第18話 森の咆哮と小さな決意
第18話 森の咆哮と小さな決意
あの夜の咆哮は、耳の奥にずっと残っていた。
森の奥から響いた低い声は、ただの魔獣の鳴き声とは思えなかった。村中の家々の灯りが一斉に明るくなり、人々がそわそわと外に顔を出していたのを覚えている。
結局、わたしはほとんど眠れないまま朝を迎えた。
「リリア、起きてる?」
ユリオの声に、わたしは布団からのそりと顔を出した。
「うん……なんか、あんまり寝られなくて」
「そっか。村のみんなも似た感じだったよ。あの咆哮かなり響いたからね」
ユリオの声も、少しだけ固い。
村全体が不安に包まれているのが伝わってくる。
「村長さんが呼んでるってさ。俺たちにも頼みがあるらしい」
「……昨日より不穏な予感しかしないんだけど」
軽くぼやきながらも、わたしたちは村長の家へ向かった。
◆ ◆ ◆
村長の家は、朝だというのに妙に慌ただしい空気に包まれていた。
「来てくれたか。二人とも、昨夜の音は聞いただろう」
「はい……。あれ、魔獣なんですか?」
わたしが尋ねると、村長は首を横に振った。
「分からん。ただ……村の外れで倒れた魔獣が見つかった。傷ひとつないのに、ぐったりと動かないそうだ」
「傷が……ない?」
「ああ。だが、魔力を吸われたような状態だという話だ」
魔力を……吸われる?
黒いもやのような嫌な感触が頭をよぎる。
「見に行ってほしい。近場だ。危険は少ないと思う」
村長は落ち着いた声で言うけれど、目の奥には不安が滲んでいた。
「行こう、リリア」
「……うん」
村の安全のためだ。
それに、昨日の右手の熱――あれも気になっていた。
◆ ◆ ◆
村を出て少し歩くと、いつもと違う気配に気づいた。
「……静かすぎるね」
普通なら鳥の声や風のざわめきが聞こえるはずの森が、まるで眠っているみたいに静まり返っている。
しばらく歩くと、地面に小さな魔獣が倒れていた。丸っこい体にふわふわの毛……昨日見たハムスター型の魔獣と同じ種類だ。
「息は……してる。でも弱い」
ユリオがそっと確認すると、魔獣の体は驚くほど冷たかった。
「見て、傷はないよね……?」
「うん。なのにこんなに弱ってる……」
そのときだった。
わたしの右手が、じん、と熱を帯びた。
「……っ」
「リリア?」
右手を見ると、薄く光の紋様が浮かんでいる。
倒れている魔獣の体から、黒いもやがふわりと立ちのぼった。
「なに、これ……!」
「リリア、下がって!」
ユリオが思わず手を伸ばしてきたが――
黒いもやは、わたしをじっと見るように揺れ、そのまま霧のように散って消えた。
「……え?」
「今の……リリアを避けた?」
「避けたというか……逃げた感じだったけど……」
もやが消えたあと、魔獣はかすかに体を震わせ、目を細く開けた。
「生き返った……?」
「リリアの右手……やっぱり何かあるんだよ」
「わたしにも分かんないよ……ほんとに」
胸がざわつく。昨日も今日も、右手は勝手に反応している。
でも、悪い感じではない……はず。
「村長に報告しよう。これは放っておけない」
「うん」
◆ ◆ ◆
村へ戻り、村長に報告すると、村長の表情はぐっと険しくなった。
「黒いもや……それは瘴気かもしれん」
「しょうき……?」
「古い遺跡の封印が弱まると現れると言われている。動物の魔力を奪い、凶暴化させる。放っておけば、村も危険になる」
(ぜ、全然安全じゃない展開じゃん!!)
背筋が冷たくなる。
「村の守りを固める。魔術師のおばあさんが結界を張る準備をしてくれている」
村全体が緊急体制に入った。
子どもたちは家の中へ戻され、大人は道具を運び、見張りの人数が増える。
不安が村を覆っていくのが肌で感じられた。
◆ ◆ ◆
昼間は村のお手伝いをしたり子供と遊んだりして過ごした。子供か。というか私がいまは子供だった。たまに童心に戻っている感じがする。
夕方、ユリオの家の前で少しだけ腰を下ろした。
「……怖いね」
「うん。でも、リリアが無事でよかった」
「わたしだってユリオが無事でよかったよ」
ユリオは少し照れたように笑った。
「でも……わたし、本当はすごく怖いんだ。でもね、あの魔獣の黒いもやを見たとき……ほっとけないって思ったの」
「リリアは強いな」
「強くないよ! 膝ガクガクだし!」
「でも、逃げなかった」
その言葉は不思議なほど胸に沁みた。
「……ありがとう」
◆ ◆ ◆
そのときだった。
――パァァァ……
遠くの森の方角が、一瞬だけ青白く光った。
「え……今の見た?」
「うん……絶対、旧遺跡のほうだ」
風が冷たく吹き抜け、わたしの右手がじんわりと熱を帯びた気がした。
(なにかが……動き始めてる)
胸の奥がざわざわする。
でも逃げたくない。
昨日とは違う、はっきりとした気持ちが胸に宿っていた。




