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第40話 気まずい午後のお茶会 ~秘めた想いと鈍感な兄~

キッチンから紅茶と、美月ちゃんが持ってきてくれたお土産のスイーツを運んでくる。

箱を開けると中から現れたのは、表面がこんがりと黒く焼けた、見るからに濃厚そうなバスクチーズケーキだった。

最近、雑誌やテレビでもよく特集されている、人気のスイーツだ。


「うわー! これ、食べたかったやつ!」


玲奈が歓声を上げる。俺も、甘いものには目がない方なので、テンションが上がる。


俺は、ケーキを三等分に切り分け、それぞれのお皿に乗せる。

淹れたての紅茶と一緒にテーブルに並べると、ちょっとした午後のティーパーティーのようだ。

まあ、さっきのエロ本騒動と胸揉み事件の後なので、空気は最高に微妙だが……。


「「「いただきます」」」


三人の声が、小さく重なる。


フォークでケーキを一口。


「…………!」

「んんん~~~~!」

「おいひい……!」


思わず、三人同時に感嘆の声が漏れた。

外側のほろ苦いカラメルの風味と、中のしっとりとして濃厚なチーズの味わい。

甘すぎず、それでいてクリーミーで、口の中でとろけるようだ。

これは……確かに、行列ができるのも頷ける。


「すごい……! なんだこれ、めちゃくちゃ美味しい!」


俺が素直な感想を口にすると、玲奈も大きく頷く。


「うん! 濃厚だけど、全然くどくない! いくらでも食べられちゃいそう!」


「ふふ、良かった。喜んでもらえて」


美月ちゃんも、嬉しそうに微笑んでいる。


「流石は人気店だなぁ……。やっぱり、美味しいものを食べると幸せな気分になるよな」


俺は、さっきまでの気まずさも忘れ、すっかり上機嫌になっていた。


「あ、そういえば、美味しいと言えばさ」


俺は、ふと昼間の出来事を思い出した。


「玲奈の作ったカルパッチョも、めちゃくちゃ美味かったんだよな。あれ、美月ちゃんにも教わったんだって?」


俺がそう言うと、玲奈が「えへへ」と照れくさそうに笑う。

美月ちゃんは、少し驚いた顔で俺を見た。


「え? ああ、まあ、少しだけ……。玲奈がすごく熱心だったから」


「いやいや、玲奈の奴、本当に料理上手くなっててビックリしたんだよ。美月ちゃんに教えてもらったおかげだな! ありがとう!」


俺は、玲奈がお世話になったことへの感謝を込めて、美月ちゃんにお礼を言った。


「美月ちゃんも、きっと料理上手いんだろうなぁ。玲奈にあんなに教えられるくらいだもんな」


すると、美月ちゃんは少し照れたように頬を染め、謙遜するように言った。


「いえ、そんな、お礼を言われるようなことじゃ……。料理は、私の趣味みたいなものですから。私も、玲奈に教えるの、楽しかったですし」


「へぇー! 料理が趣味なんだ! それはすごいな!」


俺は素直に感心する。俺なんて、料理はカップラーメンを作るくらいしかできないというのに。


「いやー、だとしたら、美月ちゃんの彼氏になるやつは、本当に幸せ者だな! 毎日、美味しい手料理が食べられるなんて、羨ましいぜ!」


俺は、何の気なしに、からかうように笑いながら言った。


しかし、その言葉は、美月にとって予想外の破壊力を持っていた。


「っ……!?」


美月の顔が、カッと音を立てて真っ赤になった。

その大きな瞳が潤み、完全に固まってしまっている。


(……え? 彼氏になるやつは幸せ者……? もし、もし、お兄さんが、私の彼氏になってくれたら……私が毎日、お兄さんのために料理を作って……そして、お兄さんが『美味しい』って笑顔で食べてくれて……それで、私がお兄さんに『あーん』って……)


美月の頭の中では、そんな甘い妄想が繰り広げられていた。


俺が、美月ちゃんの突然の赤面に「???」となっていると、隣にいた玲奈が、すかさず割り込んできた!


「ふっふっふーん♡」


玲奈は、俺の背後から、ぎゅーっと首に抱きついてきた!


「だったらさー♡ 料理が得意なこの玲奈様が『彼女』になるお兄ちゃんは、超ーーーーー幸せ者ってことだよねぇ♡ ねぇ、お兄ちゃん♡」


耳元で、甘えた声で囁いてくる。


「お、おい、玲奈、またそんな……」


俺は、またいつもの「からかい」が始まったと思い、呆れて言い返す。こいつは本当に、隙あらば俺に絡んでくるな。


しかし、そんな俺たちのやり取りを見ていた美月ちゃんは、玲奈が何の抵抗もなく、そして当然のように俺に抱きついている姿に小さな声で呟いていた。


「……いいなぁ……」


その呟きは、あまりにも小さかったが、すぐ隣にいた玲奈の耳には、しっかりと届いていたようだ。


「ん? 美月、今、『いいなぁ』って言った? 何が羨ましいの?」


玲奈が、不思議そうに美月ちゃんに尋ねる。


「ひゃっ!?」


まさか聞こえているとは思わなかった美月ちゃんは、びくりと肩を震わせ、顔を真っ赤にして慌てふためいた!


