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第41話 美月の爆弾発言と兄妹の混乱

「………………」

「………………」


美月ちゃんが走り去った後、玄関先には俺と玲奈が、まるで時が止まったかのように呆然と立ち尽くしていた。

今の、聞こえたか? 俺の聞き間違いじゃないよな?


『今度……私とも、デート、してくださいね?』


あの美月ちゃんが、俺に……デート?

いやいやいや、ありえない。絶対に聞き間違いだ。

それか、何か別の意味があったに違いない。そう、きっとそうだ。


俺が混乱している隣で、玲奈もまた、完全にフリーズしていた。

さっきまで俺にじゃれついていた勢いはどこへやら、ただただ美月ちゃんが走り去った方向を、信じられないものを見るような目で見つめている。


やがて、最初に我に返ったのは玲奈だった。

彼女は、ゆっくりと、ぎぎぎ、と音が鳴るかのように、俺の方を振り返った。

その顔は、さっきまでの笑顔とは程遠い、能面のような無表情だ。しかし、その瞳の奥には、明らかに嵐が吹き荒れている。


「……ねえ」


低い、静かな声が、俺の鼓膜を震わせた。


「……お兄ちゃん?」

「は、はいっ!?」


俺は、そのただならぬ雰囲気に、思わず背筋を伸ばして返事をしてしまった。


次の瞬間、玲奈は俺の胸ぐらを両手で鷲掴みにした!


「ちょっと!!! ねえ、今の、どういうこと!? 説明してよ!!!」


小柄な体からは想像もつかない力で、俺の体を前後に激しく揺さぶってくる!


「い、いや、俺に言われても……!」

「生徒会長だけでもビックリしたのに! なんで美月まで! 美月までお兄ちゃんに『デート』なんて言い出すわけ!? お兄ちゃんってば、一体あの子に何したのよ!!!」


玲奈の剣幕は、まさに般若のようだ。嫉妬と怒りと混乱が入り混じった感情が、その瞳から溢れ出している。


「お、俺にもさっぱりわからん……!! なんもしてねえよ!」


俺は、胸ぐらを掴まれて揺さぶられながら、必死に答える。

本当に、俺には全く心当たりがないのだ!


「嘘! 絶対何かしたんでしょ! あの美月が、あんなこと言うなんて……!」


玲奈は、まだ納得がいかない様子で俺を問い詰める。しかし、やがて何かを考えるように、ブツブツと呟き始めた。


「……そういえば、最近、美月の様子、ちょっとおかしかったかも……。ジェラート屋さんの時も、なんか変だったし……。お兄ちゃんに自分のジェラートを『あーん』なんてやろうとしたし……。まさか……まさか、美月まで……お兄ちゃんのこと、好きに……なっちゃった……とか……?」


その呟きは、俺にはよく聞き取れなかったが、玲奈の表情はみるみるうちに青ざめていく。

どうやら、彼女の中で、何かしらの結論(おそらく最悪の)に至ったらしい。


一方、俺の頭の中も、別の意味で混乱していた。


(ま、まさか……美月ちゃん、本当に俺のこと……好きなのか……!?)


さっきの、俺の昔の言葉を覚えていてくれた時の、あの嬉しそうな笑顔。

そして、別れ際の、あの真剣な眼差しと、少し震えた声……。

思い返せば、今日の美月ちゃんの態度は、確かにどこかおかしかったような気もする。


(え……マジで……? 俺のこと……?)


そう考えた瞬間、俺の心臓が、またドキドキと高鳴り始めた。

美月ちゃんは可愛いし、優しいし、しっかりしてるし……もし、本当に俺のことを好きだとしたら……。


いやいやいや!

俺は、慌ててその考えを打ち消した。


(落ち着け、俺! 勘違いするな!)

(多分、あれは……そう! きっと、玲奈が俺のことを『デートだ』とか言ってからかってるのを見て、自分もちょっと真似してからかってみようと思っただけなんだ! そうに違いない!)

(そうだそうだ。あの真面目な美月ちゃんが、急にあんな大胆なこと言うわけない。きっと、俺の反応を見て楽しもうとしたんだ。危ない危ない……ここで勘違いして『え? 俺のこと好きなの?』なんて聞いたら、絶対に『は? キモ……』って言われて大火傷するところだったぜ……)


彼女いない歴=年齢の秀一は、悲しいかな、女性からの好意に対して極度に鈍感であり、かつ、ネガティブな方向に物事を考えてしまう癖があった。

美月の勇気ある行動は、彼の拗らせた自己防衛本能によって、残念ながら「からかい」だと結論付けられてしまったのだ。


秀一がそんな自己完結に至っている間、玲奈は別の焦りに駆られていた。


(まずい……このままじゃ、本当にまずい……! 生徒会長だけじゃなくて、まさか一番近くにいた美月までお兄ちゃんに……!? このままじゃ、お兄ちゃん、誰かに取られちゃう……!)


玲奈は、強い危機感を覚えていた。今こそ、何か決定的な一手で、兄の心を自分に引きつけ、他の女が入る隙など微塵もないことを思い知らせなければならない。


(こうなったら……もう、手段を選んでる場合じゃない……!)


玲奈の目に、再び危険な光が宿る。焦りが、彼女をさらなる暴走へと駆り立てていた。


「お兄ちゃん!!!!」


玲奈は、突然、大きな声で俺の名前を叫んだ!


