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第一話 出会い

どうぞよろしくお願いします。

 暗雲立ち込める夜空の下、闇に溶け込んだ雨粒が枝葉を打つ音が、四方八方から奏でられる。やがて本降りを迎えると、ついに嵐となり、雨脚が強まるとともに次第に騒々しさも増す。

 それを掻き消すように、泥濘んだ林道を踏み荒らしながら駆ける蹄の音が、力強く鳴り響いていた。水溜りは小川と言うべき規模にまで拡大し、地を踏む度に泥が跳ねて体毛を汚すが、白馬は気にも留めない。

 背には傷だらけの青年が身を預けて乗っていた。名をアンリ・スカーピオスという。見るからに顔色が悪く、衰弱し切っているが、その儚さがいっそう容貌の美しさを際立たせていた。

 彼の現在の状況は、跡目争いに負けたという一言で説明することができる。正確には、完敗だった。

 朦朧とする意識の中、アンリは思う。

 "どうして叔父上は僕らを裏切ったんだろう"。

 少なくとも、アンリと叔父の仲は悪くなかった。むしろ親族で最も親しい間柄だった。叔父はアンリの面倒を善く見ていたし、アンリは常に叔父を誰よりも尊敬していた。王弟と王子の絆は実の親子以上だというのは、有名な話だった。

 しかし、叔父は国王である兄を弑して、王太子の立場にあったアンリから後継者の座を奪い、鮮やかな手際で反乱を成功させ国を乗っ取った。

 どれだけ入念に根回しをしたのか、叔父は既に軍権を掌握しており、アンリに残された戦力は指揮系統が独立した近衛兵団だけだった。忠誠心が強く精鋭揃いの彼らであったが、多勢に無勢であり、宮殿に雪崩れ込む兵士の波に沈んだ。

 アンリには父の死を悼む間もなく、その場から逃げ出す以外の選択肢がなかった。

 "僕はどうすれば良かったんだろう"。

 無論、再起の意思はあった。叔父の蛮行を許すことはできなかったし、必死の抵抗で自分を逃してくれた近衛兵たちに報いたい気持ちもあった。何より、叔父の統治では悪政が敷かれるのではないか、国民が虐げられるのではないかという不安があった。最早、本性を露わにした叔父への信頼は粉々に砕け散っている。

 激しい追撃を振り払った後、アンリは味方してくれる者を探した。生前の国王は後継者はアンリであると明言していたので、跡目争いにおける正当性は彼にある。だから、簡単に自分の下に人が集まるだろうと考えた。だが、見通しが甘すぎた。

 齢一七のアンリには人脈がなかったのである。王族であるため、有力者との交友関係は勿論あったが、若年の彼のそれは何か事を成すには狭すぎた。

 高級士官学校の友人、旧知の仲の重臣、親交が深い親戚など、きっと協力が得られる者たちを勝ち目の見えない戦いに巻き込む気にはならなかった。

 そして、他に頼れる者のいなかったアンリは完全に孤立した。当然、独りで出来ることは何もない。叔父に対抗することなどできるはずもない。気づけば叔父に先手を打たれていた。

 政治工作により真実は歪められ、アンリは父殺しの汚名を着せられた。国賊として指名手配を受けてしまえば、もうどうすることもできない。

 それでも、アンリは諦めることができなかった。国王の死や跡目争いの混乱に乗じて、野心ある者や政治に不満のある者、外部から調略を受けた者などが一斉に挙兵し反乱を起こした。アンリは、その反乱軍の内のどれかを配下に収めようと考えた。

 いくら国賊の身になっているとはいえ、王太子が旗印になるとなれば反乱に正当性が生まれる。どの集団でも喜んで受け入れるだろうと予想したアンリは、比較的規模の大きい反乱軍に接触した。

 結果は、この有様である。流血は止まらず、白馬の手綱を掴むのもやっとの傷だ。アンリの予想が間違っていた訳ではないが、交渉に失敗したのだ。相対した頭目には何を言っても一方的に嫌だと突っぱねられてしまった。アンリには何故交渉が失敗したのかすら理解できていない。

 "もうダメかもしれないな…"。

 一月に渡る逃亡生活で精神が磨耗し、頼みの綱は全て断たれ、心が折れかかっている。この状況を打破する手段はないかと考えれば考えるほど、取り返しのつかないところまで追い込まれてしまったと実感し、無力感に苛まれるばかりだった。

 あまりの情けなさに、アンリの瞳からは思わず涙が溢れた。流れる涙を勢いを増す雨が押し流すが、責務を果たすことができない罪悪感は胸の奥から何処にも行ってくれない。

 白馬の背で揺られながら、嗚咽も漏らさず泣いていると、突如として浮遊感に襲われた。刹那、アンリは訳も分からぬまま強い衝撃に晒された。

 背後からヒヒィンという白馬の悲鳴が聞こえてきたことで、転倒したのだと理解する。豪雨で不安定になった地面を全力で駆けていれば無理もないことだ。

 "馬鹿だな僕は。自分のことばっかり考えて"。

 逃亡生活で限界を迎えていたのは、アンリだけではない。彼を乗せて駆け続けていた白馬もまた、疲労が許容範囲を超えていた。

 覚束ない足取りで、どうにか白馬は立ち上がる。アンリも立ち上がろうとするが、体を起こすことすらできない。主人の身を案じて、白馬はアンリに近付く。

「もういい。僕に構うな。お前も共倒れになるぞ」

 顔を覗き込んでくる白馬に、アンリは掠れた声で命令を下すが、白馬が従う様子はない。その忠誠心が、今のアンリには耐え難いほど辛かった。

 徐々に、意識が遠のいていく。瞼に重みを感じ、アンリは自然と目を閉じた。彼の額に白馬は荒い呼吸で鼻を押し付けるが、反応は殆どない。アンリには、余力が残っていなかった。

 何度も何度も同じように鼻を押し付けるが、時々呻き声を上げるだけで結果は変わらない。アンリは仰向けのまま、身じろぎ一つ取らない。


 その時、何処からか声が聞こえてきた。

「おっ、こんなところにいたのか」

 水飛沫を上げながら歩み寄ってくる足音がする。白馬はアンリを庇うように、音がする方に向き直って警戒している。

「流石の駿馬だな。予想より少し早い到着だ」

 妙に馴れ馴れしい男の声だ。アンリは最後の力を振り絞って薄目を開け、顔を右方に傾けた。霞む視界で声の主の姿を確認する。

 雨具を着た長身の男だった。顔は確認できない。アンリは初めは追手かと思ったが、そのような雰囲気ではない。敵意は感じられなかった。

 白馬もそのことを理解したようで、長身の男に道を譲った。長身の男は白馬の頭を軽く撫でると、アンリの前で膝をついた。

「君がアンリだね」

 長身の男は、アンリを抱えて立ち上がる。

「お前は…?」

 周囲の雑音に掻き消されていないかと心配になるような弱々しい声で、アンリは問いかける。長身の男は、爽やかな笑顔で答えた。

「デイヴィット・タウラー。気軽にデイヴと呼んでくれ。これからよろしくな」

 アンリにとって、聞き覚えのある名前だった。

 "そうか、この人が…"。

 まじまじと男の顔を見つめる。

 一瞬の間を置いて、

「あぁ」

 とだけ答えると、アンリは意識を手放した。

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