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第2話

2038年6月7日

 上から今回のミッションの報告を求められた。長々と聴取を受けたのだがどうも要領を得ない。上はマシンの運行記録から私の行き先での滞在日数や行動を把握しているようだ。思ったより相当行動を掴まれているという印象を受ける。単なる運行記録では知り得ないことまで上は把握しているようにも思える。私の考え過ぎだろうか。上の意図はマシンの初動試験にあるようだがやることが稚拙にも見える。

 今回の目的はマシンの初動試験と君の適性検査にある。

 問いただしてみてもそれ以上は全く教えてもらえない。私は思いもよらなかったが、過去とはいえ自分自身に会うだけで発狂してしまう者もいるとのことだ。

 私も軍人だ。上の命令にうるさく口を挟んだりはしない。マシンのポテンシャルは未知の部分が多く、その可能性を探るために多くのデータが必要だそうだ。そうならそうで頷いておこうじゃないか。


2038年6月8日

 タイムトラベル理論と多世界解釈の是非についてはやはり疑問に思う。頭に引っかかる。あの絶対と言われた時間順序保護仮説はどうなったのだろう。シアトルから送られてくる日記を早く見てみたいものだが、私が会ってきた15年前の自分は、今の私と全くの同一人物ではない、と考えなければならないかもしれない。そうでなければあの日記の記録や私自身の記憶など、かみ合わない部分が出てきてしまう。

 多世界解釈、この言葉の意味するところは想像するだに恐ろしい。上はもう何らかの確証をつかんでいるに違いない。本当に時間順序保護仮説が否定されているとしたら?

 ああ、私はこのことがなにを意味するのか、恐ろしくてすぐには想像できそうにない。

 上にはどう当たってみてもなにひとつ教えてはもらえない。テスト要員には何も教えないと示し合わせているようなのだ。私たちテスト要員たちは互いにあまり会えないようにされているし、会って話ができてもやはり私と同じ全くの素人で、もちろん込み入ったことは教えられていない。そうなのだ。我々被験者は、実験台は、なにひとつ知らされる必要はない、ということなのだ。

 次の任務を受けた。行先は31年前の東京、秋葉原。目的は単純な物品回収。当時のレコーダーとのことだが、その物のスペックや持ち帰る目的についてはやはりなにも知らされない。私はあの国が好きだ。前に行ったのは去年だったか、一年振りということになる。一年振り?そうだ、今と当時の様子は全くと言っていいほど違うのだ。

 いずれ日本の任務もあるだろうと思っていた。昔いたことがあるし日本語だってまだできる。今回も上の意図はまるでつかめないが、個人的には戦前の日本には興味がある。

 出発は明日だ。


2007年7月14日

 時間も場所も、前回と比べて大きく飛んだようだ。一瞬の出来事の割には奇妙な感覚だ。直前のホテル地下からの出発が、見送る上官の顔がぼやける。昨日の出来事のように感じる。

 2000年代の東京。映像や写真などの資料で見たことがあるが、その通りの場所に、いや、その当時そのものに私は降り立ったのだ。正確に調べたところ、ここは2007年7月14日のようだ。このクラシックカーはどこに行っても目立つ。1930年代にでも行かなければ通用しないのになぜこんなものを用意したのだろう。

 秋葉原の様子は当然だが去年の、2037年とは全く違う。道行く人々の表情まで違う。

平和。

 この一言が私の心に大きくのしかかってくる。当り前の平和、疑われることのない平和、そもそも誰も口にすることのない言葉。

 今日、この秋葉原を楽しそうに歩く人々が、そしてこの国の人々が想像もしない悲惨な状況が、2038年のこの国を覆っているのだ。想像などできようもない。

 この秋葉原で楽しそうに過ごす人々を見るにつけ、いたたまれない思いがする。

 悲哀?

 哀愁?

 ただ眺めやることしかできない私は一体なんなのだ?


2007年7月17日

 それは惨めな物語である。20年後に始まったアジアの戦争は、この国の多くのよいものを奪い去った。今この街に見られる活気も、真面目さも、なにも、2038年にはないのだ。あの戦争は平和なこの国に突如として降りかかった災難だった。避けようとして避けられたものではない、そうだったはずだ。今のこの国の雰囲気を、倦んでいる、平和ボケだ、と言う者もいる。だがあの戦争がこの国に強いた状況は今考えても恐ろしい。彼らになにができただろうか。ましてや、この時代の彼らがなにを想像できようか。

 今のこの国は平和だ。虚しささえも感じる。あの戦争が始まるのはまだ20年も先の話だ。ではこの国は、今のこの平和をあと20年の間だけでもただ謳歌していればよいというのか。確実に20年後に終わりを告げるこの平和を、ただ座して享けていればよいと、私は言えるのか?

 レコーダーを探して街を歩いていたらたまたま起きた交通事故の現場を通りかかった。救急車が来ていたがただの事故ではなかったようだ。けが人が多いのだろう。死者も出たかもしれない。騒然とする現場を目にして、私は連想してしまう。あの戦争の映像を、空襲で破壊された秋葉原の街を。

 私は20年後のあの戦争と、その後の悲惨な状況を知っている。だから考えてしまうのだ。この街の平和が、人々の笑顔が、すべてが、まだ始まってもいない悲劇の1ページに見えてしまうのだ。


2007年7月19日

 目的のレコーダーは簡単に見つかった。一般家庭にもあるごく普通の大衆モデルのものだ。こんなもの2038年にもありはしなかったか。やはり上の意図はつかめない。このレコーダーに一体何があるというのだろう。当時にしかない技術?未知のスペック?貴重な素材を使っているのか?わかっているのは任務を全くの素人にやらせるという明確な意図だけだ。そしてこのレコーダーもこの街で売られている電化製品のご多分にもれず、中国製だ。こんなどこにでもあるものを、しかも中国でつくられたものを、なぜ2007年の秋葉原に私を送り込んでまで手に入れようとする?第一の目的はマシンのテストにあるのかもしれないが、やはりやっていることが稚拙だ。稚拙さを通り越してどこか不気味にすら感じる。


2007年7月20日

 目的のものは手に入れたので帰ることにする。単純な物品回収に時間をかけていたのでは上に何を言われるかわかったものではない、というのもあるが、やはりここにいると20年後のことを考えてしまう。私はこの街が好きだ。だから活気に満ちた今のこの街を、人々を、見るに堪えない。

 戦争が終わって7年も経つものの、私のいる2038年のこの国の状況はなお酷いものだ。この平和で、穏やかな2007年の様子を見るにつけ、その落差にはほとんど不条理と言っていいくらいの理不尽さを感じる。

だが私には見える。もうこの時点で始まっている。着々と力をつけて無骨な進出を続けるアジアの企業。私はまだそうではないととらえていたのだが、状況は深刻にも見える。街のどこを探してもにメイドインジャパンの製品は見当たらないのだから。国外でつくられた製品を中国系企業が売り場を日本に移し、それを中国人が団体で買いさらっていく。2038年を一つの結末としてここに来てみると、これはその序章だ。この国の終わりの始まりは、もうこの2007年から嗅ぎとることができる。戦争が終わって7年経ってもなお、この国は立ち直れずにいるのだ。

 それでも私はこの秋葉原の街が好きだ。だからまた必ず戻ってくる。そう自分に言い聞かせて、クラシックカーに乗り込んだ。


つづく

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