第二話 俺を傷つけた君と、君を傷つけた俺
「ああ、そうさ。どうせ俺は勘違い野郎さっ!」
後にして思えば、女の子相手に怒鳴ったのはこれが初めての事だった。
「どうせ俺は面食いだよっ、下心丸出しだよ!あんたのことなんて、これっぽっちも知らずに、勝手に妄想ふくらませてた気持ち悪い奴だよっ!」
俗にいう、キレた状態に突入している俺。
だけれども、この時は頭の中がぐちゃぐちゃで、心が痛くて、本当にきりきりと痛くて、自分がどれだけみっともない事をわめいているかなんて考える余裕もなかった。
「でもっ、だったら、あんたはどうなんだよ!人の事いえた義理かよ。真面目に告白している人間に対して、小馬鹿にしたような事いって楽しいかよ。人の気持ち踏みにじって……っつ」
そこで涙ぐむ女々しい俺。
振られて逆切れする男なんて、これまでは他人事のように見下してきた。男の風上にも置けない奴だって。
でも今、そういう連中の気持ちがちょっとだけ分かる。
「……ちょっと、君」
いやに落ち着いた、慰めモードの叶伊織の声が、いよいよ俺の神経を逆撫でする。
「勘違いして欲しくないっていうんなら、いつもそういう風にしてろよっ。そういう風にっ…斜にかまえて他人を見下してりゃ、誰もあんたを好きになったりなんかしねぇよ」
たとえ妄想であったとしても、たとえ馬鹿な勘違いであったとしても、俺にとって「本当は心優しき孤高のクールビューティー」叶伊織は初恋の人であり、俺の色あせた学生生活を薔薇色にそめた原色のマドンナであり、汚されたくない聖域だった。
それが今、他でもないリアル叶伊織の手によって、がらがらと音を立てて壊れ落ちていく。俺の青春。本当に大切だった、俺の宝物。
こんなのは逆恨みだって、分かってはいた。でも俺は俺の心で手一杯で………だから、その時の叶伊織の表情の変化にも気付けずにいた。
気付けずに、さらにひどい事を言った。
「そんなだから、クラスで孤立してんだよ。女子に、はぶられて一人で弁当食べるはめになるんだよ。自分は一人でも平気って顔して、でも本当は誰にも相手にされてないだけじゃないのか!? 俺が変態の勘違い野郎だったら、あんたはっ…あんたなんてっ――――」
やばい。そう思った。これ以上、言っちゃ駄目だ。駄目だ。駄目だ。
駄目だ。
「ただの、社会不適合者じゃないかっ!」
放たれた言葉は、しかしもう戻ってはこない。一息に怒鳴り終えて肩で息をする俺。
べっとりとかいた汗を、折からの初夏の微風が冷やしていき、同時に俺の心の熱も取り去っていった。
俺は叶伊織の様子をうかがう。
どんな軽蔑の視線で報いられても、俺は、別に驚きはしなかった。
気の強い彼女のこと、頬の一発や二発はられても、おかしくはないと思っていた。
でも叶伊織は、そこに立ち尽くしたまま動いてはいなかった。身じろぎ一つ、きっと、してはいなかった。
目を僅かに見開いた、驚きの表情。
そこから痛みが走り出て、人形のようだった彼女の無表情を俺の見たことのない表情に変える。
叶伊織はすぐに視線をそらしたけれど、その一瞬の表情は俺の脳裏に焼き付けられた。
以降、何度となく思い出すことになる彼女の表情。
俺が傷つけた叶伊織の表情。
「うん。よく言われるよ」
それでも、やっぱり彼女は前と変わらない無表情な声でそう言ったので、俺は今しがた自分が見たものが幻覚ではなかったのかと疑わざるをえなかった。
彼女は踵を返す。
「じゃ、さよなら」
立ち去っていく彼女を俺は今度こそ止められなかった。
俺は痴呆のように遠のいていく叶伊織の後姿を見つめ、そして見つめ続ける以外には何も出来なかった。