表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/16

第1話 災厄

子どもの頃は決して走るのが遅いほうでは無かった。

運動会ではいつも、あの白いロープに一番乗りで突っ込んで行っていた記憶がある。

まさか、大人になってこんなに「過去の栄光」が当てにならないものだと思い知らされるとは。

玉城たまきは軽い失望と、痛くなった肺の辺りを押さえながら走り続けた。


逃げたからといって、どうにかなるものではなかった。

けれど、面と向かって話の出来る相手だとも思えない。

ただ、闇雲に走った。足がもつれる。


・・・もう、走るのをやめようか。案外何もされないかもしれない。

いや、それはないな。ほら、あの顔を見ろよ。怖すぎて笑いが出てくる・・・


果てしなく真っ直ぐ走れる自身がなかった。

神にもすがる気持ちで玉城は右に折れ、急勾配の階段を見下ろした。

転がり落ちれば少々厄介だ。けれど前へ進むしかなかった。

ゼーゼーと息が苦しい。心臓がバクバクと抗議してくる。でも、大丈夫、まだいける。


そう思ったのは玉城の早合点だった。

茂った木々の間から、わずかに星を抱えた夜空を見たと思ったが、

その後は流れ星のように星くずが何度も目の前を過ぎり、きな臭い匂いと共に全てが暗闇の中に沈んでいった。


        ◇



「もう~、玉城先輩ったら遅いですね。昔から時間には正確なほうだったのに。何かあったのかな。携帯にも繋がらないし」

大東和出版のラウンジで菊池多恵は、大きな声でぼやいた。

多恵の向かいのソファには、自分の携帯を睨みながら座っている長谷川。そしてすぐ横の窓際に立ち、ずっと黙ったまま外を眺めているリク。

「まあ、そのうち来るでしょ。あいつは仕事に穴を開けるヤツじゃないし」

長谷川は、この新入社員らしくない新入社員を横目でちらりと見ながら言った。


先月大東和出版に中途で入社してきた菊池多恵、22歳。

偶然にも玉城の知り合いらしいが、まるで礼儀がなっていない。

いくら学歴が優秀だとしても自分が面接に加わっていたら絶対に落としたのに。

しかも自分の下に配属されるなんて、なんたる不運。

そう思いながら長谷川は一つため息をつき、再び腕時計を見た。


「本当にごめんなさいね~、長谷川編集長さん。先輩、遅くって」

多恵が申しわけなさそうな声を出す。

「別に多恵ちゃんに謝って貰う事じゃないよ。あんたは玉城の保護者じゃないんだから。それから私の呼び方は長谷川、でいい」

長谷川は少しムッとした口調で言った。

「それより多恵ちゃん。あんた、スカート短すぎるよ。足組んだらパンツ見えるから」

「きゃあ~~。やめてくださいよぉ、長谷川さん。セクハラですってばぁ~。ねえ、リクさん?」

多恵は可笑しそうに女子高生のようにキャッキャと笑う。

なんでセクハラなんだ。私は女だ。長谷川はイラッとしながらもそれ以上何も言わず口を閉じた。

少し気になって窓際のほうも見たが、リクはまるで無反応にぼんやり窓の外を見たままだ。


リクが無事個展を終えたのは一週間前。

長谷川の予想以上の反響で、スポンサーに付いた画廊のオーナー佐伯は、

リクをその気にさせた長谷川に何度も礼を言ってきた。

以前、写真集さながらの特集を半年間美術誌「グリッド」に組み、リクの名と素顔を世間に知らしめた長谷川としては、もう一度個展に焦点を当てた記事を「グリッド」に書いてみたかった。

けれど人と関わるのを嫌がるリクの事だ。きっと首を縦に振らないだろうと思っていた。

やっと煩わしい密着取材から解放されたのだから。


けれどダメ元で告げた提案にリクはあっさりOKしてくれた。

逆に怪訝な表情をした長谷川に「何?」と、不機嫌な顔を向けはしたけれど。

今日もこうして打ち合わせのために、ここ大東和出版まで来てくれた。

長谷川はラウンジの窓から外の景色を見下ろしている、彫像のように美しいその青年の横顔をじっと見つめた。

心に影を落とし、人と付き合うことを避けてきたこの若く才能のある画家を変えた人物がいるとすれば、

それはきっと今遅刻しているあの男に違いなかった。


じっと見ていたのに気がついたのか、リクが長谷川の方を向いた。その表情は少し不安そうだ。

「大丈夫かな、玉ちゃん」

リクがポツリと言った。

いったい何が心配なのかと笑いそうになるのをぐっと堪えて長谷川は「すぐ来るよ」とリクに返した。

遅刻してくる玉城をそんなに心配する必要があるとは、長谷川には思えなかったのだ。


そこに1時間遅れで現れた、玉城を見るまでは。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