序
吉沢一衛という架空の人物が手記を訳した、という設定の小説です。
とあるタイムトラベラーの手記
吉沢一衛 作
~序にかえて~
訳者より
これはとあるタイムトラベラーの手記である。
そう遠くない未来、突如として完成したタイムマシン。その初期テスト要員が記した回想録である。
私は現代の秋葉原に現れた彼と出会い、この分厚い手記を託された。ひとりの哀れな男の苦悩を描いた自作の小説である。彼はこう言って私に手記を渡した。内容は小説とは言っても回想録の体裁をとっている。
私が彼と交流を持ったのはほんの短い間のことで、会ったのも数えるほどしかない。外国からこの秋葉原を訪れ、彼はなぜ数度しか言葉を交わしていない私にこの小説を託したのだろうか。
小説?
この回想録は本当に創作だろうか。
絶望にうちひしがれた時空の放浪者。私が見たのはこの回想録の主そのものの姿だった。
あるいは単なる手の込んだフィクション。
あるいは壮大な妄想。
そう考えるのが自然かもしれない。だが少なくとも私は信じている。この絶望の淵に突き落とされたひとりの男の物語は、彼の体験した紛れもない真実なのだと。
救われない長い長い時空の旅の末に、彼はこの現代の秋葉原でなにを思い、なにを見ていたのだろうか。
手記の持ち主の名はバベクロス・バシャという。2038年5月、回想録は彼がある秘密任務のためにそれまでのベースを去るところから始まる。
これは、陰惨で残酷な数知れぬ物語のひとつ。
帰る場所を失い、すべてから見捨てられた男の物語。自分とはなにか。罪とはなにか。
これは、時空の放浪者となった男の絶望の物語。男の物語には、どこにも救いはない。
これは、惨めな物語である。
吉沢一衛