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第十話 叶伊織の複雑怪奇な家庭事情 (前編)

 (え、ウソだろ?)


 というのが叶伊織宅とおぼしき家の前に着いた俺の感想である。


 幅何百メートルもある敷地、インターフォンつきの正面ゲートの向こうに続く車用の舗装路、その彼方に見える洋風の豪邸。

 そこに横付けされている車と言ったら、Sクラスのベンツ、ポルシェのボクスター、黒のランボギーニ、ムルシエラゴLP640――――叶伊織は実は、日本を代表する某有名財閥の御令嬢だった……

 などというオチではない。残念ながら。


 ちなみに豪邸やムルシエラゴLP640云々も、現実逃避の生み出した白昼夢であって真実ではないので、あしからず。

 

 そうではなくて…

 伝統的な日本家屋。向こう傷のついた強面のお兄さん達がずさっと整列し、『お嬢、お勤めご苦労さまです!』とかいっている中を、叶伊織が『てめぇらっ、そういう勘違いを招く出迎えはやめろと何度言ったら分かる!』とか『極道一家の一人娘』的なノリで出迎えられている所を、この俺が目撃してしまった―――わけでもなかった。幸運にも。


 ああ、また脱線してしまったようだ。まだまだ、めくるめく俺の現実逃避は続くのだが、面白くもないので、このさい飛ばすことにする。


 敷地の点で言えば、別段特筆に値することは見当たらない。推定、叶伊織宅は日本の住宅事情という見地からすると、まあ一応、標準の部類に入るだろう。たとえ貸家でも一軒家に住んでいるだけマシというものだ。

 問題は外観だった。

 別に悪趣味や異国趣味が過ぎるとか、そういう事ではない。建物の規格も標準である。

 ただ、なんと言えばいいのだろう。


 まず家が二色塗りだった。

 東西南北を向く壁の内の二面は、やぼったい灰色ピンクであり、残りの二面は、爽やかなライトブルーである。

 見る面によって色の違う家は、二色塗りのサイコロを思わせた。近所で『二色屋敷』とか呼ばれていそうだ。


 それだけなら家主のエキセントリックな趣味と言えなくもないが…どうも見た限り、そうとも言い切れない。


 元はダークピンクだったとおぼしい灰色ピンクの二面はペンキがほとんど剥げかかっている。木材が露出している所も少なくなく、その変色した色といい、明らかにペンキの塗り替えが必要である。


 対してライトブルーの二面は、灰色ピンクに比べれば、新しい時期に塗られたらしいが、どうやら塗装のトの字も知らない人間の手によって為されたらしく、塗りむらが激しく、下地の灰色ピンクが浮き上がって見える。

 たぶん下地をサンドペーパーにかけるどころか表面をキレイにする事もなく、埃の浮いた灰色ピンクの上からライトブルーを乱暴に塗りつけたようだ。

 さらにいえば『只今、塗装中』というわけでもなく、表面の汚れから逆算する限りライトブルーの面が塗られてから最低でも数ヶ月が経過しているようだ。


 結論から言えば、ドのつく素人が塗りかけで放置した家としか見えない。


 しかも一面たりとも満足に塗れている場所はなく、塗り残しが多い上、ペンキを塗る時に使っただろうテープまで、あちこちにぶらさがっている有様だ。風に揺れる干からびたテープは二色屋敷のボロさに、切なさと侘しさを添えている。


 屋敷の異様さは、ペンキ塗りかけ疑惑に留まらない。雨どいの止め具のあちこちが外れて垂れ下がっているし、苔にびっしりと覆われている場所も多く、このままだと雨が降っても雨どいはその役目を果たさなさそうだ。どちらかといえば、ペンキよりこっちを優先して直したほうがいいんではないか、などとお節介な事を考える。

 

 俺は何度となく担任からもらった叶伊織の住所と、二色屋敷の番地とが一致する事を確かめた。なんど確認しても、紙切れに書かれた住所が二色屋敷だという事実は裏返らなかった。これまた汚れた表札の『叶』の一字が俺に駄目押しをする。


