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第十四話 初デートの誘い方 (後編)

 叶伊織の切れ長の瞳がすっと細められる。


 「……間違ってたら何なの? そもそも正しいって何よ? 何でそんな事あんたに決める権利があるわけ?」

 

 「別に、権利なんかないけど……」

 

 絶対零度の視線と声音が、今まぎれもなく弓をひきしぼり、俺にむかって矢をつがえていた。その黒眼はもう俺を見下してなどない。いつの間にかその余裕はきえていた。

 

 「大体あんた自分が何してるか自覚あるの? 人ン家に不法侵入して? 盗み聞きして? こっちの家庭事情に首つっこんで引っ掻き回した挙句、今度は偉そうに説教? ねぇ教えてよ。一体どうしたら、そこまで図々しくなれるわけ?」

 

 「だって、だってさ……そんな事いってる叶さん、ちっとも楽しそうじゃないから」

 

 −ーバシン。

 という音がポイント・ブランクで顔面にはじけ、俺は衝撃で後ろにのけぞった。


 叶伊織が俺の頬を張った音だ。平手ではない。渡されたばかりのプリントで思いっきりはたいのだ。

 彼女が欠席した日数分の重みが、痛みとなって俺の頬を襲い、止め具の外れたプリントがハラハラと宙を舞った。


 「あんた、うざい」

 そう吐き捨てる彼女の表情を俺はただ呆然と眺めていた。

 瞬間的な感情の爆発。彼女のまなじりに込められた紛れもない敵意が俺を射る。

 クールじゃない叶伊織がそこにいた。


 宙を舞ったプリントが一枚一枚、立ち尽くす俺たちの足元におちていった。

 凍てつくような無言の時間が俺達の間をただ流れていき、その果てに俺が口を開いた。


 「……うざいっていうのはさ、思考停止用語だって……湊が言ってた」

 

 「は? ミナトって誰よ?」


 答えずに俺は続けた。


 「暴力はコミュニケーションの断絶とも」


 「断絶して困るコミュニケーションじゃないわ」


 俺は自分の頬に手をやった。


 「傷害罪」


 「住居不法侵入罪」


 「勝った。傷害の方が上だ」


 「ていうかそれのどこが傷害?」


 「それにあの庭の悪臭は公害罪だ。地域の景観権侵害でもいけるかも」

 

 そう言った直後に己の馬鹿さ加減に気付く。


 (あ、地雷ふんだ……)


 叶伊織の反撃は予期せぬ角度からやってきた。彼女は俺に人差し指をつきつけ言ったのだ。


 「ストーカー」

 

 「へ?」


 「自宅・学校・職場などでの、つきまとい・待ち伏せ・押しかけ等……ストーカー行為に十分あてはまるわ」


 「ちょっと、俺がいつそんな事したよ」

 

 俺の狼狽ぶりに気を良くしたのか、叶伊織はフフンとばかりに続けた。

 

 「あんたクラス委員じゃないでしょ。そのあんたがなんで私にプリント届けに来るのよ。あんたが自分から買って出たとしか思えないでしょ。一度ふられた分際で未練たらたら、見苦しい限りね。自覚がないなら言ってあげるわ。そういうのストーカーって言うのよ」


 「誰がストーカーだっ!?」


 「あんたよ、あんた。さっきからそう言ってるじゃない。理解力ないの?」

 

 “ストーカー”のレッテルは俺のなけなしのプライドを著しく傷つけた。もうすでにこの時点で、俺は自分が何をしにきたのか完全に見失っていた。


 「叶さんこそ……じ、自意識過剰じゃないの? そういえば、よく聞くよね。チカンの冤罪とかで一生を台無しにされるリーマンの話。あれって、たぶん叶さんみたいな人の仕業だよね」


 「ああ、いるよね。そういう話を引き合いに出して、痴漢行為を否認しようと悪あがきする痴漢男。

 あとさ、わざともろには触らないで“混んでるからどうしても当たってしまうんです〜、そちら、ちょっと自意識過剰じゃないですか〜?”とか言い訳できるように、ちらちら触るチキン野朗。あんたはどちらかっていうと、そのチキンの方だよね」


 「へぇ? ずいぶん具体的な話だね。そんなにしょっちゅうチカンにあってんの? なんで女性専用車両に乗らないの? わざわざチカンのいる車両選んでのってんの?」


 「はい、セクハラ発言。あんど名誉毀損。女の敵。さっさと家に返って、盗撮ビデオの編集でもしてなさいよ、このストーカー。ていうか、」


 叶伊織は優雅な微笑を浮かべて、留めの一撃を刺した。


 「私の目の前から消えて。気持ち悪いから」



 −ーーキモチワルイカラ。

 頭の中で果てしなくエコーがかかる“気持ち悪いから”。彼女の目的が俺を傷つけることだっとしたら、その目論見は大成功だった。


 俺は思い出す。

 はじめて彼女に告白したとき、同じ侮辱を受けた事を。そしてあの時、俺はそれでぶちきれた。だが今度は……手痛い教訓を学んだ俺は、あれから成長したはずだった。


 フ、と俺は笑った。

 フフフ、と俺はさらに笑った。


 これしきの侮辱がなんだと言うのだ?


