第12話 交わる
小高い丘から見下ろす形でその神社の森は広がっていた。
遊歩道の脇から突然現れる石段を覗き込むと、遙か下に古い小さな鳥居が見える。
山の中腹から下の住宅街に抜ける道としてここを通ることもできるが、鬱蒼とした樹木が生い茂るこの神社は昼間でも薄暗く、気軽に通り抜けに使うには少しばかり気味悪がられた。
遊歩道わきの街灯のあかりを頼りに、リクはゆっくりとその階段を降りた。
玉城が2日前に転がり落ちた場所だ。
そして朦朧とする意識の中で、殺人現場を見てしまった場所。
一番下の段まで降りるとリクは背を伸ばし、街灯がポツリと立つだけの、鬱蒼とした木々の創る闇を見つめた。
遙か先に見えるブルーシートや三角ポールは、警察が検分を一段落して切り上げて行った跡なのだろう。
風も無いのにザワザワと空を覆う木の葉が揺れる。
『なあ、リク。俺さあ、探してやろうと思うんだ』
『きっと霊が悔しくて辛くて、俺に助けを求めて来たんだと思う』
『力になってやろうと思わないのか?』
玉城の真剣な表情と声が蘇ってくる。
「そう。できるよ。でも僕はそれをしなかった」
ポツリと、自分に言い聞かせるようにリクはつぶやいた。
「玉ちゃんは知ってる? 彼らの奥に広がる、本当に恐ろしい世界を」
『分からないよ。分かりたくもないよ』
『お前は自分を守りたいだけなんだ。冷たい奴なんだよ』
・・・そうだよ。怖くてひとりぼっちでどうしていいか分からなくて。子供の頃はいつも震えていた。
勝手に扉を開けられて、心に入り込まれて、お前も味わってみろと奈落に引きずり込まれた。
耐えられなくて、その扉を閉ざす方法を身に付けていった。それでも隙間から漏れてくる霊たちに
いつも怯えて目を背けて生きてきた。
悪意のない優しい連中も、いつ邪念に変化するかわからなくて、怖くて。
君みたいに、正面から受け止めることなんて、出来なかった。
でも・・・。
リクはゆっくり目を開けて、今もなおザワザワと小刻みに震える木々の茂りをじっと見据えた。
そして、その闇に体を開くように両腕を大きく広げた。
「おいで」
ゴウと風が地の底から沸き上がるようにうねり、土埃を巻き上げた。
まるで生き物のように太いクヌギの幹が揺れ、風とは異なった大きな力にリクは胸を強く押され、倒れそうになりながら必死で堪えた。
地面に打ち付けてあったブルーシートがバサリと跳ね上がり、そしてまた地面にひれ伏す。
カサカサ揺れる木の葉の音が、次第に人の声のようにヒソヒソと悪意を持つ言葉に代わる。
けれども決して翻訳できない、生を持つものが使うことの出来ない言語の羅列だ。
空からか、地の底からか、堪えきれないようなうめき声が聞こえる。
生への執着、死への畏怖、苦痛への怒り。
眠れぬ、腐敗した魂のあえぎ声が沸々とわき上がり、その空間に満たされた。
「来て」
ドンという衝撃を胸に受け、リクは後方にはじき飛ばされた。
くるりと横に転がり体勢を起こそうとするが、体が重くて立ち上がることができない。
胸が苦しくて大きく息を吸い込もうとしたが、突然込み上げてきた悲しみと恐怖に思わず叫び声をあげた。
自分のものとも思えない、助けを呼ぶ女の声だった。
喉が引き裂かれたように痛み、口の中に血の味が広がる。
「ダメ!」
思わず体の中でうねる何かを静止しようと叫ぶ。
“呑み込まれてはダメだ”
リクは頭を左右に振り、四肢に力を込めた。
『いや! 助けて! いや!』
エコーがかかったように頭の中で声がする。
リクの体の中でのたうち回るように“彼女”は苦痛をはき出した。
「ごめん、・・・ごめんね、助けられない」
彼女の味わった苦痛を体中に感じながらリクは言い聞かせた。
苦しみを、怒りをぶつける場所を求めて鬱屈していたその魂は今、自ら扉を開放してしてしまったリクの中に入り込んだ。
「助けて! 苦しい! 苦しい」
リクは鉛のような体を地面から引きはがし、自分が取り込んでしまった苦しみの塊ごと、
包み込むように両腕で体を抱いた。
「助けられないんだ」
リクの目から涙があふれ出す。
自分の中で藻掻くその魂の悲しみと苦痛と自分の無力に胸が押しつぶされそうだった。
止まる事を知らないように、熱い涙が頬を伝い流れ落ちた。
「でも、お願い。探したいんだ。教えて欲しい。君を殺した奴らを」
“・・・助けてもやれない。それなのに僕は君を利用しようとしてる。
君のためではなく。僕の大切な友だちのために・・・”