第十三話 初デートの誘い方 (前編)
「いや何というか……楽しいご両親だね」
ちっとも楽しくなさそうな顔をしている叶伊織に、俺はへらへらと愛想笑いを振りまく。
「何か言いたいことがあるなら、はっきり言ったら?」
近所の公園まで俺をひきずってくると、まるで汚いものでも放り出すように叶伊織は組んでいた腕を振りほどいて、俺を睨み上げた。
あ、ちなみに身長は俺の方が五センチくらい高い。微妙な身長差だとか言わないように。
「あんたが見たとおりよ」
いつの間にか、『君』から『あんた』に格下げされてるし。
「家はあばら家、庭はゴミタメ、父親はアル中、母親は精神病患者、ついでにあの騒ぎにも下に下りてこなかった弟は自閉症よ。そして私は−ー」
そして叶伊織の私服はジャージにゴムサンダル……じゃなかった。
「私は社会不適合者よ。誰かさんが言ったとおりにね」
「あ、いやそれは……」
そういえば、俺は叶伊織にプリントを渡しに来た以上に謝りに来たんだった。あのエキセントリックな家と両親に気を飲まれてて、すっかり忘れていた。
叶伊織は、形のいい唇をゆがめて笑みをつくった。氷の微笑。
「幻滅した?」
いや、幻滅ならとっくの昔に……じゃない。否定しなきゃ。
「違うよ」
「良かったじゃない。ほっとしたでしょ。ああ、あの時、断わられて良かったって」
「違うって。幻滅じゃない」
「ああ、分かった」
叶伊織は、ぽんっと手を打って俺を向いた。
「同情だ」
「……」
俺は答えなかった。百パーセント違うとは否定できなかったからだ。
「図星、か」
叶伊織はなぜか勝ち誇ったかのように、そんな俺を見つめた。
「そういえば、あんた何しに来たんだったっけ?」
「あ、えとプリントを届けに−ー」
「それは、ありがとう。ご苦労様」
叶伊織は俺の手からプリントをひったくった。
「はい。あんたの用事はたったいま現刻をもって完了したわよ」
「……」
俺は、俺はここに何しに来たんだっけ? 叶伊織を見下すためでも、彼女に見下されるためでもない事は確かだった。
「担任が……担任がさ、欠席の理由を聞いてきて欲しいって」
叶伊織は、わずらわしげに答えを放ってよこす。
「病欠」
「いたって元気そうに見えるけど」
「病欠だって」
「担任には不登校って伝えとくけどいい?」
叶伊織は、きっと俺を睨み上げる。
「バイトよ」
それは一体どんなアルバイト? と喉まで出かかった。
「長期の休みを取るバイト仲間がいて、その代わりに出てたの。特別手当も出ることだし。でも担任には病欠って事にしといて。じゃないと、色々めんどくさいから」
「何週間もつづけて、ずっとバイト?」
とりあえず妊娠中絶ではなさそうだった。
「途中で一日二日出ても仕方ないでしょ。余計なこと聞かれて煩わしいだけだし……ていうか、あんた何? これ何の詮索?」
「……家計を助けるため? 家のために働いてんの?」
考えずに、素朴な疑問を口にした。立ち入った質問だったと気付いたのは口にしてからの事だった。案の定、叶伊織の刺すような視線が帰ってくる。
俺はブンブンと両手を振って必死に言葉を捜した。同情ではないのだと、少なくとも全部が全部、そうではないのだと伝える言葉を。
「あ、いや。偉いなって。俺、バイトとかした事ないし、お小遣いとかもらってる身分だし。家のために働く高校生とかってカッコいいじゃん」
「あんた馬鹿? なんで私があんな家の家計を支えるために働かなきゃいけないのよ。盗み聞きしてたんでしょ。あんな家にいれたら、軒並み酒代と光熱費に使われるのがオチよ」
果たして酒代と光熱費代が同一線上に論じられるかどうかはさておき、俺は重ねて聞いた。
「じゃなんで?」
「金」
「は?」
「金よカネ。マネー、“同情するなら金ちょうだい”ってね」
「だからそのカネをどう使うかの話であって……」
「したい事をするための金に決まってんでしょ。他人や、ましてや家族のためじゃない。私個人のための金よ。あんな連中が破産申告しようが路頭に迷おうが私の知ったこっちゃないわ」
どこか湊のような喋り方をする叶伊織。あけすけで滑稽で、棘だらけの言葉。
なぜ叶伊織は、こんなにも過敏に反応するのだろうか?
