クロワッサン氏企画小説
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翠色じゃないヒスイさん/モヘジ/オリジナル
俺は罪を犯した。
取り返しのつかない罪を。
最初は、務める企業のためだとか、自己満足に囚われてのことだ。決して、こんな結果になると知っていたわけではない。
いや、こうして言い訳を積み重ねることさえ自己欺瞞であることぐらい、気付いている。それに気付いたからと言ってどうにかなるわけでもなく。俺の取れる道は二つに一つ。
「二者択一、という訳だ……」
つい四文字熟語を使ってしまうのは、自分が未だに日本人であることを忘れていないためか。
三年間もアメリカ合衆国ヒューストン州の本社に勤めながら、英語は喋れこそすれ独白は日本語になってしまう。
このメキシコ湾を一望する、八年間という人生の一部分を捧げた会社の屋上で、潮風に吹かれながらこれまで己を思い出す。
生年月日は二〇八一年七月二十五日。どこにでもある一般的な家庭に生まれ、町立の小中学校を卒業し、工業専門学校を経て首都圏のI.T企業に入社。
世界は急激な科学発展の末、人間の脳をコンピュータとして利用する術――電脳を作り上げた。その中で、俺は新規の電脳専用OSを開発する。そして本社への栄転、となるはずだった。
しかし、全ては三年の月日を置いて一転してしまう。
俺の作り上げたOSには一部の不備があり、電脳と併せ持って人間の脳を活性化させ、人ならざる異能を啓発してしまうのだ。それだけならば、まだ人間の未知への探求となるのだが、異能を発現できるのは一部分の人間だけで、適応力のない人間に関しては殺戮本能のみを残して自我を失うという副作用が起きえる。
その事件を発端に、俺は犯罪者の汚名を着せられ社会からの抹殺を余儀なくされたのである。
それだけなら、裁判を行って豚箱にぶち込まれれば済む話だ。けれども、異能者と暴走者――適応力の無かった者に付いた名称――による未曾有の混乱は、俺の贖罪一つで償えるほど軽くはなかった。
また、誰とまでは言わないが、俺が開発したOSを悪用しようとする輩まで現れる始末。
「歩める道は俺の死か、解決方法の模索。この道を選んでしまった安易さは責められるだろうが、達者に生きてくれ」
利用されないようにオリジナルの抹消を終え、俺は今、混沌の発端に終止符を打つ。しかし、まだ混沌が終焉を迎えたわけではない。
両親と妹を残して死に逝くことだけが心残りだが、俺が生き残っていれば必ず彼らに迷惑がかかる。故に、こうして音声メッセージに真実の全貌と謝罪を残して命を断とうと思う。
『音声メッセージの録音が終了しました。転送しますか? はい。いいえ』
自分の網膜にしか映らない電脳の案内を選択し、俺はゆっくりと屋上の縁へ歩み寄る。
何事もないかのように往来を行き来する世界の流れを眼下に捉え、バンジージャンプを楽しむかの如く体を前に傾ける。
重力に任せたその身は自由落下に恐悦を覚え、徐々に近づくコンクリートのタイルは俺を嘲笑う。
半分も過ぎようとしていたその時、俺の電脳に一通のメールが届く。
「冗談だろ? こんなタイミングで送ってくる馬鹿はどこのどいつだ? あの世から返信してやろうかッ?」
独白で毒を吐く。笑えないジョークはこっちだ。
音声メッセージの送り先である家族の元に届くのは、まだ数分の余裕がある。いや、送ったメッセージを直ぐに読む可能性だって低い。
ならば誰だ。
ありもしない時間の中で、俺は送り主不明のメールを開いた。
俺が目を覚ましたのは、見覚えのあるビルの一室だった。
整然と並んだスチール製の机、高級と言うほどでもないにしろそれなりの材質を使った回転椅子、机を埋め尽くす資料や書籍の山は、忘れようもない光景そのもの。
三年間、この目に焼き付けて来た一室は、まさに俺が仕事をしていた本社のオフィスである。俺は自分が使っていた椅子に座り、机に突っ伏して惰眠を貪っていた。
果たして、今まで見ていた光景は夢だったのか。それとも、死んで行きついた先がここだと言うのか。
