第38話 気まずい午後の来訪者
玲奈の作ってくれた絶品ランチを食べ終え、後片付けも済ませた俺たちは、特にやることもなくリビングのソファで並んでバラエティ番組を観ていた。
画面の中では芸人たちが軽快なトークを繰り広げているのだが、俺たちの間にはなんとも言えない、微妙で気まずい空気が漂っていた。
原因は、間違いなく、さっきの玲奈の「告白」だ。
いや、俺はあれを「手の込んだからかい」だと結論付けた。
そうじゃなきゃおかしい。でも、あの時の玲奈の真剣な表情、真っ直ぐな瞳が、どうしても脳裏に焼き付いて離れないのだ。
(……考えすぎだ、俺。いつもの玲奈の悪ふざけだって。そうに決まってる)
俺は心の中で何度も自分に言い聞かせるが、一度意識してしまったものは、なかなか元には戻らない。
隣に座る玲奈の存在が、さっきまでとは違う重みを持って感じられてしまう。
ちらりと横目で玲奈を見ると、彼女もどこか落ち着かない様子で、クッションをいじったり、髪の毛を指で巻いたりしている。
こいつも、さすがにさっきの「からかい」はやりすぎたと思って、気まずくなってるんだろうか。
ピンポーン――
突然、玄関のインターフォンが鳴った。その音に、俺も玲奈もびくりと肩を震わせる。
「……誰だろ? 宅急便かな?」
俺は、リモコンでテレビの音量を下げながら、壁に取り付けられたモニターを確認する。
そこに映っていたのは、予想外の人物だった。
「え……? 美月ちゃん?」
画面には、黒髪ショートカットの、玲奈の親友である佐伯美月の姿が映っていた。
少し緊張した面持ちで、インターフォンのカメラを見上げている。
「美月ちゃんが、うちに……? 何年ぶりだ……?」
俺が驚いて呟くと、隣の玲奈も「えっ!?」と声を上げた。
「美月が!? なんで!?」
どうやら、玲奈も美月が家に来ることは知らなかったらしい。アポなし訪問か?
俺と玲奈は顔を見合わせ、とりあえず玄関へと向かった。
ドアを開けると、そこには制服姿の美月が、少しはにかんだような表情で立っていた。
「やあ、美月ちゃん。どうしたんだ、急に?」
俺が声をかけると、美月はぺこりとお辞儀をした。
「あ、お兄さん、お久しぶりです。突然すみません」
丁寧な挨拶。やっぱり、しっかりした子だな。
「玲奈、はい、これ」
美月は、隣に立つ玲奈に、可愛らしいデザインの紙袋を差し出した。
「この前、うちの家族と街に出かけた時に買ったお土産。玲奈にあげるって約束してたでしょ」
「え? あ、ああ! あの、行列ができるっていうお店の! 覚えててくれたんだ!」
玲奈は、紙袋を受け取り、嬉しそうに顔を輝かせた。
「わざわざありがとう、美月! すっごく嬉しい!」
「どういたしまして。玲奈が好きそうだったから」
美月は、少しだけ微笑む。
「まあまあ、立ち話もなんだし。せっかくだから、上がっていきなよ、美月ちゃん」
俺は、玄関先で帰すのも悪いと思い、美月を家に誘った。
その瞬間、玲奈が「えっ!?」と小さな悲鳴のような声を上げた。
そして、俺をじろりと睨みつける。(今日は二人っきりのデートなのに!)という心の声が、はっきりと聞こえてくるようだ。
しかし、玲奈もさすがに、わざわざお土産を持ってきてくれた親友に対して「帰れ」とは言えない。
一瞬だけ葛藤するような表情を見せた後、すぐに笑顔を作り直した。
「そ、そうだよ、美月! せっかくだから、一緒に食べよ?♡ ね?♡」
その声は、若干引きつっている気がしないでもない。
美月は、そんな玲奈の不自然な表情と、俺たちの間の微妙な空気を察したのか、少し怪訝そうな顔で尋ねてきた。
「……もしかして、何か……取り込み中だった?」
「ううん! 全然! ねー、お兄ちゃん?」
玲奈は、俺の腕にぎゅっとしがみつきながら、わざとらしく明るい声を出す。
「ただ、お兄ちゃんと二人で、お家デートしてただけだよぉ?♡ だから、全然大丈夫! ね?♡」
そして、玲奈はとんでもない爆弾発言を付け加えた。
「まあ、デートの続きは……夜にでも、ガッツリやるから♡ 心配しないで♡」
ウィンクまで飛ばしている。
「で、デート!? しかも、夜に……ヤる!?