「は、はいぃっ!!!!」


俺は、その気迫に完全に気圧され、情けない裏声で返事をしてしまう。


玲奈は、ふぅー、と一度、深く深呼吸をした。そして、決意を固めた目で、俺を見据え……衝撃的な言葉を口にした。


「……キス、して!」


「………………ぶふぉっ!?」


俺はあまりにも突然の事に噴き出した。

き、き、き、キス!? こ、こいつ、何を言い出すんだ!?


「お、お、お前! 突然、何を言い出すんだ!? ば、馬鹿じゃないのか!?」


俺は、顔を真っ赤にして、激しく動揺する!


しかし、玲奈は俺の動揺などお構いなしだった。

彼女は、俺の頭を両手でがっしりと掴むと、ぐいっと自分の顔へと引き寄せ始めたのだ!


「!」


玲奈の顔が、目の前に迫ってくる! その瞳は、真剣そのもので、冗談を言っているようには見えない!


「や、やめろ! バカバカバカ! 止まれ、玲奈! 離せ!」


俺は、必死に玲奈の頭を掴み返し、引き離そうと抵抗する!

兄妹だぞ!? キスなんて、できるわけないだろ!


しかし、玲奈も必死だった。


「なんでダメなの!? お兄ちゃん! 小さい頃は、おでことかほっぺたに、いーっぱいキスしてくれたじゃん! ちょっとくらい良いでしょ!? ねぇ! そのくらい軽い気持ちで! 唇と唇でやろうよ!」


抵抗しながら、とんでもない無茶苦茶な理論を展開してくる!


「小さい頃の話だろ! 今は違うんだよ! 落ち着け! なんで急にそんな暴走するんだ、お前は!」


俺は、玲奈の暴走を止めようと、さらに力を込める!


だが、次の瞬間。

玲奈は、俺の足元に、素早く自分の足を引っ掛けた。


「わっ!?」


バランスを崩した俺は、そのままリビングの床へと押し倒されてしまった!


そして、俺の上には、玲奈が馬乗りになっている!


「……観念して、お兄ちゃん♡」


玲奈は、俺の両腕を床に押さえつけ、逃げられないようにしながら、妖艶な笑みを浮かべた。


「大丈夫♡ 天井のシミでも数えてる間に、すぐに終わるから♡ ね?♡」


(くっ……! なんで、こんな小柄な妹に、力で敵わないんだ……!)


俺は、兄であり、男であるにも関わらず、玲奈の技術と体重移動によって、完全に拘束されてしまっていた。

情けなさで涙が出そうだ。


玲奈の顔が、ゆっくりと近づいてくる。

甘い香りが、鼻腔をくすぐる。

その唇が、俺の唇に触れようとした……もうダメか……!


その、まさに、寸前。


ピタリ。

玲奈の動きが、止まった。


「…………あれ?」


玲奈は、俺の唇の数ミリ手前で動きを止め、きょとんとした顔で自分の行動を省みるかのように、宙を見つめた。


(……あれ? 私、今、何やってるの……?)

(どうして、お兄ちゃんを押し倒して、キスしようとしてるんだっけ……?)


美月の突然の「デートしてください」発言に動揺し、焦るあまり、冷静さを失ってしまっていたことに、玲奈はようやく気づいたのだ。

兄に自分を意識させたい、他の女に取られたくない、という強い想いが、彼女を無謀な行動へと駆り立ててしまっていた。


(……やっちゃった……)


自分の暴走を自覚した瞬間、急激に恥ずかしさが込み上げてくる。顔が、カッと熱くなるのを感じた。


玲奈は、ゆっくりと、無言で、俺の上から体を起こした。

そして、何事もなかったかのように立ち上がると、髪をかき上げ、いつものあざといポーズを取りながら引きつった笑顔で言った。


「な……」

「なーんちゃって♡ ちょっとした、冗談だよぉ〜♡ びっくりした?♡」


「………………」


俺は、床に倒れたまま、呆然と玲奈を見上げていた。

そして、大きく、深いため息をついた。心臓が、まだバクバクと音を立てている。


「……お前なぁ……」


俺は、疲労困憊といった声で言った。


「……洒落にならない冗談が、最近、多すぎるぞ……?」


「あはは……そ、そうだよね……ご、ごめんってば……」


玲奈は、さすがに今回の暴走はやりすぎたと反省したのか、バツが悪そうな顔で謝ってきた。

流石に、キス寸前まで迫ったのはまずかったと思っているのだろう。


(……うん。今回は、ちゃんと反省してるみたいだな。良かった……)


俺は、そう思った。そう、思ったのだが……。


「……そうだよねぇ。やっぱり、キスはこんな無理やりじゃなくてさ……」


玲奈は、顎に指を当て、何かを考えるように呟いた。反省の続きかと思いきや……。


「もっと、ムードを大切にして……♡ 例えば、二人きりのベッドの中とかで……ゆっくり、じっくり、しなきゃだめだよね♡ ね、お兄ちゃん♡」


悪びれる様子もなく、とんでもないことを言い放った!


「反省してねえええええええええええ!!!!!!」


俺の悲痛な叫びが、リビングに虚しく響き渡った。


(夜……夜が、怖い……!!!!)

両親がいない、この家で、この暴走妹と二人きりの夜を過ごさなければならないという事実に、俺は心からの恐怖を覚えるのだった。

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