第1話
作者名は架空の人物です。
話数の区切りは適当です。
とあるタイムトラベラーの手記
吉沢一衛作
2038年5月25日
先日の通達に従い、私は住み慣れたシアトルの街を離れて東海岸への路についた。例によって配属先はまだ知らされていない。ただニューヨークに来いというだけだ。東部方面となると配属先はいくつか頭に浮かぶがどれも憂鬱だ。東海岸のあのどこか湿った雰囲気、とてもじゃないが私を歓迎してくれるようには思えない。家族はシアトルに置いてきた。妻のレイチェル、娘のアリス。今までも週に一度しか会えなかったが、これからは会えるかどうかも目処が立たない。軍人という仕事柄、仕方の無いことだと私は思えるが、あの二人には不憫な思いをさせている。これもまた毎度のことだが任期は伝えられていないし任務の内容ももちろん一切知らされていないのだ。
2038年5月27日
ニューヨークの集合場所から連れていかれたのは陰気なぼろホテルだった。任務は1ヶ月もかからないとすぐに言われた。次のことはまだ聞いていないがシアトルにも案外早く帰れるかもしれない。しかし築100年を超えているこんなぼろホテルで一体何をしようというのか。
2038年5月28日
1927年竣工のホテルダスク。ゴシック風の様式建築で内装も狂乱の20年代の雰囲気を残している。外観はゴシックだが内装はアールデコといういかにも20年代的な場所だ。現在は何のためか軍が接収しているようだ。そんなこのホテルに多くの軍人が何かの任務のために集まってくる。まあ軍の、特に機密扱いの任務の突飛さには今さら驚かされはしないが。
2038年5月31日
初めて聞かされた時にはさすがに驚いたが、やはり開発が行われていたのだ。タイムマシン。軍の内部でもまことしやかにささやかれていたが、まさかもうテスト段階まで来ていたとは。私はその方面にはあまり明るくないので原理や仕組みはまるでわからないが、私はそのタイムマシンのテストパイロットとしてこのニューヨークに来ていたのだ。テスト?タイムマシンを使って軍は一体何をするつもりでいるのだろう。その手の知識の無い私を使って?私は人体実験に供されるのか?いや、そうでなくとも、軍は今すぐにでも世界を手に入れようとするかもしれないじゃないか。
2038年6月5日
ホテルダスクの地下に設えられた長い長い通路、その先にその機械はある。機械といっても外見はただのクラシックカーでしかない。多分多くの人間が予想する通りの姿なのだろう。車は100年以上も前のモデルのものだ。この車に例の時間跳躍のための装置が据え付けられているらしい。私はこのクラシックカーを使ってテスト行うことになった。私が被験者第一号でないということを聞いて多少は安心した。もう何人ものテスト要員が時間跳躍を行っているとのことだ。
2038年6月6日
外見はなんともくたびれた車だが、これがあの時間跳躍を可能にする装置を実装していると知るとどこか空恐ろしさを感じる。
最初の任務を受けた。行先は15年前。そこで当時の自分自身に会い、その自分の私物、できれば手帳や日記を持ち帰る、という他愛のないものだ。そんなことをして一体何になるというのだろう。これで何かのデータがとれるのか。初めてのフライトだがらまずは簡単なものからとも聞いたが、私のような素人よりも適任は他にもいるだろうに。そもそも私は15年前に今の自分のような人物に会った覚えはないし日記も失くしたことはない。例によって上官は何も教えてくれない。任務とはいえタイムトラベルをするというのには不安を感じる。
2023年5月11日
初めて時間跳躍というものをしたのだが、特に感じることはない。気分が多少悪くなるくらいだった。
15年前の私の故郷、アナハイム。この車が時間だけでなく場所も移動できるというのは驚いた。相変わらず仕組みは判然としないが。当時私はこの街のハイスクールに通っていた。初めは信じることができなかったが街を見て周ったところ、確かにここは2023年5月11日のアナハイムのようである。それとも、私はあのクラシックカーに乗せられて幻を見せられているだけなのか……。
2023年5月12日
私は15年前の私に会ってもいいのだろうか。今頃になってそんな疑問が浮かぶ。そもそも会えるのだろうか。与えられた任務によれば、自分は過去の自分に会えるということになる。とすると、多重世界理論?エヴェレット・ホイーラーモデルが正しいというのか?私でもそれくらいは知っている。だがそんなものが既に証明されているとでも言うのか。それともこれから私がそれを証明するということなのだろうか。
2023年5月16日
かつて学校帰りによく立ち寄った書店、そこに当時18歳だった私は、いた。信じられない、驚いた、という思いを抱く以前に会ってしまった以上は受け入れるしかない。なぜならどう疑ってもあれは、紛う方なき自分自身だったのだから。自分で自分を見間違うことなどありようもない。彼は私の記憶通り、古典文学のコーナーに現れた。あのバッグ、あの祖母のお守り房のついた学帽、今でも私は大切に持っている。私はとっさに話しかけていた。