」
美月の顔が、サッと青ざめた。彼女は、明らかに玲奈の言葉を別の意味に捉えたようだ。
後ずさりしながら、信じられないものを見るような目で俺たちを見ている。
「ちちちち、違う違う違う!!!! 美月ちゃん、誤解だ!!!!」
俺は、慌てて美月の肩を掴み、必死に弁解した!
「これは、その、玲奈にゲームで負けた罰ゲームとしてデートをするっていう、ただの遊びなんだよ! 本当の意味でデートとか、そういうんじゃ断じてないんだ!」
「そ、そうなんですか……?」
美月は、まだ疑いの目を向けている。
「本当だって! これはあくまで、仲のいい兄妹なら、まあ、たまにはやるかもしれない健全な遊びであってだな……!」
俺は、さらに念を押して言う。仲の良い兄妹が罰ゲームでデートするのが普通かどうかはさておき、他の女の子とデートしていたら妹とデートすることになったなんて言ったら、更に混乱するだけだ。今は嘘でも誤解を解くのが最優先だ!
「はぁ〜」
すると、俺の腕にしがみついていた玲奈が、やれやれといった感じで肩をすくめた。
「お兄ちゃんは、照れ屋さんなんだからなぁ〜。さっきあんなに、玲奈(の料理)のこと、求めてくれたくせにぃ♡」
余計なことを言うな、この馬鹿妹!
「……!」
俺は、これ以上ややこしくするな、という意味を込めて、玲奈の額にデコピンを食らわせた。
「いひゃっ!?」
「……いいからいいから!」
俺は、美月に向き直り、笑顔を作る。
「そんなことより、美月ちゃんが持ってきてくれたお土産のスイーツ、一緒に食べようぜ! いやぁ、それにしても、君がうちに遊びに来るなんて、本当に何年ぶりだろうな。小学生の時以来か?」
俺がそう言うと、美月は少しだけ頬を赤らめ、俯き加減になった。
「……じゃあ、お言葉に甘えて……お邪魔します」
そう言って、彼女はゆっくりと靴を脱ぎ、家に上がった。
玄関に足を踏み入れた瞬間、美月の脳裏に、懐かしい記憶が蘇っていた。
まだ小さかった頃、玲奈と三人で、この玄関で靴を並べて、リビングへと駆け込んだ日のこと。
あの頃は、まさか自分が、玲奈のお兄さんのことを好きになるなんて、夢にも思っていなかった。
(……玄関の景色も、あんまり変わってないな……)
美月は、懐かしさに、ふふっと小さく笑みを漏らす。
隣では、相変わらず秀一お兄さんが玲奈にデコピンの仕返しをされそうになって、じゃれ合っている。
(……あの二人の感じも、昔と全然変わらない)
そう思うと、なんだか心が温かくなる。
(でも……)
美月は、自分の胸に手を当てた。
(……私だけは、あの頃とは、明らかに違うんだな……)
秀一お兄さんを見る自分の気持ち。それは、もう単なる「友達のお兄ちゃん」への憧れではない。
もっと、切なくて、苦しくて、そしてどうしようもなく惹かれる、恋心。
美月は、そんな自分の変化を改めて認識しながら、兄妹のじゃれ合いを少しだけ複雑な気持ちで見つめるのだった。




