M.N.S.T→N.N.SHA
シューーーッッという蒸気とともに電気ポットから「ピッピッ」という電子音が鳴り響く。再沸騰完了の合図だ。
既に急須には茶の葉がセットされ、熱いお湯との出会いを今か今かと待ち望んでいた。俺は特にお茶を淹れる作法を心得ていないので湯飲みを温めたりはしない。茶葉の保存方法からしてあやしい。
来客用の湯のみとマイ湯のみを傍らに用意し、ポットより熱湯を急須に注ぐ。茶葉は「待ってました!」とばかりに緑色の芳香を放つ。
俺はなんとなく気分で二つの湯のみに交互に茶を注いでみる。たしか濃さを均一にするためだっけ?
手の皮膚の厚さに自信が無いのでお盆を使い、ソファにて足を組み携帯電話片手に二つ三つ言いたげな表情でこちらを窺うサクラの元へ。
「お待たせ。粗茶ですが」
と、俺は日本人の慣わしに基づき無意味にへりくだる。サクラは差し出された緑の液体に見向きもせずに
「確かにパヴェルのシュークリームに隠れファンが居るという話は聞いていたわ。8割モンブラン1割シュークリーム1割その他って所ね。どうぞ。驚いた顔をしてちょうだい」
そう告げるとサクラは携帯電話の液晶画面を一瞬で俺の鼻先2cmへ。師範代の掌底だったら弟子は失神している。
結論から言う。こいつには念写の能力があるらしい。
なんとか失神は免れた俺の目が超至近距離の携帯画面の画像とピントが合った時、その視覚情報が脳に向かい脳の主はその書類に「可」のハンコをくれた。書類にはシュークリームと書かれている。
「え?は?」
俺の口からは疑問系の最短語句が二つほどこぼれる。
そう、俺は確かに三時のおやつにとパヴェルのシュークリームをこの皿に用意し、紅茶と共に食んだ。
「これは…」
「おめでとう。超能力者の方に会えたわね、探偵さん」
そういってサクラは俺の差し出したお茶を「あちち」などと言いながら口に運びこちらを薄笑いを浮かべた表情で目だけは睨む。口角の上がり具合に自信の様を感じられる。
俺はこいつの自信満々な表情に信憑性を感じている。
いんちき占い師のベテランであっても、隠し切れない「あやうさ」を感じるだろう。ミリ単位以下でもいんちきの時点でゼロには出来ない。こいつにはソレがまったく感じられなく、あるとしたらスーパー勘違いの線だけだ。ピッチャーが振りかぶって二塁に全力投球してしまうほどの大ポカだ。そんな自信の表情に満ちている。
ただ実際に写真にはくっきりと俺のお気に入り、パヴェルのシュークリームが写っている。どうやらしっかりとキャッチャーに向かって投球しているようだ。
「うーん、すまない。どこから伺えばいいのか質問が決まらない。よければ説明してくれるか?」
「いいわ。まず…」
「あ!」
「何よ?」
俺はサクラにもう一度「すまない」と告げマイデスクへと向かい引き出しから名刺を取り出し
「遅くなって申し訳ない」
と机の上を滑らせ差し出す。
「名前だったら知ってるわ。サイトに書いてあったもの」
サクラはソレを手に取り、なぜか蛍光灯に透かしたりしてみせる。何も浮かばないぞ?
「まぁね。こちらの自己紹介がずいぶん遅れてしまってすまない。俺はこの探偵事務所の社長兼探偵、中村だ。この写真をもって君への疑いははれた。ぜひその名刺を受け取って欲しい」
「別に捨てたりなんてしないわよ。ま、常人より理解が早い人だとは思うわ」
サクラは受け取った名刺を机の手許に置き、再び少し温度の下がった緑色の液体を口に運ぶ。
「それはどうも。腰を折って悪かったね。じゃあ続きを聞かせてくれ」
「じゃあ、あらためて…」
名刺と信用の念と熱いお茶が少し溶かしたのか、サクラの表情はこの事務所に入ってきた時よりもだいぶやわらかくなっていた。