第十八話 Aについて
「は? デート? 誰が?」
「俺が」
「誰と?」
「叶伊織と」
青天のヘキレキということわざを映像化すると今の湊の表情になるだろう。ことわざ辞典の挿絵の横に飾ってやりたいくらいだ。
湊がこれほどまで驚くとは。
出し抜いてやったような気持ちが半分、なんだか馬鹿にされてるような気分が半分。
複雑な気分とは、きっとこういう事を言うんだろう。
「……悪い。誰が誰とデートするんだって?」
「俺がっ! 叶伊織と!」
「叶ってあの叶? 本当は心優しくないクールビューティー叶伊織?」
「お前わざとやってんのか? それ」
湊はしばらく沈黙していた。
やがて何を納得したのか、意を得たとばかりに俺の肩にポンと手をおいた。
「買ったのか?」
「違うっ!」
「じゃなんでだよ?」
もっともな質問である。
『ひょんなことから叶伊織の弱味を握ったんで、ちょっと脅迫したらOKしてくれたよ♪』
−ーとでもいうのがこの場合の妥当な回答であろうが、俺には自分自身の悪行を告白する以前の問題として、答えられない理由があった。
俺はデートの交換条件として、叶伊織の事情を口外しない事を約束した。
誰にも−ー字面どおりの意味だ。
親友であろうが、悪友であろうが、誰かである事には変わらない。
「それは……デートに誘ったからだよ。したら……」
女の子の弱味につけこんで脅迫し、付き合えと迫った分際でなんだが、俺はせめて誠意ある脅迫者でありたい。約束を遵守する最低野朗でありたい。
そう、たとえ湊に嘘をつくことになっても−ー
「もういいから本当の事を話そうよ、葉くん。時間が惜しいし」
「なんで嘘だって決め付けるんだよっ」
「だってアリエナイじゃん。叶がフツーにお前の誘いをOKするなんて」
こいつは失礼なヤツだ。ものすごく失礼なヤツだ。
「自分だったら違うとでも言いたげだな」
「いやお前に限らず、あの女は……」
「あの女っていうな」
「ていうかお前、プリント配達を口実に謝りに言ったんだろ? そっちはどうなったのよ? まさかとは思うけど、それで仲直りハッピーラッキー嬉し恥ずかしって事はないよな?」
そこで俺はトウトツに気がついた。
「しまったっ、忘れてた!」
「……忘れるなよ」
いや忘れていたどころか、盗み聞きして引っぱたかれて、その上……
俺って一体……
ふき出してくる自己嫌悪に、俺は部屋の隅にいって膝を抱え、しばし己の道徳や倫理観と語り合った。
日本以外の国ではこれをZENと言うらしい。
「おーい、ポチ。戻っておいで」
でもああいう風にでもしなければ、俺は一生、叶伊織に名前すら覚えてもらう事はなかっただろう。
「で、実際はどういう事のテンマツだったんだ。ほら恥ずかしがらずに、ご主人様に話してごらん」
「言えない」
「は?」
「言えないんだ。約束だから」
「その時点で、あるていど自白していると思うのはオレだけか?」
「とにかく!」
俺は気を取り直して湊に正対する。
「そういうわけで事情はこれっぽっちも話せないけど、お前には俺のデートが上手くいくよう協力してほしいんだ」
「お前もう一度、幼稚園あたりから人間やり直した方がいいよ」
そんな事いわずに、と俺は湊にとりすがる。ここで見離されたら他に頼れる人間がいない。
「だって俺、自慢じゃないけど女の子と二人きりでデートなんて初めてなんだよ」
「通常デートとは男女が二人きりでするものだとオレは思うが」
「とにかく色々教えてほしいんだよ。俺にとってデートなんて、いままでマンガの中の出来事でしかなかったんだから」
「……せめて『小説の中』くらいにしとく見得が欲しいところだな」
「頼む。一生のお願いだ」
もう何度目かの一生のお願いだ。
「協力してくれたら、お前の言う事なんでも一つ聞くからさ」
「何でも?」
「あ、法律とか人間としての尊厳とかに触れない程度だったら」
「ふぅん、そういう事ならOKしなくもないかな」
