第25話 封印へ向かう朝、揺らぐ予兆
朝の光が差しこむより早く、わたしは目を覚ました。
昨日まで体を支配していた重だるさはなく、頭もすっきりしている。
(反動は……ほとんど残ってない。よかった……)
布団の中で、そっと右手を持ち上げる。
紋は浮かんでいないけれど、指先の奥にかすかな熱が残っていた。
熱いわけじゃない。
でも――まるで小さな歯車が、ゆっくり回り続けているみたいな感覚。
(……止まってない、ってことだよね)
その考えにたどり着いたところで、控えめなノックの音がした。
「リリア、起きてる?」
扉を開けて顔をのぞかせたのはユリオだった。
黒髪は少し寝ぐせがついていて、手には木の器と、湯気の立つスープ。
「朝ごはん。……無理は、しないでね」
最後の一言だけ、ちょっと早口だ。
「ありがとう。……でも、今日って、もしかして――」
「うん。村長が呼んでる。たぶん……封印のことだ」
できるだけ平静を装っているけれど、声の奥に小さな揺れがある。
それは、わたしの胸の奥にある不安と、きっと同じ形をしていた。
(やっぱり……終わってないよね)
椅子に座り、スープを口に運ぶ。
野菜と香草の素朴な香りが、少しだけ心を落ち着かせてくれた。
「リリア、今日は戦わなくていいからね」
「……“今日は”って言われると、逆に不安なんだけど」
「そ、それは……言い方が悪かった」
ユリオは困ったように視線をそらす。
その様子がなんだかおかしくて、わたしは小さく笑ってしまった。
笑うと、少しだけ怖さが薄れる。
こういう時間があること自体が、きっと救いなんだ。
◆ ◆ ◆
村の中央会館は、朝だというのに人でいっぱいだった。
村人、冒険者、魔術師のおばあさん――
誰もがいつもより口数が少なく、空気は張りつめている。
村長が前に立ち、低く、はっきりとした声で告げた。
「昨夜の魔獣は、封印の崩壊によるものだ。
そして……裂け目は、さらに広がっておる」
ざわ、と空気が揺れる。
「森の奥では、黒い風のような現象が観測された。
このままでは、森そのものが瘴気に飲まれるじゃろう」
村長の視線が、ゆっくりとこちらへ向いた。
「……遠征隊を組む必要がある」
誰も、すぐには言葉を発せなかった。
◆ ◆ ◆
沈黙を破ったのは、魔術師のおばあさんだった。
古い文献を机に広げ、ゆっくりと説明を始める。
「封印というのはな、“悪しきものを閉じ込める箱”ではない。
本来は、森と世界の魔力を調律するための装置じゃ」
図には、三層に連なる構造と、その中心にある“核”が描かれていた。
「最深部の核は、いわば森の心臓じゃ。
そこが乱れれば、瘴気は自然と外へ漏れ出す」
誰かが不安げに言う。
「でも……封印の中なんて、誰も入れないんだろ?」
「瘴気が濃すぎて、進めないって……」
おばあさんは答えず、ちらりとわたしの右手を見る。
「ただひとつだけ……道がある」
「……導きの紋、じゃな」
視線が一斉に集まる。
(え、わたし!?)
村長が、少し苦しそうに口を開いた。
「リリアを危険にさらしたくはない。
だが……封印は、このままでは崩壊する。
どうしても、君の“光”が必要なんだ」
心臓が、ぎゅっと縮む。
怖い。正直、すごく怖い。
でも――
「リリアは、一人じゃない」
ユリオが一歩前に出て、はっきり言った。
「僕も行く。……ぜったい、守る」
その言葉は、不思議なくらいまっすぐで。
胸の奥に、静かに火が灯った。
「……分かった。行くよ」
そう答えると、村長は深くうなずいた。
◆ ◆ ◆
森の入口では、冒険者たちが慌ただしく準備を進めていた。
結界用の水晶が運ばれ、装備の確認が続く。
おばあさんが、布に包まれた護符を差し出す。
「前より、ずっと強い瘴気にも耐えられるように作った」
「……割れんとは言っておらんがのう」
「割れるんですか!?」
「割れる前に逃げればよい」
「それが一番難しいんじゃないかな!?」
思わず突っ込むと、おばあさんは声を立てて笑った。
その笑いにつられて、周囲の空気も少しだけ和らぐ。
◆ ◆ ◆
出発直前。
右手が、じん……と熱を帯びた。
(また……呼ばれてる)
森の奥から吹いた風が、わたしの光に反応するように揺れた。
「リリア、大丈夫?」
「うん。……行かなきゃいけない気がするの」
封印の裂け目は、黒と白が入り混じる“脈動”を見せている。
まるで、生き物みたいに。
(あれ……待ってる、よね)
わたしは右手を握りしめた。
「行こう、ユリオ。封印の奥へ」
「……うん。一緒に」
二人で、森の奥へ踏み出す。
◆ ◆ ◆
そのさらに奥。
封印の最深部で、黒とは違う“白い光”が、静かに揺れていた。
それはまるで――
世界そのものが、リリアの選択を待っているかのように。
物語は、ここから本当に動き出す。