考えても分かるはずなどなく、些か朦朧とした状態で立ち上がり室内を歩きまわる。自分の状況は掴めないが、ここが紛うことない仕事場であり、窓から見える景色がヒューストンの海岸線であることだけ理解する。
「ここは、いったい……?」
もしかしたら、俺は自殺を図ったものの一命を取り留め、悪い冗談に嵌められているのかもしれない。はたまた、信じてもいない地獄の底で刑罰を受けているのだろうか。
幾らかの仮説を立ててみる。
外に見える景色は変わらぬメキシコ湾の漣のみ。映画のセットという可能性も低い。地獄の刑罰にしては想像していた物より温い。
死んだと仮定する。
「地縛霊になるほど思い入れはないんだが。それどころか、この空気だって嫌いなぐらいだぞ?」
生きていると仮定する。
「この休日の真昼間に、外には誰もいない。黒い太陽なんざ、日食のニュースも聞いちゃいねぇ」
どれにも当てはまらない。
ただ一つの可能性を除いては。
「……異能か? 死ぬ間際に見たメールに何らかの異能が付加されていて、開いた俺はこの幻想だかなんだか分からない空間に移動させられた、か」
これまでに少なからず、俺の開発したOSで発現した異能の持ち主を見て来た。全てを把握していないのだから、他人を別の空間に移動させる異能の持ち主が居てもおかしい話ではない。
となれば、答えは一つだけだ。
「ここから出よう」
明確な手段など思いつきもしないが、必ず出口はあるはずだ。
俺はそれを信じて、自分の使っていたデスクへ向かう。鍵穴の付いた上段の引き出しをポケットに入れていた鍵で開けば、そこに護身用のコルトガバメントがある。
「まさか、景色だけじゃなくて引き出しの中身まで持ってきてくれるとは、ありがたいねぇ。弾も入ってやがるし、迂闊過ぎるんじゃねぇか?」
何処かで聞いているかもしてない異能者に話しかけながら、俺は異質な黒い太陽の光を取り込む窓に向けて引き金を引く。
練習はそこそこにやっていたお陰で、止まった的になら有効射程内で十分に捉えられる。利き手でグリップを握り、引き金に指を掛け、残りの手をグリップの下に添える。
まさか銃も能力による造り物ということも考えたが、聞きなれた残響と同時にフラッシュが焚かれる。
「……?」
偽物だったのか、銃声の後に残ったのは不変の光景だけ。窓ガラスに銃痕は残らず、兆弾する様子も見せず銃弾はこの世界から消滅している。
そもそも、何十階もの位置にある窓ガラスを割って、どう脱出するつもりだったのか。
俺は自分の思考能力を鼻で笑い、適当な資料の山に向けて引き金を引く。今度は、資料の山が紙吹雪となって小さな焼け跡を残す。
「弾は出るけど、窓ガラスは無理、と。ますます異能による物って感じだな。しゃぁねぇ、外に出てみる……」
状況整理と同時に出入り口となる扉に向けて踵を返したところで、ドアノブが回り開口する。
「止まれッ。鉛玉を食らいたくなけりゃ、両手を上げてゆっくりと入ってこい」
突然の入場者に、俺は銃口を向けて警告を促す。
ダットサイトを扉の端から切れ目となる壁へずらし、少しずつ姿を現す入場者にターゲットを絞り込む。
入場者の正体は、ロングコートを着込んだ十代後半と思しき少女だ。黒いロングヘアーを纏めようともせず、かと言って無精とは思えない綺麗に手入れされている。ありきたりな黒い双眸さえも、世界に唯一無二の宝石を見ている錯覚さえ覚える。
手には両方の先端に刃を取り付けた槍とも薙刀とも言える得物を持って、宙を仰ぎながら俺の姿を凝視する。
人によっては可愛いと表現するであろう。または幼いとも呼べそうな顔立ち。もしかすれば、麗しいと呼ぶかもしれない。それでいて何処か神々しい物さえ感じてしまう整ったパーツを持つ。一文の隙もない。
正直、邂逅直後に少女を敵と認識することができなかった。
目に宿るのは敵意や殺意ではなく、一種の諦観と謝意。
「ここは気が滅入る。さっさと出たいんだが、お嬢ちゃんを倒せばいいのか?」
相手が武器を持っていながらも問いかけてしまうほど、両者に戦う意思はない。あるとすれば、死を持ってしても尚、この忌々しい空間に縛り付けられる反感か。
