S.S.U
俺は無意識の中で何故か立ててしまった右手の人差し指を一瞥し、静かに折りたたんでから腿の位置に戻す。恥ずかしい。頼む、誰も見ていないでくれ!っと願うも、対面からの薄ら笑いに落胆する。目が合ったサクラは三日月目のままに
「うんうん、そうだね。がんばろうね」
と、痩せたままのその目を満月にすることなくうなずいて見せる。
「ちょっと浮かれちまったな。正直恥ずかしいわ。っが、がだ。まだ本決まりしたわけじゃあないからな。いたずらって線もある」
言いながらにして俺は俺自身、襟を正していた。依頼内容が依頼内容だからな、実際にいたずらの線は色濃く残っている。いたずらで素行調査の類の依頼をしてくる奴は少ないだろう。そんなわかりにくい冗談は迷惑でありセンスがない。
「うん。がんばろう!ね」
サクラの顔にへばりつく双子の月は、しばらく肥えるつもりがないらしい。…と、
「とりあえず出来たわ。確認してくれる?」
俺の右側で腿の上の小型ノートパソコンより依頼主(仮)に返信文を作成していたツバキがこちらにノートを差しだす。こういう仕事はツバキに任せる事が多かった。ちなみにこのノートは俺が支給したものだ。もちろん社長として、な。律儀な事にツバキはどこに行くにもこいつを持ち歩いていていてくれる。固より、小型サイズって所もあるだろうが、贈った側としては結構うれしい事だ。うれしい事、なのだが、実際このノートの中身は贈答時からバッキバキにカスタマイズされており、残っているパーツの方が少ないのだという。
ツバキの作成する返信内容は基本的に簡単な内容で、大体の事は面談して決める。まずはこちらが受けるか否か。ま、今まで依頼を蹴った事なんてほとんどないけどな。次に面談場所、日時。基本はこの事務所だ。ウェブサイトに簡単な地図は用意してあるが、俺が駅前まで迎えに行く事もよくある。基本はこの二つ。ツバキなりに丁寧な言葉を選び返信している。固くなりすぎない程度でな。
「うん。いいだろう」
俺はさっと目をやっただけでゴーサインを出す。読んでも文句つける所なんてないだろうし、あるとしたら誤字脱字の類だ。そしてツバキにとってそんなケアレスミスは皆無だ。
「送信。いたずらじゃないといいわね。あとさっきのポーズはやめた方がいいわ」
「ぷぷっ」
俺はしかめっ面でぬるくなったお茶を口に含んでいた。口の中の苦味と共に、立ててしまった人差し指への苛立ちを感じていた。そして咳払いの後にこう続けた
「浮かれはここまでだ。人差し指のことは忘れてくれ。そんで、だ。依頼の詳しい内容によってはお前ら二人には関わらせないかもしれない」
「はぁ!どういうこと!」
十五夜である。パッチリと見開いた満月のソレは、怒りと驚きとを含み、こちらを睨む。
「おそらく今回、民事ではなく刑事の類の話になるだろう。俺は色んな意味でお前らの安全を保障しきれない」
「だっ―」
「理解しなさいサクラ。遊びではないの」
ツバキは猛烈な剣幕でまくし立てようとするサクラを一喝する。真ん中で分けられた前髪から覗くその双眼は、刺すように厳しくサクラを捕らえていた。
「…わかったわよ。ちぇっ」
わかりやすく口を尖らせるサクラにツバキはこう続ける
「わかればいいわ。いい?ボスが安全を保障できるところまでは付いていきなさい。彼はある程度守ってくれるわ」
と、斜め前の月を諭し終えたツバキがこちらに微笑みかけ
「ね。」
…ん?
「わかったわ!あぶなくなったらすぐ走って逃げるし!イッセーの言う事も聞くよ!」
いつの間にか月は太陽へと変わり、にっこりと俺を照らしていた。俺はそんな二つの笑顔の中、真夏のアイスクリームのごとく今にも溶けてしまいそうだった。
「ふん。茶がぬるいなあ」
「はいはーい」
流しへ向かうサクラ。ま、正直守ってやれん事はない。俺が駄目でも俺以外の何者かが全力でお前を守ってくれるのさ。それがどんな団体なのかはご想像にお任せする。
シューーー。
電気ポットが再沸騰ののろしをあげる。と
「ピッピッ」「テロン」
再沸騰の合図とメール受信の合図が相殺しあって鳴り響く。