S.F-3
紅茶のおかわりを待つ間、小さな洋菓子に名前があることを知る。なぜかサクラが知っていた。サクラ自身もどこで仕入れた情報かは覚えていないらしいが、おおよそテレビか雑誌だと思われる。ただその名前も、俺は明日には忘れていると思う。でもこの控えめな甘さは忘れない事だろう。またいつか無性に食べたくなったらこいつに聞けばいい。
紅茶の渋みが少し増すくらいの、ビターな親子関係を聞く土曜。そんな週末を「何事も経験」とか「勉強になる」とかそんな思いで消化するほど俺の血は冷たくない。出来るだけ、親身になって考えたいと思っているのは本当で、俺は親子っていうテーマには幾分敏感なのだ。それは横に居るサクラも同じで、萌さんとの間にはこんなやり取りもあった
「サクラちゃんはママと仲良くしてね。私もがんばるわ」
「うん。ママもう居ないんだ。おばあちゃんとは仲良しだから!ふふっ」
萌さんが顔をしかめ、謝ろうとした刹那、萌さんの腹部の辺りにに抱きつくサクラ。勢いが付けばそれは立派なタックルだぞ。あと羨ましいぞ。
サクラには両親が居ない。昨日、俺はどうしても保護者に連絡が取りたいとサクラを説得した時に判明した事で、祖母のハルさんと二人で暮らしているそうだ。その後、俺はハルさんと電話で短い会話をし、サクラに簡単な仕事の手伝いをしてもらう旨、了承を得た。
萌さんの腹の辺りで猫のようにごろごろし終えたサクラは、持ち前の鉄板トーク、「おばあちゃんの茶色い弁当」を披露していた。簡単に説明すると色味の無い弁当の話。とにかく遊びが無いらしい。でもサクラはそんな弁当を毎日残さず食べ、しっかり弁当箱を綺麗に洗って祖母に返しているという。そう言えば昨日も事務所の流しで洗っていた。そんなこいつを愛せない奴はきっとひねくれていると思う。
俺は窓の外の庭を軽く眺め、ふと思い出して携帯からツバキにメールを送った。弁当トークは玉子焼きinネギのくだりへ突入していた。
「サクラ、そろそろ」
「あ、はーい。じゃあ萌ママ、この続きはまたね」
「うん。ネネのことよろしくね。イッセーさん、よろしくおねがいします」
「大丈夫です。このソファにはネネさんと事務所に居るツバキが座ってもまだゆとりがある。僕もようやく紅茶の味がわかってきたところです。その時にまたサクラの話の続きを」
萌さんの顔から、いくつもの腫れ物が取れていた。彼女は今日出会った俺たちに包み隠さず自分と娘の関係性を語ってくれた。内容においてはよく耳にするような思春期における親子関係のように感じられ、父親の単身赴任などが加速装置となり二人の距離を引き離した背景が見えた。ただそんな事は俺にはどうでもよく、肝心なことは非常に簡単な事。萌さんは確かに娘、音々を愛している。それだけ解ればいい。大事にしすぎて結局全然使わなかったり、楽しみにしすぎて冷めてしまった好物だったり、その類い。デリケートになりすぎて愛情の注ぎ方が解らなくなったという、子供が思春期なら親も初の対思春期。きっとプラスとマイナスを掛けるようなもの。マイナスとマイナスを掛けてプラスになるなんてのはただの理屈で数字だけの事。萌さんはただ圧倒的プラスで居たがっている。それが確認したかった。
あとはネネだ。会って確かめないとな。プラスかマイナスか。
あー、誘拐犯なんてのはただぶっ飛ばせばいい。とにかく、この後の捜索も反則を駆使して超ショートカットで執り行う。
俺は立ち上がり、もう一度ネネの部屋へ。小さな洋菓子の名前はもう忘れていた。