第11話 目撃者
「あーあ、ボンネット、少し凹んだ」
クチャクチャガムを噛みながら、溜まり場にしている廃墟横の暗い街灯の下、腰を屈ませて孝也がぼやいた。
「いいじゃん、こんな廃車寸前のボロ車。どっちみち美希のなんだし。それよりこっちがびっくりするじゃない、いきなりあの男、はねてさ」
アサミがその横に立ち、不満げに言う。
「何でだよ。アキラが『見つけたら殺ってこい』って言ったろ? 轢くなとか言ったか?」
「そりゃそうだけどさ」
「ちょうどいい具合だったんだよ。あいつが道渡ってきたとき人が全然居なかったしさ。ナンバーだってダミーだし、バレル要素ないじゃん」
「確かに見られちゃいなさそうだったよね。ねえ孝也、あいつ死んだかな」
「さあ。わかんね。ダメなんじゃね? ひょいとボンネットに飛び乗ってコロコロうまく転がりやがったから」
「簡単に言うよねー。アキラにぶっ殺されるよ、あんた。あいつさ、美希の死体見つかったんで異常にイライラしてんだよ。何だかんだ言って、あいつビビリなんだよね。仲間でも平気で殺るくせにさあ、結局ビビリなんだよ」
同調するように孝也は露骨に嫌そうな顔をした。
「どっかからバレて自分が捕まるんじゃないかってさ、それが怖くて仕方ないんだろ。まあ死体も見つかって目撃者も消せなかったじゃ、ビビリるよな」
「でもさ、あの玉城って男本当に見てるのかなあ、美希殺すとこ。今回死体が見つかったのはあいつのせいじゃないみたいだけどさ。死体が発見されたとか知ったら流石に警察にしゃべるんじゃない? やっぱりやばいよ。あたしの顔も覚えられてたら嫌だなあ」
「頭わりーな、アサミ。顔見られたからって、すぐに俺らの身元がバレる訳じゃないんだぞ。あの死体が美希だってバレたとしても、俺らと美希を結びつけるもんは残してねえんだし。まあ、顔も居場所も仕事も分かったんだから、アキラが落ちつかねえんだったら、も一回ケリ付けに行きゃあいいだけさ。俺もその方がスッキリするし」
「今度はへましないでよ」
「しねえよ。次はあんなに簡単に死体が見つからないように深く埋めるさ」
「そっちもへまだったね」
アサミが可笑しそうに品のない笑い声をたてた。
◇
「あれ? 長谷川さんも来てくれたの?」
そう言いながら、驚くほど元気に笑った玉城を見て、逆に長谷川は驚いた。
キツネにつままれたような表情で、近くに立っていた白髪まじりの医師の顔を見つめた。
2日前にも救急車で運ばれてきた玉城を担当したというその救命医は、明らかに苦笑いを浮かべている。
「玉城さんは常連さんですね。まったく、運がいいのか悪いのか。今回も特に大きな問題はありません。軽い脳しんとうと、肩の脱臼だけです」
「だっきゅう・・・子供か?」
長谷川が脱力したように言うと、横になったままの玉城が恥ずかしそうに笑った。
「すいません」
「でも良かったー。玉城先輩が不死身で」
長谷川より少し遅れて駆けつけた多恵が、ホッとしたように呟いた。
「不死身って、何だよ。人をビックリ人間みたいに」
「でも何で車になんか跳ねられるのよ先輩。不注意すぎるわよ」
多恵の怒ったような言葉に、今回は長谷川も同調した。
「その通り。2日前といい、今回といい、子供じゃないんだから」
「はい・・・すみません。あの、恥ずかしいんで、このことは内密に・・・」
「会社の真ん前で轢かれといて、内密に出来るわけないでしょう? 社内中隅々まであんたの情報、行き渡ってるわよ。明日になったらみんな見物がてら見舞いに来るんじゃない? 面白がって」
「げーーっ、いやだなあ。俺、朝一で退院しますから」
「無理だって。まだ検査あるし。・・・それよりさ、さっき警察の人に聞いたんだけど、追突してきた車、逃走したままなんだって。なにか見てない? 直視した目撃者も居ないし、車種の限定もナンバーの確認もできなかったらしい」
声を潜めて聞く長谷川に、玉城はくすりと笑った。
「いいですねえ、なんか、警察の人みたいでかっこいい」