湊はアゴに手をやって何やら考えている。
何を考えているのか、そんなことは俺のほうが知りたい。きっと例によって、ろくでもない事を画策しているに違いない。
こいつの頭の中は、俺にとっては巨大なブラックボックスだ。
しかし俺には、そのブラックボックスの他、頼れる相手がいないというのも事実だった。
「それで? オレはお前のデート指南をすればいいわけか? おすすめデートスポットとか、女の子の扱い方のABCとか、そういう事を教えて欲しいのか?」
「はいそうです。師匠」
はてしなく増えていく交換条件。取引。エトセトラ。どうやら今日はそういう日であるらしい。
「う〜ん、初めての時は緊張しがちだと思うから……」
俺はフムフムとうなずき、メモ帳とペンを取り出した。
「ゴムの付け方とか前もって予行練習したほうがいいと思うぞ。あとGスポットの場所は指を第二関節まで入れた時、上向きに−ー」
俺は湊を殴った。
「じゃ初めての時はラブホより普通のホテル。これ基本。内装がこぎれいで、リーズナブルな価格設定のホテルなら何軒か心当たりあるけど、割引券いる?」
「俺が聞いてるのはベッドマナーや、おすすめホテルじゃない! ほらっ、なんていうか……分かるだろ?」
「ああ悪い。ABすっ飛ばしてCに入れる訳ないよな。じゃAから。相手にもよるし、これは別にAに限らないけど、基本は雰囲気の演出からだ……ああ、演出つってもわかんないか。
ま、一番手っ取り早いのが、まず自分自身が雰囲気にひたることだな。
適当にロマンとエロをミックスして、メイドにいたぶる主人なり、女王様に奉仕する奴隷なり、自分が一番萌える気分でやってくれ。
といっても一人よがりになれって意味じゃないぞ。ちゃんと相手の反応を見て調整をおこたらずにな。
即ディープに行くのは気分がそっち方面に盛り上がってる時とかの例外をのぞいてNG。最初は、まあなんだな。ゆったりと雰囲気を盛り上げるくらいの気分で、つけたり放したりを繰り返したりなカンジね。浅く深く緩急をつけて。
手は女の子の髪やらホッペやらにそえる事。肩や首なんかもいいかもな。
あ、キスはじめは舌を入れないって言っても、使っちゃいけないっていう意味じゃなくて……ってなんだよ?」
手をつき出して『まった』をかけた俺に、湊は鼻白んだ。
「湊、お前に聞いた俺が馬鹿だった」
「その割には、ずいぶん長いこと黙って聞いてたな」
ん? いや、それはまあ……
「だいたいキスだぜ、キス。ABCのA。最近は小学生で済ませてるヤツのほうが多いんじゃないか? 幼稚園児か、お前は」
「いや、そもそも初デートでキスはないだろ」
湊は首をかしげた。
「そうか?」
こいつは一体いままで、どんな初デートをしてきたんだ。
「とにかくいいんだよ。Aはありえないから。ありえないって自信あるし」
「悲しい自信だな」
まあ強制的にデートに持ち込んだ相手に、キスをせまるほどハレンチでも身の程知らずでもないつもりだが。
どういった経緯でこぎつけたのであれ、せっかくのデートである。
少しでも楽しい時間にしたいではないか。
たとえそれが無理だとしても、相手にとって不快で居心地の悪いだけの時間にはしたくない。
「あのさぁ」
湊はうろん気な声を出す。
「その前にすげぇ根本的な質問するけどさ、なんで叶なわけ? 幻滅したんじゃなかったの? 実は未練たらたら? それともデートしてくれるんならこの際、みたいな気持ち?」
俺は例によって例のごとく言葉に詰まった。
湊の言葉は、どれも少しづつ本当だった。それが全部ではないにせよ。
幻滅はしたし、未練もあるし、デートしてくれるというなら、しないでか……といういい加減な気持ちもないではない。
ひょっとしたら俺をこっぴどく振った叶伊織にたいする仕返しの意味合いもあるのかもしれない。
そういえば、なぜ俺はああまでして叶伊織とデートする事にこだわったのだろう?