 人間は学習する生き物だ。そうさ、俺は誓ったではないか? もう二度と同じ過ちを繰り返したりなどしない、と。


 言いたい奴には言わせておけばいい。それは相手の品性の問題であって俺の品性の問題じゃない。ムキになって、相手と同じ次元に落ちてどうする? そういう時こそ大人の態度を貫こうじゃないか。


 そうさ、ちょっと酷い事をいわれたくらい何だというのだ?

 たかだか“消えろ”と面罵されたくらいで。わざわざ届けてやったプリントでぶんなぐられたくらいで。

 チカン野朗に卑近されたくらいで……ス、ストーカーのレッテルをはられたくらいで……



 叶伊織は、手を振った。左右ではなく前後に。

 犬に“しっしっ”とやる時のあれだ。

 「はい、行った行った、アスタラヴィスタ、アディオ〜ス」


 《アディオス》

 スペイン語。別れの挨拶。特に永遠の別れを暗示する。

 意訳: もう二度とあなたの顔をみたくありません。私の目の前から未来永劫、消えちゃってください。


 俺は、長い長い、それはもうペンギンの話ほどに長い沈黙の末に、顔を上げた。


 「分かったよ。そこまで言うなら俺はもう帰るよ……でもさ、叶さん、何か忘れてるんじゃない? 大切な事」


 「はい?」


 「このまま俺を帰しちゃって後悔しないのって聞いてるんだよ?」


 「せいせいはするかもね」


 俺はその言葉を無視して、一人続けた。 

 「たとえば俺が君の言うようにチカン常習犯で、ストーカー行為を働いてた変態ネクラ野朗だったとしてさ」

 

 顔面の筋肉が勝手に動き、言葉を紡ぐ。

 なぜだろう? 頭の中が奇妙に冴えている。脳内麻薬が分泌されているような。なにか……一線を越えてしまった後の奇妙な清清しさ。

 俺は笑った。


 「そういう変態野朗がさ、拒否られてコケにされて、『はい、そうですか』って黙って泣き寝入りすると思う?」


 「殴ったのは頭じゃなくて顔だったと思ったんだけど」

 

 叶伊織の訝しげな表情さえ、もう今の俺にとっては嗜虐心をそそる材料としかならない。

 なぜなのか。底意地の悪そうな台詞が、脅迫めいた口調が、後から後から湧き出して止まらなかった。


 「復讐ってさ。別に法律違反なものばっかじゃないよね。たとえばさ、あの家の写真とって『必見:これが叶伊織の住宅事情だ!』とかクラスに張り出すとかさ」


 「いや、それちょっと法律に抵触しているんじゃ…」

 

 叶伊織の突っ込みに、俺はふっと遠い目をして空を仰ぎ見た。


 「他にもさ、ある事ない事いいふらすとか、色々やりようがあるよね。もっとも叶さんに限っては言いふらすのは事実だけでいいかな。借金の事とか、エキセントリックなご両親の事とか、複雑な家庭事情を見たままに担任に“事実報告”するだけでも、さ」


 「なにそれ? ひょっとして脅迫のつもり?」


 「脅迫? 人聞きが悪いな。俺は担任に聞かれた事を聞かれたままに答えるだけさ」


 「あんた、キャラ変わってない?」


 「友達にこういう奴がいるんだ」

 

 強がりを口にする叶伊織の顔色が、少しづつ変わっていくのを見るのは、正直楽しかった。マジに湊に感化されたのかもしれない。


 「人の弱味につけこんで脅すのは、あんたの言う“間違ってる”行為じゃない訳?」


 俺は溜息をついて首を振った。

 腰をかがめ二人の足元にちらばったプリントを拾い集める。背中に痛いほど感じる叶伊織の視線が快感だった。

 たっぷり時間をかけて拾い終えると、プリントを叶伊織に差し出した。笑顔で。


 「何が正しくて何が間違ってるかなんて、そんな事を決める権利、俺にはないらしいから」


 「……分かったわよ。好きにすればいいじゃない。でもその時には、あんたが私に出した果たし状だかラブレターだかも、同じ運命を辿るって事忘れないでよね。文脈をみればどういう類の手紙かは一目瞭然。ご丁寧に受取人と差出人の名前まで書いてある事だしね」


 「どうぞご勝手に……ていうかさ、俺が君を好きだった事はもう衆知の事実になってるから。あんまり関係ないんだよね」

 

 「何それ? どういう事?」


 詰め寄ってくる叶伊織に俺は肩をすくめた。


 「ちょっと不可抗力でね」


 まさか決死の思い出彼女に出した手紙が、めぐりめぐってこんな風に引き合いに出されることになろうとは……俺はつい数週間まえの己の純情を懐かしく思った。


 「それよりさ、どうするの?」


 「分かったわよ。ストーカー発言、その他もろもろ全面的に撤回するわよ」


 「え? 何それ? 俺、君に謝って欲しいなんて言った?」


 俺はすっかりその筋の人間にでもなった気分で、『勘違いしてもらっちゃ困るな』と続けた。


 「ただ俺としてはさ、あえて担任に嘘をつくのが心苦しいっていうかさ。ま、それで叶さんが困るってのも本意じゃないんだけど……俺が担任に“ありのまま”を伝えたとして……そうなるとまずは家庭訪問かな?」