「そのようですね。僕もあの人の真意まではわかりませんが、単純に娯楽として楽しんでいただければ良いと思います。別にわざと負けても良いのですが、『やるからには真面目にやれ』と言付かっていますから、後が怖いので。それと、僕はこんな形ですが男です」
「……こいつは失礼」
意外な事実に驚きながらも、軽く訂正を入れる。
どうやら、この空間を作り出した本人ではなさそうだ。
「それじゃあ、始めよう」
お門違いと分かりながら、それだけの予告で引き金を引いてしまう。
躱した。
いとも容易く、打ち合わせをしていたかのように少年は銃弾を避ける。
プラスチック製の扉が四十四口径の銃弾を防ぎきれるという希望さえ抱かず、本の僅か立ち位置を室内に移してやり過ごす。
一筋縄ではいかないことをすぐさま悟り、二発目を先刻の立ち位置と現在の立ち位置との間に打ち込む。
片や机に道を塞がれ、片や脆い扉がある。逃げ道を見出せるとは思っていなかった自分が、愚かしい。
「そう言えば、お名前をお尋ねしていませんでしたね。僕は神野 燎太と申します。以後お見知りおきを」
自己紹介をするほどの余裕を見せつけながら、少年――燎太は己の得物で音速の銃弾を受け流す。
「名前か……そうだな、モヘジとでも呼んでくれ」
ヘノヘノモヘジなる日本特有の表現から取った偽名を名乗る。正体も分からぬ相手に、名前を名乗ってやるほど優しい人間ではない。
わざわざ名前を訪ねるところを見ると、燎太はOSを狙う奴らの手先ではないのだろう。
「モヘジ、さんですか。では、こちらからも行かせて貰いますよッ!」
燎太が、デスクをジャンプ台にして跳ぶ。
銃弾を躱す様子から常人とは言えない身体能力を持っていると思っていた。が、足の筋肉が発する膂力を余すことなく跳躍に利用した動きは、喧嘩でさえ倦厭していた俺に捉えられるほど甘くはない。
銃を構え、照準をつけ直す時間など与えてくれず、一寸のブレもない斬撃が俺の頭上に振り落とされる。
それを無様に転げて避ける。
着地時の素人とは思えない精錬された衝撃の逃がし方や、瞬時に横薙ぎに切り替える流麗さは、幾度となく死線を潜りぬけて来た者の動きだ。
足首から腰へ伝わるモーメントに、薙刀の遠心力を加えた一太刀を、椅子の背もたれで辛うじて受け止める。
牽制のつもりで放った銃弾は、這いつくばる形になって三度避けられる。横薙ぎからスカラーを斜めに切り替えて、唐竹に俺の胴体を歯牙を食い込ませる。
よりも早く、燎太が何かを察した様子でその場から飛び退いた。
まるで俺の心が読めるようで、もしくは俺の動きを先読みしているとも考えれる、そんな決断力をしているのだ。
「撃ってくることは分かりました……けれど、これは?」
「……?」
初めて、燎太の顔に当惑が映る。
俺も、意味が分からずの心の中で首をかしげる。
傷ついた様子はないものの、燎太は横腹を抑えて俺から距離を取った。
俺の放った四度目の銃弾は燎太の腹筋に残らず、貫通もせずに姿を消している。何処かに弾痕がないか探しても、先刻の窓と同様にこの空間から消え去る。
「あぁ、この空間では怪我という概念がないようです。掠り傷や軽い打撲なら残るらしいのですが、致命傷になれば痛みだけを残して抹消されるのだとか」
俺の表情から察したのか、傷のない理由を説明してくれる燎太。
「ここに呼ばれる方々が普通の人だとは思っていませんでしたが、これが貴方の能力なのでしょうか? 貴方がどのように定義しているのかはさて置き、空間に干渉する力。特に、限定的な範囲でしか効果を表さないもののようですね。ダメージを負うことは分かっていたのに、僕には全く銃弾が当たりませんでした」
致命傷云々の説明もさることながら、一度だけで俺の能力を読み解く程に聡い。
自分自身が開発してOSによって発現した能力。
T5『The Through Three Time Turning(過ぎ去りし三つの時を妨害する)』と名付けた力は、文字通り三秒前限定の過去に影響を与えることができる。