 意を決して、敷地に足を踏み入れた俺を異臭が襲った。二色屋敷の庭に目を走らせて得心がいった。


(…オイオイ)


 黒いポリ袋が茂った芝生の上に多数、転がっている。悪臭の元はどうもそれらしい。隣人から苦情はこないのだろうか。


 ついでに、粗大ゴミゆき確実の家具も幾つか庭に出されている。昨日や今日出されたのではない証拠に、雨ざらしにされた表面の板が浮きあがっている。

 ほとんど手入れの為されていない芝生の上に、机や椅子や箪笥が転がっている有様は、どこかシュールな前衛アートのようだ。


 玄関まで続く五メートルほどのコンクリートの道はちょうど真ん中あたりで地盤沈下でもあったみたいに大きく割れてずれている。玄関先には、なぜかマッチ箱やスプーンが転がっており、ジョウロを植木鉢を初めとする園芸用具が、物置き場と化した木製の椅子の上に雑然と置かれている。

 そういえば、庭の片隅には、お世辞にも見目良いとはいえない花壇もどきがあったが…家も庭もこれほどまでに荒廃している中で、花など育てて一体何になるのだろうか?

 

 俺は、これまで3LDKの我が家を『所帯臭い』だの『汚い』だのと両親に愚痴ってきたが、今それを全面的に撤回しよう。ここに住んでいる人間に比べたら、我が家は天国だ。少なくとも人間の住居としての最低条件をクリアしている。

 母さん、父さん、今までゼイタク言って、ごめんなさい。

 

 しかしこれが…

『孤高のクールビューティー』の住居……いや、ある意味、孤高という言葉が似合う家ではあるが。


 手垢なのか泥なのか分からない汚れのついた呼び出しチャイムを眺めながら、俺は『南無三』とつぶやいて、鞄の中から叶伊織に渡すプリントを取り出した。


 大きく息を吸い、そして吐く。

 どくんどくん、と一向に鼓動が収まる様子のない心臓に手を当てて、深呼吸を続ける。

 姿勢をただし、襟をただし、俺は一指し指をゆっくりと持ち上げる。

 そして、さながら全神経を指先に集中させたかのように、この上なく慎重に人差し指を前へと押し出した。

 

 チャイムを押して一秒、ピーンともポーンとも言わなかったので、俺は肩透かしを食らった思いだった。気を取り直して、もう一度押してみる。

 シーン。

 ……もう一回。

 シーン。

 さらにもう一回。重ねてもう一回。ヤケクソで連打。


 (げ、やっぱ壊れてる)

 まあこの家の様子を見る限り、むべなるかな、といった所だろうが。

 仕方がないので俺は文明の利器を諦めてノックすることにしたが、待てど暮らせど誰も出て来なかった。


 しかし誰かしら在宅中の筈なのだ。遠くから覗いた時、半分しか、かかっていないカーテンごしに人影が見えたのだから。しかも複数の人影だ。いまだって耳を澄ませば、中からの人の話し声が聞こえてくるような気もする。


 郵便受けにプリントだけ落として帰ろうかとも思ったが、郵便物を吐き出さんばかりに一杯になった郵便受けを見て、早々に断念する。

 ここに置いたところで、気付かれるのはいつになるか。いや多分、一生気付かれないだろう。雨ざらしで判別不能になった挙句、二色屋敷の庭を飾る前衛アートの仲間入りを果たすのがオチだ。

 

 途方にくれた俺はドアノブに手をかけた。『実はカギがかかってなかった』という映画や小説みたいな展開を、ちょっぴり期待しての行動だ。果たして―――

 キィ。

 ――かかっていなかった。

 (無用心だな。ま、こんな家じゃ泥棒だって入りたくないよな)

 などと、はなはだ失礼な事を考えながら、俺は古い家特有のこもった臭気に足を踏み入れた。

 「ごめんくださ〜い」

 と声を張り上げた俺に、廊下の向こうから一際大きい罵声が返ってきた。


 「ふざけんな。そんなに死にたいんだったら保険金かけてから死になっ!」


  叶伊織の声だった。



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