第7話 寝不足お兄ちゃんと心配する友人
同じ頃、神崎秀一の教室では、別の光景が繰り広げられていた。
高校二年生の教室。窓から差し込む春の陽光とは裏腹に、俺は机に突っ伏し、深いため息をついていた。
「はぁぁ……」
目の下には、はっきりとした隈が浮かんでいる。昨晩のことを思い出すだけで、また顔が熱くなりそうだった。
(まったく、あいつは……)
玲奈との「密着スリーピングナイト」は、俺の想像をはるかに超える試練だった。
妹とは言え、あんな状況で平穏に眠れるはずがない。
わずかな物音や寝返りに神経を尖らせ、時には柔らかな吐息や甘い香りに動悸が激しくなり……結局、一晩中、寝ては覚め、覚めては寝の繰り返しだったのだ。
(あいつ、本当に兄を困らせるのが趣味なんじゃないのか……? 赤面したり、狼狽えたりする俺の姿を見て、内心ニヤニヤしてるんだろうなぁ……)
そう思いながら、またもため息が漏れる。
玲奈のことだから、昨日の俺の惨状を思い出しては、今頃友達に「うちのダメお兄ちゃん、こんなことで赤面しちゃってさぁ~♡」とか喜々として報告してるんだろう。
そんな妄想をしていると、不意に肩を叩かれた。
「おい、神崎」
顔を上げると、そこには俺の親友にして同じクラスの和泉がいた。
眼鏡の奥の目が、心配そうに俺を見下ろしている。
「どうしたんだよ、お前。顔色悪いぜ?」
「あ……い、いや、なんでもない」
俺はとっさに視線を逸らした。こいつには、絶対に昨日のことは言えない。
妹と同じベッドで寝た? 冗談じゃない。誤解を招くこと間違いなしだ。
和泉は、俺のそんな様子を見て、納得したように頷いた。
「ああ、またか。ソシャゲで寝不足になってんだろ?」
この一言は、俺にとって絶好の言い訳になった。
「う、うん、そうそう! ソシャゲの……周回イベントがあってさ! すごい大変でさ! はは、いやー寝不足だよほんと!」
必死に取り繕う俺の声が、少し裏返っているのに気づいただろうか。脂汗が背中を伝う。
「お前な……」
和泉は呆れたように首を横に振った。
「高校生なんだから、ちゃんと寝ろよ。ゲームばっかりやってると、成績もあれだぞ? 前みたいに赤点取って、玲奈ちゃんに馬鹿にされるぞ」
「うっ!」
「玲奈ちゃん」という名前が出た瞬間、俺の脳裏に昨夜の光景がフラッシュバックする。抱きつかれる感触、耳元での寝息、甘い香り、体温……!
「お、おい!? 急に顔真っ赤にしてどうした!?」
和泉が驚いた顔で俺を覗き込む。
「い、いや、なんでもない! 気のせいだ! あ、そうだ、次の時間の数学の宿題、終わったか? 俺、ちょっと忘れてたから見せてくれよ!」
強引に話題を変える。
その後も、俺は必死に昨夜のことを隠し通した。まさか妹と一緒に寝て寝不足だなんて、誰にも言えるわけがない。
そして何より、あの夜の出来事は、俺の心の中だけにしまっておきたかった。
(……まったく、あの妹め……)
俺は、ぼんやりと窓の外を見つめながら、また口元にうっすらと笑みを浮かべていた。
なぜだか、玲奈への苛立ちと共に、少し、ほんの少しだけ甘い感情も混じっている。
一緒に寝るなんて小さかった頃を思い出し、高校生にもなって甘えてくれるのは正直嬉しさもある。
(今夜は、ちゃんと一人で寝られる。よし、数学の授業、頑張るか……)
そう決意を新たにした俺だったが、このあと玲奈から送られてきたLINEのメッセージに、再び顔を真っ赤にすることになるとは、この時はまだ知る由もなかった。
『お兄ちゃん♡ 今夜も一緒に寝よ?♡ 今度は玲奈の部屋で♡ ダメって言ったら、赤点答案拡散するからね~♡』
ただでさえ寝不足の俺の苦難は、まだまだ続きそうだった。