「答えはCMの後って、相場で決まってるだろ?」
燎太の口ぶりから、彼の能力が思考の読み取りと先読みだということが仮定できる。
ならば、避けることも受け止めることもできない過去への銃撃で、一気に勝負を決める。
五発、六発、七発。
三秒前の過去に燎太が佇んでいたと思しき場所へお見舞いしてやる。それは現在、燎太が足を止めている位置であり、今更身を翻したところで避けようはない。
だが、俺の能力には幾つかの弱点がある。
まず、三秒前に立っていた相手の位置が分からない程に動き回られた場合。次に、過去を庇ってカウンターを仕掛けてくる相手。
燎太の場合、後者の手段にでる。
位置を把握できない程の速度で動ける身体能力がなくとも、直線的な弾道を読んで弾き飛ばす動体視力は持ち合わせている。能力も合わせて、引き金を引くタイミングもバレている。
銃弾を自身の射線から外し、八発目を放つ隙を与えないように薙刀による軽いジャブ。
それを避けようと尻餅をついたところで、俺も負けじと銃口を向ける。その瞬間に薙刀が俺の腕を掠めてゆく。
刃がすり抜けた部分から先の力が失われ、掴んでいた銃を取り落とす。続けて、熱した油に手を突っ込んだ時よりも遥かに超越した灼熱が腕を襲う。
「が、あぁッ……」
腕を抑えて悶える俺に、休まることのない斬撃が繰り出される。
思考の停滞。本能による回避。
幸いにも、先読みの能力が絶対的な未来を映し出すわけではないことと、思考しない今の俺から心を読み取ることができないことで、命からがらオフィスを抜け出すことができた。
どうやって銃を拾いながら逃げて来たのかも覚えていない。
エレベーターが据えられたエントランスを中心に、『田』の字に広がるフロアは、どうにか燎太の追跡を逃れられる構造になっている。ただし、エレベーターや非常階段の扉は開かず、フロア内に閉じ込められている。
本当に、ただ逃げるだけ。これまでの人生の中で、これほどまでに追い詰められ無様に逃げ回ったことがあっただろうか。
『兄ちゃんは、若竹みたいだね』
そんな、妹の評価を思い出す。
風が吹こうとも、しなって身を躱す竹のように、飄々と何事にも動じず生きて来た。己の人生に諦観を見たこの歳にまで、なるようにしかならないと決め込んでいた。
それなのに今、俺は一つだけ叶わぬ願望を抱いている。
「すまん、やっぱり生きたいわ。俺……」
動かなくなった利き手、残弾の少なくなった銃を見据え、独白を口にする。
娯楽と燎太は言っていたのだから、勝っても負けてもこの空間から出られるのだろう。しかし、敗北の後に何が残っている。
「貴方がここへ呼ばれたのは、それに気付かせるためだったのかもしれませんね」
燎太の歩み寄るスニーカーの音が、少しずつ大きくなってくる。
「僕が言うのもなんですが、あの人も結構出鱈目な人ですから。この戦いの結果次第で、どうにかしてくれるんじゃありませんか?」
「こんな戦いに強制参加させるような奴が、まともだって言うのか? 俺みたいにひねくれ者だろ。一度、面を拝んでみてぇわ」
「ズバリ言いますね。けれど、僕達に求められる結果は二つに一つ――」
「二者択一の――」
『Win or Lose!(勝つか負けるか!)』
ハモる声と同時に俺は物陰から飛び出し、燎太もそれに応えて床を蹴る。
残りの弾を、燎太に向けてぶちかます。
もちろんそれを避け、止めの一撃とばかりに薙刀を振り下ろす。
俺は避けようともせず、薙刀を肩に食い込ませながら燎太にしがみ付いた。
愚直な突撃に余裕を見せていた燎太の表情が、俺の真意を読み取って驚愕を作る。
「T5『The Through Three Time Turning(過ぎ去りし三つの時を妨害する)』」
燎太を掴んだまま反転。銃弾の軌道であった場所へ引きずり込む。
もし本当に怪我を負うような戦いならば、絶対にしないであろう愚行だ。
三メートルもない距離から放たれた四十四口径の銃弾は、十二分に燎太の体を貫いて俺に突き刺さる。
「いてぇ……。こんなこと二度としねぇ。マジでしねぇ……」
愚痴に似た呟きを最後に、俺の意識は途切れた。