第6話 ブラコン妹の暴走ノロケと親友の苦悩
翌日の昼休み。昨日と同じように、一年生の教室の窓際では、神崎玲奈と佐伯美月の二人が昼食をとっていた。
美月が持参したシンプルなサンドイッチとは対照的に、玲奈の目の前には、今日も今日とて、愛情がたっぷり詰まったであろう色とりどりの豪華なキャラ弁が広げられている。
「~~~でねっ! 昨日の夜、お兄ちゃんとスト6で対戦したんだけどぉ!」
玲奈は、ハート型にくり抜かれた卵焼きを頬張りながら、キラキラした目で美月に語りかけている。
そのテンションは、昨日にも増して高い。
「玲奈がパーフェクト勝ちしたら、お兄ちゃん、めちゃくちゃ悔しがっちゃってさー! 『まぐれだ!』とか『なんでお前がそんな強いんだよ!』とか、もう顔真っ赤にして! あれがもう、最高に可愛くってぇ……♡」
うふふ、と思い出し笑いをしながら、玲奈は自分の頬に手を当ててうっとりとしている。完全に自分の世界に入っているようだ。
美月は、ハムとレタスのサンドイッチを咀嚼しながら、半ば諦めの境地でそのノロケ話を聞いていた。
(はいはい、今日も絶好調ですね、神崎さんのお兄ちゃん自慢は……。パーフェクト勝ちって、あんた一体何者なのよ……)
玲奈が兄に勝つためにゲームセンターで秘密特訓までしていたことは、昨日の時点で聞かされていた。
その執念たるや、もはや尊敬の域にすら達しそうだが、それをこんなデレデレ顔で語られても、反応に困るのが正直なところだ。
「それでね! 罰ゲームで、玲奈の言うこと何でも一つ聞くって約束だったから……」
玲奈は、そこで一旦言葉を切ると、もじもじと指を絡ませ、頬をさらに赤らめた。
その表情は、まるで初恋の思い出でも語るかのような、乙女チックなものだ。
「……玲奈ね、お願いしちゃったんだ♡」
「……何をよ」
美月は、どうせまたろくでもないことだろうな、と予測しつつ、先を促す。
玲奈は、意を決したように顔を上げると、とびっきりの笑顔で、そしてとびっきりの爆弾を投下した。
「『今日は一緒に寝て?♡』って!」
「……ぶふぉっ!?」
美月は、飲んでいたお茶を盛大に噴き出しそうになった。危ない危ない、サンドイッチが犠牲になるところだった。
「ちょ、玲奈っ! あんた、今なんて……!?」
「え? だから、『一緒に寝て?♡』ってお願いしたの」
玲奈はきょとんとした顔で繰り返す。
「そしたらね、最初は『高校生にもなって何言ってんだ!』とか、すっごい慌てて拒否するんだけど、そこを玲奈が『約束破るんだー、ダメお兄ちゃーん♡』って言ったら渋々『わかったよ』って! あの時の悔しさと恥ずかしさが混じったお兄ちゃんの顔! もう、たまらなかったなぁ……♡」
玲奈は再びうっとりと目を細める。どうやら、兄を言いくるめた過程も、彼女にとっては至福の思い出らしい。
美月は、額に手を当てて天を仰いだ。
(ダメだ……この子、やっぱりネジが何本か飛んでる……。いや、もう全部飛んでるのかもしれない……)
兄妹とはいえ、高校生の男女が一緒に寝るという行為の異常性に、玲奈は全く気付いていない様子だ。
むしろ、それを当然の権利かのように語っている。
「ま、まあ、百歩譲って、一緒に寝るだけなら……いや、譲れないけど! せめて、布団は別々とか……」
美月は、かろうじて残っていた常識の欠片で、最低限のラインを探ろうとした。
しかし、玲奈はそんな美月の淡い期待を、にっこり笑顔で打ち砕く。
「ううん? もっちろん、お兄ちゃんのベッドで、一緒の布団に入って、玲奈がお兄ちゃんのこと、ぎゅーって!」
言いながら、自分で自分を抱きしめるような仕草をする。
「はぁ……♡ お兄ちゃん、あったかかったなぁ……♡ すっごくいい匂いがしたし……。玲奈、お兄ちゃんに抱きついて、そのまま朝までぐっすり眠っちゃった♡ もう、毎日でも一緒に寝たいなぁ……♡」
完全に夢見心地といった表情で、玲奈は恍惚としたため息をついた。
