅かった。すでに世界は精霊術師たちに、その実権を握られ、精霊術師とそうでないものの間に、明確な壁を作ることとなった。一般人の間では、その意識は確実にあるとは言っても、まだ薄い方だ。問題は政府などの人間が、特にその意識が強いことである。なまじ、得られる情報が多い、上の人間の方が精霊術に恐れを抱き、精霊術師が裏で、政治を操り易くなっている。
科学も兵器開発以外の、生活に密接した分野では発達を続けたが、その進行速度は精霊術という存在により、予想より二十年ほど遅れていると言われている。
また、他の精霊たちとの窓口ではなく、この守護精霊を直接使役し発動する精霊術を、そのまま“守護精霊術”、または守霊術という。
守護精霊術は個人により、その効果は様々であり、守護精霊は生まれつきの存在なので変えることはできない。
これの発現条件は守護精霊との交信のみではなく、精霊術師であっても、使えない者も多い。精霊術師としての腕によらない、完全な偶然で発現するようだ。
「今から急げば間に合うか」
お世辞にも、修二は真面目な生徒であるとは言えない。というより、人様の屋敷に忍び込み、窃盗をする。はっきり言って、犯罪者だ。もちろん、事情があるにはあるのだが。その修二が何故入学式の準備を手伝いに行くかというと、とある新入生に用があるからだ。
東霊学院は修二の自宅から歩いて行ける距離にある。義父が亡くなり、早々に桐生分家を継いだ修二がその資金を使い、学院の近くに家を建てたのだ。元々義父と住んでいた家も残されている。
修二は学院の制服に身を包み、自宅を飛び出した。その速度は精霊術師でない者にとっては、信じられないものだ。精霊との交信が出来る精霊術師の身体には、常時いくらかの精霊が憑いている。その精霊の加護により、彼らは身体能力が常人より高い。精霊術師でないものにも、精霊術師に及ばないとはいえ、精霊が憑いているが、やはりその差は歴然だ。
また、この世界には“精霊憑き”と呼ばれるものが存在している。精霊に愛される、精霊の大好物であるものだ。何をしなくとも精霊を引き寄せ、それには属性などを持つ、より存在のはっきりした、強い精霊が纏わりつく。一部では奇跡の象徴として、崇拝対象になっている場合もある。
精霊憑きは剣であったり、樹であったり、人間であったりする。それらそのものの格が精霊により高められ、その精霊の属性により、様々な特殊能力を得ることとなる。
例えば、火の精霊憑きである剣は、切れ味も耐久力も高い、炎の魔剣となる。水の精霊憑きである人間は、並みの精霊術師と比べても勝る身体能力を持ち、水属性の精霊術を容易に扱うことができる。
修二が盗み出した“永遠の冬”も精霊憑きの一つだ。
「到着っとぉ」
比較的緑の多い通学路を通り、目的地である東霊学園の敷地内へ踏み込む。豪奢で現代的だが、それでいて風情を感じさせる校門をくぐり、修二は入学式が行われる予定の講堂へ急いだ。
現在講堂には、生徒では生徒会の役員と一部の者しか入れないが、修二の守霊術を使えば、侵入は容易だ。
修二の守霊術――『自作自演の神隠し』
発動中、どんなものにも、自身の存在を知られることはない。不法侵入、暗殺などに最適な術だ。その適用範囲は自身と自身の持つ物質。また、それらの中で何を隠すか、選択権がある。
だが、もちろん弱点もある。どんなものにも存在を感知されない。これには精霊も含まれるのだ。つまり、常時憑いている精霊が全くいなくなってしまう。これにより、身体能力は常人以下になり、衰弱したような状態にならざるを得ない。軽い攻撃でも喰らえばそれで終わり。強力だが、その分リスクも高い。
この性質上、精霊憑きである物質を通常のものに変えることも可能だ。しかし、精霊を追い払った精霊憑きでも、ある程度その残滓があるので、完全な変質には、1日以上かかる。
また、この術には弊害や副産物もあり、それにより、修二はかつて、辛い思いをしていた。
難なく講堂への侵入を果たした修二。すり鉢状のそれはかなりの広さを誇っている。舞台の上へ視線を向けると、お目当ての人物を見つけた。
修二の真っ黒な髪と違い、少し茶色を帯びた黒髪の、中性的な顔をした少年だ。身長も百六十強と、修二より十センチほど低い。
「お~い、彩くぅん」
少年の名前は 柄谷彩。両親が精霊術師というわけでもなく、ある事情を抜かせば、ここにはいなかったかもしれない、そんな少年だ。
「修二さん!」
中々に気持ちの悪い声で話しかけた修二だが、彩は嬉しそうに答えた。
「遂に明日だな、入学式。新入生代表の挨拶、頑張れよ!」
「はい! ちょっと緊張しますけど、何とかやってみます」
「ゴホン」
二人で盛り上がっていた修二と彩だが、傍にいた女子生徒の咳払いで、それを中断させられる。
「彼は明日の件で忙しいので、後にしてもらえますか? 桐生君。
あと、講堂へは一般生徒の出入りを禁じていたはずですが」
どうやら、御立腹の様子だ。美しいとも可愛いともとれる、その目が修二を睨む。
「あっははは。堅いこと言っちゃって。良いじゃないですかぁ、生徒会長殿? というか副会長殿に頼まれて来たんです、が」
生徒会長、 西城美羽。サラサラの黒髪、長さは下ろされた修二の髪と同じ、肩を少し過ぎるくらいだ。身長は彩と同じほど、この歳の女性として、平均的な体型をしている。生徒たちの推薦で会長の座に就いた、人望ある人物だ。
「講堂内の準備は頼まれていないはずです」
「ま、そうですね。怖い怖い、もう一人の新入生代表が来る前に退散しますか。じゃあな、彩。頑張れよ」
後輩に激励の挨拶をした後、軽やかな足取りで、講堂の出口へと歩いて行った。その場の誰も、修二自身も気付いていないが、その背中には一抹の不安と、焦りが見え隠れしている。
「はぁ……」
美羽は大きなため息をついた。修二自身の言動もそうだが、入学試験主席である彩の知り合いだったとは、かなりの誤算、頭を抱える問題である。それだけではない。もう一人の新入生代表、入学試験次席である少女も、彼に縁のある人物なのだ。この事情を知らぬ者が多いことも問題である。
「ほんとに、もう……」
美羽の苦悩は計り知れない。生徒会長とは言っても、まだ成人にも満たない少女だ。優秀ではあるが、他人の人間関係をどうこうするのには、まだ経験が足りない。
そんな美羽の様子を、隣にいる彩は不思議そうに見ていた。
まだまだ説明することが多く、退屈するかもしれませんが、どうかご容赦をお願いします。