腹が立った? それはそうだ。
でも……う〜ん。
「ちょっと興味がわいたのかも」
「いままで興味がなかったような言い草だな」
「好きかって聞かれると困るけどさ、面白い人だよ。叶伊織は」
いろんな意味で。
「面白い?」
「うん。俺と違う種類の人だって感じがした」
やっぱり、いろんな意味で。
「エンコーしてるしな」
「してない!」
「HRで担任相手にキレた時も思ったけど、その根拠のない自信はどっから来るわけ?」
「仮にしていたとしても……何か理由があるのかも知れないし、じっさい確認したわけじゃないし、何ともいえないよ」
「ふぅん。相変わらずの、おめでたい頭だな」
湊は面白くなさそうに鼻をならした。
「まぁお試し気分だったらいいんだけどさ、本気にだけはなるなよ」
ふつうとは逆の忠告をする湊。
「どういう意味?」
「あの手の女に入れ込んでもいい事ないって話。正直、あいつは葉には合ってないと思う」
いや合う合わない以前の問題として、嫌がる叶伊織にデートを強制したのは俺なんだが……
ま、デートすると言えば、ふつうはお互いに好意を抱いている、ないし抱きはじめている男女を連想するのか。
しかし好意……
悪意なら抱かれてるかも。
「考えても見ろよ。あの叶がなんの裏もなくお前の誘いにOKするとおもうか?」
だから失礼な……って、なるほど、そういう誤解か。
つまり湊は、俺ではなくて叶伊織のほうの腹を疑っているわけだ。
「いや今回のデート、ごり押ししたのは俺のほうだし。叶伊織はむしろ被害者っていうかなんていうか……」
「見ろ、すでに洗脳されてる」
ダメだ。聞か猿になってやがる。
「葉はさ、やるだけやって『はいさよなら』とか出来ないタイプだろ? むしろ『出来ちゃったの!』とか女に泣きつかれてホイホイ結婚して、違う男の子供を知らずに育ててそうなタイプだよな」
「俺はともかく、とにかく叶伊織はそういうタイプじゃないよ」
「だまされる前のヤツはみんなそういうんだよ。お前は絶対、人にだまされるタイプだ。結婚サギにあう役回りだ。喰うか喰われるかだと確実に喰われるサイド。草食獣。食のピラミッドの底辺、弱肉強食の肉」
そこまで言うなよ。
それに叶伊織に対した今日の俺は……ちょっと肉食獣だった気が。
とにかく、と俺は湊に念を押した。
「叶伊織はみんなが思うような子じゃない。それだけは確かだ」
「だから、なんでそんな自信たっぷりなんだよ」
「野生のカン」
湊はこれみよがしに、両手を宙に放り出した。
「その野生のカンとやらにしたがって、『本当は心優しき孤高のクール・ビューティー』に入れ上げてた奴はどこのドイツ村?」
くっ、なんだ。
やけにカラむな。
いつもは『女紹介しようか?』と『ゴムあげようか?』とか言ってくるくせに。
いざ俺がデートする段になったら、これかよ。
大体なんで、こいつここまで叶伊織にこだわるんだ?
「進歩してないな、葉。勘違いで告白したと思った次は、プリント届けるついでの立ち話で相手の人間性まで理解した気になってやがる。まったくもって、てめぇは恋も食生活もインスタント好きだよ」
「あ! そう、その辺」
何かが唐突にフに落ちた。
さっきから、もやもやと感じていて掴めなかった何かが、今てのひらの内にある。
「ちょっと湊に似てるんだよ、叶伊織」
「……は?」
「ん〜〜斜にかまえた感じだとか、怒ると猫科なトコとか、俺のことを馬鹿にしてちょっと楽しんでるトコとか」
あ、言ってて、ちょっと悲しくなってきた。
「あとさ、必要以上に自分をひどく見せたりするトコとこさ。叶伊織は……なんかちょっと湊と同じ匂いがした」
「お前は匂いで人間を認識してたのか、ポチ」
「だからさ、彼女もクラスのみんなが言うようなカンジの子じゃないよ、きっと」
湊はあっけに取られたような表情で、俺の顔をまじまじと見た。
「ん? どった?」
「……お前のそれって、やっぱ天然?」
「?」
「いや、もういい。馬鹿らしくなってきた。デートでも何でも行って少しは世間の荒波に揉まれてくるがいいや」
「え、何だよソレ」
「何でもいーよ」
「なんかビミョ−に馬鹿にされてる気が」
「してるからな。微妙じゃなく」
そんなこんなで夜は更けていき、俺が自宅で俺の帰りを待つ、母親とロールキャベツについて思い出すのは、もう少し後のこととなる。