「茶化すと殴るよ」
「残念だけど、何も覚えてないです。景色がくるくる回っただけで。そっか、逃げられたかぁ。早く捕まったらいいですね」
「他人事みたいだね、まったく。まあいいや。明日警察に同じ事聞かれると思うから、よく思い出しときなさいよ」
長谷川は迷っていた。
あの神社で死体が見つかったこと、そして携帯を拾った男が執拗に玉城を探していたことを伝えるべきかどうか。
もしかしたら全く関係ないのかもしれない。だとしたら無意味に玉城を不安にさせるだけだ。
「あれ?」
ふいに多恵がドアの方を見て声をあげた。
「どうした? 多恵ちゃん」
「今、廊下にリクさんが・・・。でも入らずに行っちゃいました。私ちょっと見てきますね」
そういうと多恵は素早い動きで開いていたドアから外へ飛び出した。
玉城と長谷川が顔を見合わせる。
「リクにも言っちゃったんですか? 長谷川さん」
少し咎めるように玉城は言う。
「ダメだった?」
「ダメですよ。あいつには今、会いたくない」
「え? 何? 喧嘩でもした?」
ニヤリとして長谷川は顔を近づけた。
「・・・そんなんじゃないけど。今、会いたくないんです」
「おやおや。おもしろそう。聞かせてよ」
「嫌です。ぜったい言いません!」
玉城は愉快そうに聞いてくる長谷川にむすっとして背を向けた。
◇
「病室に入らないんですか? リクさん。面会OKなんですよ?」
廊下の突き当たりの壁にもたれて立っていたリクを見つけ、多恵は駆け寄った。
まるで多恵が出てくるのを待っていたような表情だ。
「どうかしたんですか?」
リクは壁にもたれたまま、多恵をじっと見た。その表情はいつにも増して青白かった。
「大丈夫なの? 玉ちゃんの怪我は」
「ええ。奇跡的に脱臼だけですって。強運ですよねえ、先輩」
「車は?」
「逃げちゃったみたいですよ。さっきも警察が本社ビルの前で目撃者調べてたみたいですけど」
「・・・・」
「どうしたんですか?」
多恵は思い詰めたような表情のリクをじっと見つめた。
照明を落とした廊下で、時々辛そうに目を伏せるその青年を、不謹慎だがとても魅力的だと思った。
また悪い癖が出そうになるのを多恵はぐっと堪える。
ふいにリクが顔をあげた。
「玉ちゃんはたぶん、あの神社で起こった殺人現場を見てたんだ」
「え? ・・・あの、死体がみつかった神社の、その死体?」
唐突な展開に、多恵の日本語もおかしくなった。
「そう。でも本人はそう思っていない。自分の回りに現れた霊がメッセージとして見せた映像だと思ってる」
「ええ? そうなの? なんで? そんなの区別つかないかしら。今はまあ霊になってるんでしょうけど、早過ぎ」
「その時の犯人も玉ちゃんを見てるんじゃないかと思うんだ。だからあの携帯で本人を必死に探してたんだと思う」
「ケイタイ!?」
多恵は大きな声を出した。
そう言えば・・・と、あの時の、不自然に親切すぎる電話を思い出す。
だとしたら、自分も犯人の策略に少しばかり協力したことになる。
「ええーーー。どうしよう」
多恵は今度はすがるような声を出した。
「きっと玉ちゃん、記憶が混乱してたんだ。頭を強く打ってたから。ちゃんと気付けば良かった。僕が彼の話をちゃんと聞いておけば、変だって気が付いたのに」
「リクさんのせいじゃないと思うけど、でも、怖いですね。その犯人がまだ玉城先輩を探してたとしたら。・・・あ・・・あ・・・いや、まさか。あのひき逃げ・・・まさか、そんなことないですよね」
多恵は自分の思いつきに自分ではっとし、思わず震えた。
「探してくる」
ふいにリクが言った。
「え? 探すって?」
「彼にはごめんって言っておいて。今日のことも、昨日のことも。ごめんって」
「え? でも」
けれどそれだけ言うとリクは階下へ降りる階段のある角を曲がり、見えなくなった。
「行っちゃった」
多恵はしばらくぼんやりその方向を見つめたまま立っていた。
「止めた方が良かったのかな」
柄にもなく、少し不安そうにそうつぶやいて。