「なにかおもしろいものはあるかい?お勧めの本なんかを教えてくれるとうれしいのだが?」
彼は突然声をかけられたのに一瞬当惑した様子だったが、すぐに相好を崩してうれしそうに答えた。
「断然ドストエフスキーですよ。先日カラマーゾフの兄弟を読み終えて、今日は続編を買いに来たんです。」
ああそうだった。私が「カラマーゾフの兄弟」を読んだのは18歳のこの時期だったのだ。そしてこの日に買った続編、「カラマーゾフの子どもたち」は今も愛読している。そうか、この日、ここで買ったものだったのか。
だが私は今日の出来事を覚えていない。忘れてしまってもおかしくはないのだが、日記には書かなかっただろうか。思い出せない。
2023年5月17日
私はもう一度、私に会おうと決めて夕刻にあの書店に行った。だが彼は現れなかった。それはそうだ、きっと学校からすぐに家に帰って「子どもたち」を読み耽っているに違いないのだから。だが考えてみると、仮に私がもう一度、いや二度でもいい、彼と会うとする。それでも今の私は15年前、書店で三十男と話をしたという“覚え”はないのだろうか。日記にも書かれていないのだろうか。
2023年5月19日
今日あたり、彼は「子どもたち」の第二巻を買いに来るに違いない、という予想は当たった。彼は古典コーナーに来るなり待ち構えていた私には目もくれずに、すぐに二巻を手に取ってカウンターに向かおうとした。私は迷わず彼を呼びとめた。
「やあ、この間の、随分お急ぎじゃないか。早いんだな、もう一巻を読み終えたの?」
私に、こんな記憶はない。
「ああ済みません、気付かなくって、読み終わってはいないですけど、もう一巻はあと少しなんです。」
「そうか。君は……、珍しいんだな、こんな古典を好きこのんで読もうなんて。」
「おもしろいからいいんですよ。」
彼は軽く会釈をして踵を返す。私はカウンターに向かう彼の背中に声をかけた。
「ときに、もうじきアリョーシャとコーリャの対決だったかな?」
「いやだなあ、読んだからってそういうのは無しですよ。」
「ハハハ、済まなかった。」
これでも私は思いだせない。彼はうれしそうに二巻をおし抱いて私の前を立ち去った。これでも私は忘れてしまったのか。日記にも書かなかったのか。
2023年5月20日
私は残りの任務を片付けて帰ることにした。最初は気が進まなかったが私は彼の日記を見てみたい。そして戻ったら妻に当時の日記をニューヨークに送ってもらおう。それにここでぐずぐずしていたら戻ってから上官になにを言われるか知れたものではない。帰還するのはここにいくら滞在していても跳躍直後の同じ場所だが、上はきっとなんらかの形で私の行動をトレースするものと考えておいたほうが無難だ。
留守となっている自宅、やはり鍵はポストの裏蓋のそのまた裏のスペースに隠してあった。学生時代の自室か。もとより確かな記憶ではないが、思い出せる範囲の記憶通りの部屋だ。日記も決まった場所に置かれている。私はその、まだ半分も書かれていない2023年の私の日記を手に取り、自宅を出た。鍵を元通りに戻し、ちょうど門を出るところで女性と鉢合わせになってしまった。
母だった。自宅から見知らぬ男が現れて、驚きを隠せない様子だ。わかるはずもない。たとえ息子の面影があったとしても、どうしてこの三十男を息子と認識できようか。私は逃げ出した。母は、この五年後に不幸な事故に遭って死んでしまうのだ。やりきれない思いをかみしめながら、私はクラシックカーに乗り込んだ。
2038年6月6日
タイムマシンが時間跳躍を終えてホテルの地下に戻ってみると、そこにはあの時私を見送った上官が、あの時と同じ場所に、同じ姿勢で立っていた。どうやら本当に2038年6月6日、私がこの場所から飛び立った直後に戻ったようだ。本当に?私は長い幻影を見せられていただけなのではないか?だが彼の、2023年の日記は確かにここにある。信じられないことばかりだがその度に見せつけられる現実はいちいちリアルだ。信じざるを得ない。
今日はすぐに休むよう言われたので、私は自宅にある私の2023年の日記をすぐに送ってくれるよう、妻にメールをした。私は日記を失くしたことはないのだ。
……失くしたことはない?しかし今回会ってきた15年前の私は、日記を私に盗まれたじゃないか。“失くした”じゃないか。ではシアトルには2023年の日記は存在しない?もしくは新調された、5月20日以降が書かれた日記が妻から送られてくるのだろうか?全く見当もつかない。
いや、私は15年前の私に会えたのだから、本当に多世界解釈だとするとあの私は私であり私ではない、パラレルワールドに住まう他人ということになる、のか?そう考えると、今シアトルには5月20日以前も書かれた日記が存在しているということになる。だが、パラレルワールドであるなら当然の話だが、彼は間違いなく私自身だった。
多重世界理論なんて、エヴェレット・ホイーラーモデルなんて、あり得ないのだ。あってはならないものではなかったのか?
2023年の彼の日記には、書店で言葉を交わした私との出来事が、確かに書かれていた。
つづく