 「高校に家庭訪問なんてあるの?」


 「ウチはあるんだよ、特に問題児にはね……まぁ、そうなるとあの家だ。真っ先に君の欠席の理由と結び付けられるんじゃないかな。そうすると担任、あの性格だからさ」


 俺は担任の声真似をして見せた。


 「『なんということだ。かわいそうな叶。家の事情のせいで学校一つ満足に通えないなんて!? よし、先生が何とかしてやろう!』

 ……な〜んて具合に勝手に盛り上がっちゃったりするんじゃない? きっと同僚の先生やら学年主任やら相談してどんどん事を大きくしてくんだろうな。クラスでもぽろっと口すべらしちゃったりしてさ。ひょっとしたら教頭とか校長とかも出てくんのかな。あ、教育委員会とかはこういう場合どうなのかな? 叶さん知ってる?」


 「……条件は?」

 

 「え? 何? 叶さん、なんか言った?」


 「そっちの条件は?」


 俺は照れたように頭を掻いた。

 

 「いやぁ、条件ってほどのものじゃ」


 「いいから言いなさいよ」


 俺は頭を掻き、多いに照れつつも条件を口にした。


 「俺と付き合って♪」


 その時の叶伊織の表情は、先の苦虫計算でいくと一千万匹くらい噛み潰していただろう。

 ちょっと顔をひきつらせた後、彼女は俺から一歩後ずさった。いまさらだが傷ついた。


 「…あんた馬鹿? それくらいで自分を売る馬鹿はいないわよ。取引の原則は等価交換でしょ」


 「叶さん」と俺はそんな彼女に微笑みかけた。「うちの学校バイト禁止だったよね?」


 「バイト?」


 「そう。アルバイト♪」


 担任にバラしちゃっていい?


 その時の叶伊織の表情といったら。そう、獲物が堕ちる瞬間に見せるあの表情だ……『どの表情?』とか聞かないように。


 ともあれ、連戦連敗の後の大勝利さながらの達成感といえば分かってもらえるだろうか?

 悦に入った俺は長広舌を振るった。


 「付き合うって言ってもさ、期間限定。一ヶ月くらいとか。あ、安心してよ。別に俺だって君に未練があるわけじゃない。ただこれだけコケにされて素直に引き下がるのは、ちょっとね。だから期間限定。どう?」


 彼女の沈黙は永遠だった。おそらくその胸中に様々な思いが去来した事だろうと思う。しかし俯いた彼女が最終的に出す答えを俺は知っていた。


 「約束を果たしたその後で、もう一度同じネタでの脅迫はない? 本当にこれ一回だけでしょうね?」

 

 「ないない。同じネタでのゆすり続けるのは脅迫として下の下だって湊が言ってた。被害者に刺されるからだってさ。だからこれが最初で最後」


 「一日……一日だけならいい」


 悲痛な声で、叶伊織は受諾の言葉を口にした。

 その敗残者のような力ない声を聞いて少しばかり良心がうずいたが、これだって彼女の駆引きの一部に違いないのだと自分自身に言い聞かせた。

 勝ちたくば、私情は排せよ。


 「いや、さすがに一日ってのは……三週間じゃどう?」


 「一日」


 「二週間半」


 「24時間」 


 「いや、それさっきから変わってないから…一週間」


 「1440分」


 「……計算、得意なんだね」


 叶伊織は俯いたまま言い募る。


 「………86400秒」


 俺は溜息をついて、再び空を仰いだ。ずいぶんとまた嫌われたものだと思った。

 まあ、無理もないけど。


 「じゃあ、いいよ。一日デートってことで……てか、86400秒って一日だよね」



 もう少し外道になれば、一ヶ月間付き合うことだって出来たかもしれない。

 だが悄然とした叶伊織ーーそれすらも駆引きだった可能性はあるがーーを見ていると、なんだか自分がひどい悪人にでもなった気がした。いや、既にけっこう悪人なんだけどさ。

 ま、ここら辺が俺の限界だろう。



 そんなこんなで俺は叶伊織と具体的な日付の打ち合わせをして、ケータイの番号を交換した。


 どうやら先進国の貧乏人というものは、イエ電は止められてもケータイの回線だけは死守するようである。もっとも俺がそのような失礼な感想を口に出すことはなかったが。

 ああ、でも携帯番号の交換ってなんか関係性の始まりって感じがして、おもはゆいっていうか、くすぐったいっていうか……こんな風に感じるのは俺だけかな?


 彼女は、苦行僧のような面持ちで、俺のナンバーを自分のケータイへと打ち込んでいた。

 その際、ふと気付いたように顔を上げた。


 「ところで、あんたの名前って何?」




 ……ともあれ、こうして俺は叶伊織との初デートに漕ぎつけたのであった。

 

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