第9話 点在する疑問
「あれ? 何だこれ」
長谷川は自分の携帯の画面を見ながら、誰にともなく呟いた。
そしてキョロキョロと、辺りを見回す。
午後5時。
編集室は社員のほとんどが出払っていて閑散としていたが、長谷川の目はその時「ピンク」を探していた。
そしてタイミング良く、ヒラヒラと廊下から入ってきた派手なピンクのカーディガンを捉えた。
「多恵ちゃん、ちょっと来て」
一瞬嫌そうな顔をしたものの、多恵は「はーい」と明るい声を出しながら小走りに寄ってきた。
「ねえ、朝、この携帯に玉城から電話の着信が入ってたんだけど、何で?」
長谷川か着信履歴の画面を多恵に見せた。
「何でって、そりゃあ長谷川さんの携帯がちゃんと仕事してるからでしょう?」
多恵は小首を傾げる。
かわい子ぶっているのか無意識なのか、長谷川には未だ分からない。
「私は電話に出てないよ。なんで通話済みになってんの」
「そうですね。たぶん長谷川さんじゃないひとが電話に出たんでしょう」
「だれが」
「例えば、・・・私とか」
多恵はニコッと笑った。
「なんで人の携帯に勝手に出るの! 何考えてんのよ、あんたは」
「すいませーん。でも長谷川さん居なかったでしょ? 玉城先輩だから、代わりに出てもいいかなって思って」
「何でいいかなって思うんだろうね。あんたの頭ん中覗いてみたいよ、まったく」
長谷川はそれでも悪びれない多恵にあきれ果て、怒る気も失せた。
「で? 玉城は何の用だったの? 携帯見つかった報告?」
「いえ、先輩からじゃなく、その携帯拾った人からでした。本人に返したいから本人の居場所教えてって。
親切な人ですよね」
多恵は長谷川の横の無人の椅子にちょこんと座った。
「拾った人が? 玉城は携帯の通話を止めなかったのかな。そういうところルーズだよね、あいつは。で、何て言ったの?」
「その時間ならリクさんのところだと思って、そっちにかけてみたら?って、言いました」
「ふーん、リクのところか」
「はい」
多恵は細く長い足でくるくると回転式スツールを回して遊んでいる。
長谷川はじっとそれを眺めながら、ポツリと言った。
「ねえ、多恵ちゃん」
「はい?」
「ふつうそんな風に頑張って本人探すかね」
「さあ、でも長谷川さん、世の中にはあり得ないほど人の良い人間っているもんですよ。
だめですよ、斜めからばっかり人を見ちゃあ」
「あんたに説教されたくは無いわ!」
長谷川は、まだクルクル回っている脳天気な新人にブチリとキレながら、言い放った。
◇
畳半畳分の電話ボックスの中で、玉城はグリーンの受話器をガチャリと置いた。
携帯が無くても公衆電話があるさ、なんて気楽に考えていたのが甘かった。意外と公衆電話は見つからない。
これから向かう、大東和出版の担当者と話ができたのは、リクの家を出て、かなりしてからだった。
先日無くした携帯はGPSを付けてなかったので探すことは諦めていたが、
やはり早く新しいのを買わないと、不便で仕方ない。
リクはよく今まで携帯無しで生活してたもんだ、と、感心さえした。
玉城はガサガサとショルダーバッグのポケットからメモ用紙を取りだして眺めた。
リクに協力してもらえなかったため、仕方なしに自分で描いてみた犯人の似顔絵だった。
しかし、どうひいき目に見ても「へのへのもへじ」だ。人間の顔を描くのは中学生の美術の時間以来だった。
誰に見せるわけではないので構わないのだと、自分を慰める。
自分が忘れなければいいのだから。
太い首、少しエラの張った輪郭。するどい奥二重の目、アゴだけに生やしたヒゲ。
けれどこんな男は世の中に五万といるような気がする。こんな記憶、何の役にも立ちそうにない。
それに実際それをどうしようというアイデアはなかった。そもそも、いつ起きた事件かもわからない。
警察に言っても何のことですかと笑われるだろう。
ただ、忘れてはいけないような気がした。あれは夢なんかではない。
あんな風に殺されてしまった女性の魂が、玉城に必死に訴えて来たんだとしたら、
忘れてはならないような気がした。
それなのに・・・。
死者の声を幾度となく聞いたであろうリクの本心を聞いて、玉城は本当のところショックだった。
たしかに、冷静な考えなのかもしれない。自分みたいなのが騒いでも、誰の役にも立たないかもしれない。
死者を救うことは出来ないかもしれない。
でも、無念の声を聞いてやろうという優しさがあってもいいのではないか。
この力を持つものの使命として。
「もう、二度と来ないから」
咄嗟に言ってしまったが、本心だった。
玉城は大きくため息をつき、大東和出版へ向かった。
帰りに携帯ショップへ行き、取りあえず無くした携帯の通信を止めてこよう、とボンヤリ考えながら。
けれどその判断が遅かったことに、玉城はその時まだ、気付かなかった。