「え!? あ、いや、ち、違うの! 聞こえてた!? あの、ほら! れ、玲奈の料理がね! 羨ましいなって! 美味しそうだなって、思っただけだよ!?」


必死に取り繕う美月ちゃん。その姿は、明らかに挙動不審だ。


しかし、玲奈は、そんな美月ちゃんの誤魔化しを、あっさりと真に受けてしまったようだ。


「え〜? なんだ、美月も私の料理、食べたかったの〜?」


玲奈は、ぱあっと顔を輝かせる。


「もー、早く言ってくれれば良かったのにぃ♡ じゃあ、今度また作ってあげるね! カルパッチョでいい? それとも、別のものがいい?」


完全に上機嫌になっている。どうやら、親友にも自分の料理スキルを披露したくてたまらないらしい。


「あ、あはは……。わ、わざわざ悪いね? ごめんね、玲奈……?」


美月は、自分の咄嗟の嘘が、まさか玲奈に料理を作らせる約束に繋がってしまったことに、罪悪感を感じていた。引きつった笑顔で、玲奈に謝る。


(……やっぱり、まだ、玲奈には言えない……。お兄さんのことが好きだなんて……)


美月は、心の中でそっと呟く。親友である玲奈の、あの強烈なブラコンっぷりを知っているだけに、自分の気持ちを打ち明ける勇気は、まだ持てなかったのだ。


俺は、そんな女子二人のやり取りを、美味しいバスクチーズケーキを食べながら、ただぼんやりと眺めているだけだった。

紅茶の湯気が、リビングの微妙な空気を、少しだけ和らげてくれているような気がした。


「……ふぅ、美味しかった」


美月ちゃんが、紅茶のカップをソーサーに置きながら、小さく息をついた。


「じゃあ、私、そろそろ帰るね」


「えっ!? も、もう帰っちゃうの!?」


その言葉に、意外にも玲奈が一番に反応した。さっきまで、美月ちゃんの訪問を(俺との二人きりの時間を邪魔されたと)少し渋っていたはずなのに。

どうやら、美味しいケーキとおしゃべりで、それなりに楽しかったらしい。


「まだ時間あるじゃん! もっとゆっくりしていきなよ〜」


玲奈は、美月ちゃんの腕を取り、引き留めようとする。


「ううん、ありがとう。でも、今日の晩御飯のお使いも頼まれてるから、そろそろ行かないと」


美月ちゃんは、苦笑しながらも、玲奈の手をそっと外し、立ち上がった。


そして、俺の方に向き直ると、ぺこりと頭を下げた。


「お兄さん、今日は突然お邪魔してすみませんでした。……あ、紅茶、とても美味しかったです。ごちそうさまでした」


丁寧にお礼を言ってくれる。


「あ、いや、こちらこそ。口に合って良かったよ」


俺がそう言うと、美月ちゃんは少しだけはにかんで付け加えた。


「はい。私、アールグレイ、好きなんです」


その言葉を聞いて、俺の頭の中に、ふと昔の記憶が蘇った。

そうだ、確か……。


「ああ、知ってるよ」


俺は、自然と口にしていた。


「小学生の頃、うちに遊びに来た時『この紅茶、いい匂いがする』って言って、好きだって言ってたよね。確か、ベルガモットの香りだって」


「え……?」


俺の言葉に、美月ちゃんは、目を丸くして固まった。

その表情には、驚きと、信じられないといった色が浮かんでいる。


「……お、憶えてて……くれたんですか……? そんな、昔のこと……」


「ん? まあ、なんとなく」


俺としては、本当にふと思い出しただけなのだが、美月ちゃんにとっては、かなり意外だったようだ。

彼女は、じっと俺の顔を見つめた後、ふわりと、とても嬉しそうに微笑んだ。その笑顔は自然で、輝いて見えた。


「……それじゃあ、本当にお邪魔しました」


美月ちゃんは、もう一度深々とお辞儀をすると、玄関へと向かった。玲奈も、名残惜しそうにしながら、その後についていく。


俺も一緒に玄関まで見送りに出た。


「気をつけてなー」

「うん、またね、玲奈、お兄さん!」


美月ちゃんは、靴を履き、玄関のドアを開けて外へ出た。


「また学校でね~、美月!」


玲奈が、ドアのところから大きく手を振る。美月ちゃんも、それに小さく手を振り返した。


そのまま帰っていくのかと思いきや、美月ちゃんは、家から数歩歩いたところで、ぴたりと足を止めた。

そして、くるりと、こちらを振り返ったのだ。


夕陽の逆光で、その表情はよく見えない。

しかし、彼女は、真っ直ぐに俺の方を見つめて、言った。

その声は、少しだけ震えていたけれど、はっきりとした響きを持っていた。


「……あの、お兄さん!」

「ん?」


「今度……私とも、デート、してくださいね?」


「………………え?」


言い終わると同時に、美月ちゃんは、脱兎のごとく走り去っていった。

あっという間に、その姿は角を曲がって見えなくなる。


後に残されたのは、開け放たれた玄関のドアと二人の兄妹。


「………………」

「………………」


完全に思考が停止し、呆然と立ち尽くす、俺と玲奈の二人だけだった。


(……い、今……なんて……?)

(……美月が……お兄ちゃんに……デート……?)


夕暮れの住宅街に、カラスの鳴く声だけが、やけに大きく響いていた。

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