聞かれもしない事を答え、言わなくともいい事を話すのだろうか?
うむやむにして置きたい心のグレーゾーンに、フラッシュライトでも焚きつけるみたいに。痛い言葉ばかり、醜い台詞ばかり選んで声を張り上げている。そう、まるで何かの宣言みたいに。
俺には正直よく分からない。だけれども反論しなければならない気がした。
「“あんな連中”なんて呼ぶのは良くないよ。そりゃ色々問題があるのかもしれないけど。さっきだって君のお母さんもお父さんも君のこと……まぁちょっと色々と奇天烈だったけど、曲がりなりにも君のことを心配してたじゃないか。親だろうが誰だろうが自分のこと心配してくれる人に向かって“知ったこっちゃない”は良くない……と思う」
「正論ね、“正論”だわ。これ以上ないほどね」
叶伊織は、こくこくと頷く。そして、その頷きの意味は、同意ではなく侮辱である。
「あんたに言われるまでもなく、うちの両親は私のことを心配してくれているらしいわ。たとえばうちの父親はね、私が家出したとき“心配”して一晩中、酒のんで泣いていたらしいわよ。もっとも私を探す気力はなかったみたいだけどね。
片やうちの母親はね、私達子供を“心配”するあまり、今の今まで離婚できなかったんですって。本当は離婚したかったんだけれど、子供が小さいうちはって我慢してるうちに人生の大半を無駄に費やしてしまって、いまさら学歴も経験もない、もう若くもない自分には子供を引き取って一家の家計を支えていくのは無理だってさ。
でね、自分がこれだけ犠牲になったのに、なんで子供達に感謝されないのか分からないって顔してる。私はあなた達のためにずっと自分を殺してきたのよ、なのにあなた達は私に何もしてくれないの?ってね」
そこで、叶伊織は崩れるように甲高い笑い声を立てた。
「お母さんお父さん、心配してくれて有難うって感じ?」
僕は叶伊織から目をそらした。
「……でも多分、ご両親だって悪気があったわけじゃない」
「悪気がないのが、一番タチが悪いのよ。だって自分がしている事が分かってないって事なんだから。治そうと思っても簡単には治らない。何度でも繰り返す。だって自覚がないんだから。
しかもそこを責められると、逆切れしたりしてね。『悪気があったんじゃない』『知らなかったんだ』『なのに、なんでそこまで責められなきゃいけないんだ』ってね。しまいには責める相手が悪者で、自分は悲劇の主人公。もう勝手にやってって感じ」
「でも、それでも、今までーー」
「ストップ。『今まで誰に育ててもらったんだ』とかは耳にタコが出来るくらい聞いたからよしてよね。こっちだって一応、老人ホーム代を出してやるくらいの恩義は感じてるわ。もっとも親の子供に対する奉仕は金には換算できないらしいから、それくらいであの人達が満足するとも思えないけどね」
僕には叶伊織の言っていることは分からない。その半分だって分からない。分からないけど、でも。
「でも……でもさ」
「何よ。デモデモ、デモデモ。馬鹿の一つ覚えみたいに。他の接続詞しらないの? このデモデモ星人」
「でも俺は、そういう考え方はどっか間違っていると思う」
「誰もあんたの意見なんか聞いちゃいないわよ。それに正しければいいって問題でもないでしょ。テストの答案じゃないんだから」
「でも、上手くいえないけど……」
俺は自分自身に言い聞かせるように、うなずいた。
「でも、やっぱり間違ってるんだ」