ピキッ。
美月の額に、青筋が浮かんだ。
さっきまでのお茶を噴き出しそうになった驚きは、今や明確な怒りと危機感へと変わっていた。
「……玲奈ッ!!!!」
美月は、思わずテーブルをバンッと叩いて立ち上がった。
周囲の生徒たちが何事かとこちらを見るが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「あんた、自分が何してるかわかってるの!? 本気で言ってるの!?」
美月の剣幕に、玲奈はびくりと肩を震わせ、少しだけ驚いた顔で美月を見上げた。
「え……? み、美月……? そんなに怒って、どうしたの……?」
「どうしたの、じゃないわよ!!」
美月は、玲奈の肩をがっしりと掴み、詰め寄る。
「あんたね! 高校生にもなって! お兄さんと! 同じ布団で! 抱き合って寝たって! そう言ったのよ!? わかってる!?」
「う、うん……そうだよ? だって、罰ゲームだし……玲奈、お兄ちゃんと一緒に寝たかったんだもん……」
玲奈は、なぜ美月がここまで怒っているのか、全く理解できていない様子で、困惑した表情を浮かべている。その純粋(?)な瞳が、逆に美月の怒りを煽る。
「だもん、じゃない!! いい? よく聞きなさい、玲奈!」
美月は、玲奈の顔を真正面から見据え、必死に説得を試みる。
「お兄さんだって、もう高校二年生の男子なのよ!? 思春期真っ盛り! 異性に対して、興味津々な時期なの! そんなお兄さんのベッドに、玲奈みたいな……その、なんていうか……とんでもない美少女が!(……くっ、なんか自分で言っててムカつくな……!)が! 無防備に抱きついて! 密着して! 一晩中一緒にいたら! 何か……何か、間違いが起きたらどうするつもりなのよ!?」
そこまで一気にまくし立てて、美月はぜぇぜぇと肩で息をする。頼む、これで少しは危険性を理解してくれ……!
しかし、玲奈の反応は、美月の期待とは全く違うものだった。
玲奈は、美月の言葉を反芻するように、ぽかんと口を開けていたが、やがて「間違い」という単語に反応したように目をぱちくりさせた。
「……お兄ちゃんと……間違い……?」
ぼんやりと、その言葉の意味を考えているような表情。そして、その意味するところを(玲奈なりに)理解した瞬間。
玲奈の顔が、ふにゃり、と締まりなく崩れた。
頬は林檎のように真っ赤に染まり、目はとろりと蕩け、口元はだらしなく緩んでいく。
「うふ……♡」
「うふふふふ……♡」
そして、ついに。
「……でゅふふふふふふ……♡♡♡」
明らかにヤバイ笑い声とともに、玲奈の口の端からは、きらりと光る一筋の液体――涎が垂れていた。
その表情は、もはや「学校一の美少女」の面影など微塵もない、ただの欲望に忠実な、完全に「キマって」しまっている顔だった。
「そ……それ……さいっっっこう……♡♡♡ お兄ちゃんと、まちがい……♡♡♡ むしろ、ウェルカム……♡♡♡ いつでも、カモン……♡♡♡」
ぶつぶつと、危険な独り言を呟きながら、玲奈は完全に自分の妄想の世界へと旅立ってしまったようだ。その姿は、傍から見れば完全にホラーである。
「………………」
美月は、目の前で繰り広げられる惨状に、もはや言葉も出なかった。
怒りも、心配も、説得しようとした努力も、すべてが無意味だったと思い知らされる。
(ダメだ……コイツ……もう手遅れだ……)
美月は、がっくりと肩を落とし、玲奈からそっと距離を取った。
背筋には、冷たい汗が流れている。
(早く……早くなんとかしないと……このままじゃ、玲奈だけじゃなくて、お兄さんの身も危ない……! いろんな意味で!)
親友の(主に貞操観念的な意味での)未来と、その兄の平穏を本気で憂いながら、美月は深いため息をつく。
隣では、玲奈が未だに「でゅふふふ♡」と不気味な笑い声を漏らし続けている。
美月の苦悩は、まだまだ続きそうだった。