第6話 通じない心
玉城は郊外の住宅地の綺麗に整備された歩道を歩きながら、無意識に後頭部の傷に触った。
まだ腫れているようだったが、触らなければ痛みも無い。
時々軽い目眩はあるが、昨日ほど頻繁ではなかった。
医者が仰々しく巻いてくれた包帯も、なんだか鬱陶しかったので家を出るときに捨ててしまった。
ただ、あの映像だけは今も脳裏に焼き付いたまま、四六時中玉城を苦しめていた。
暗闇をつんざくような女の悲鳴と、それを取り囲む数人の影。
一人が何度も振り下ろす鈍器が鈍い音を立てていた。
繰り返される凶行に次第に動かなくなっていく女。
玉城は痺れた脳と体を横たえ、ただ、それを見ていた。まるでホラー映画か何かを見るように。
玉城は思った。あれはきっと殺された女性の念みたいなものが自分に訴えてきたのだと。
頭を打った拍子に、何らかの交信をしてしまったのだと。
映像はとてもザラザラしていて全体が薄暗く、その場所がどこなのかはっきりしなかったが、殴りつけている男の顔ははっきり見えた。
もしそれが、殺された女性の最後の記憶であり無念なのだとしたら、
自分はそれを忘れてはいけないんじゃないだろうか。
玉城はそこで立ち止まった。
昨日喧嘩別れのようになったリクの家の前は、今日も静かにひっそりとしている。
何だかんだ言って、結局自分はリクを頼るんだな、と自分に呆れてため息をついた。
「絵を描いて欲しい?」
個展のあとの整理をしていたリクは、突然の頼みに、驚いた表情で玉城を振り返った。
「誰の? 玉ちゃんの?」
「なんで俺の絵を描くんだよ。違うって。犯人のだよ」
「犯人?」
リクがほんの少し眉をひそめて続けた。
「玉ちゃん、まだ言ってんの? いいかげんに諦めたら? 妙なことに首突っ込まない方がいいよ」
「頼むって! まだ覚えてるんだ。今ならはっきり思い出せるんだ、犯人の顔が。でも記憶はメディアに保存できないだろ? 俺には書き起こす絵心もないし。だからさ、リクにその似顔絵を描いて貰おうと思って。な? 別にお前に一緒に探してくれなんて言ってるんじゃないんだ。迷惑もかけない。俺の説明通り描いてくれれば、それで大人しく帰るから。ちゃんと金も払うし」
早口で説明する真剣な表情の玉城に、リクはムッとして返した。
「お金とか迷惑とかそんなことどうでもいいよ。ただ訳のわからない妄想に振り回されちゃダメだって言ってんだよ」
「妄想なんかじゃない。霊力だ。リクならわかるだろ? 霊は意思を持って、訴えてくるんだよ」
「それをいちいち聞いてあげてたらキリがないよ。あいつらは嘘だってつくし、人をおとしめようともする。無害なやつもいるけど玉ちゃんにはわからないだろ? 無視しなきゃ危険なんだ。越えちゃいけない壁をすり抜けてきた連中なんだから」
「なんでそんなこと言うんだよ。リクは見てないからだ。殴られて叫びながら殺されて行く人を見てないからだ。あんな場面見たら誰だって、何かしなきゃと思うから!」
「思わなくていい。玉ちゃんは追いかけられたんだろ? 訳の分からない邪念の塊に。奴らは玉ちゃんみたいな隙だらけの波長を見つけて心に乗り込んで来るんだ。僕はずっとそうされないように心に壁を作ってきた。子どもの頃からずっと。一度境界線を壊したら歯止めが利かなくなる。僕らの体を媒体にされる。玉ちゃんは、分かってないんだ」
「ああ、分からない。分かりたくもないよ」
「どうして」
「お前は自分を守りたいだけなんだよ。他人はどうだっていいんだろ? 何となく分かったよ。だから人との関わり合いも霊との関わり合いも閉ざして、嘘で身を固めてきたんだよ。自分が傷つかなければそれでいいんだ。お前はな、ただ冷たいだけなんだよ!」
そんなことを言いに来たんじゃなかった。
玉城にはよく分かっていたのに、言葉が止まらなかった。
目の前で自分に反論ばかりばかりしてくるこの青年がとても腹立たしく思えた。
一番理解してくれると思っていた人間だっただけに。
リクは目をキッと見開き、唇を硬く結んでじっと玉城を見ていた。
そういえば、こんなに真剣に抗議してくるリクを、今まで玉城は見たことがなかった。
殺された女性の声を聞き届けてやりたいだけなのに。
自分が積極的に霊と交信することが、どうしてこの青年には気に入らないのか。
初めてリクに会った頃、玉城の前に現れた少女の霊はリクが優しいから頼って来るのだと言っていた。
だが目の前の青年は、まるでそれを感じさせない。
誰の力にもなろうともしない。
「もういいよ、分かった。ごめんな、じゃまして。忘れていいよ」
玉城は静かにそう言い、リクに背を向けた。
「どうする気?」
リクが不安そうに声を掛けてきた。
「どうもしない。何もできない。まあ・・・あの場所に行ってみればまた、なにか分かるかもしれないけど」
「あの場所?」
「俺が転がり落ちた神社の階段の下。あそこで、気を失う前に見たんだ。まだ・・・なんか、居るかもしんないだろ」
「玉ちゃん・・・」
「ああ、もういいからリク。気にしなくていい。悪かった。もうここにも来ないから」
素っ気なくそう言うと玉城は振り向きもせずにパタンとドアを閉め、リクの家を後にした。
少々大人げない言い方をしてしまったが、玉城は自分が間違ってるとは思わなかった。
ただとてつもなく後味が悪い。
最後に自分を呼んだ心配そうな声がやたらと耳に残った。
・・・心配などしてない癖に・・・。
とにかく今はあの男達の顔を忘れないでおこう。
そしてまたあの女性の霊が現れて何か懇願してきたら自分も動きだそう。
その人の為でもあるし、もしもまだ犯人がなんの罪にも問われず生きているのならそれこそ問題なのだから。
玉城はそう強く思った。